長崎
奥浦湾 五島最終日は福江島を大急ぎで一周し、五島におけるキリスト教復活の拠点とされる堂崎教会へ行く時間が取れた。福江港から北へ、久賀島に面した堂崎教会には、手前に設けられた観光客用の駐車場から奥浦湾に沿って歩いて進む。すると、引き潮で干上が…
明星院前のサギ 福江島の南西部を見た後、南岸を東進し、福江の町近くの郊外に明星院という寺院の前に来た。のどかな田園地帯で、獲物を探している大きなサギを数羽見かけた。翼の色が青味がかった灰色で、飛んだ時に見える風切羽が黒いサギは、日本最大のサ…
井持浦教会 玉之浦町の大瀬崎周辺には、井持浦教会と玉之浦教会がある。この玉之浦一帯は、五島に迫害の嵐が吹き荒れた明治初期、唯一迫害を免れた地区である。井持浦教会は、五島の他の教会と同じく、江戸末期に大村藩から移り住んだ潜伏キリシタンにより信…
城岳展望台 魚津ヶ崎を目の前に眺める魚津ヶ崎公園から後ろを振り返ると、先ほどの標高216mの城岳展望台を眺めることができる。 魚津ヶ崎公園 今はキャンプ場としても利用されている、魚津ヶ崎(ぎょうがさき)公園のあるこの入江周辺は、古代には遣唐使船…
極楽寺 若松港ターミナルの近くに極楽寺が建っている。浄土真宗本願寺派の寺院で、1625年ごろに建立された。重厚な瓦葺きの本殿の中に本尊の銅像如来立像が佇む。 極楽寺 本殿内に安置される本尊・銅像如来立像は、像高36.4cm、銅造・鍍金で、大きめの頭部…
福見教会 さらに南下し、奈良尾港に近づくと、岩瀬浦郷に福見教会がある。この地にキリシタンが初めて移住したのは寛政11年(1799)。5人の男女が外海から迫害を逃れて移住した。最初の教会が建てられたのは明治15年(1882)だが、2年後には台風で崩壊した…
矢堅目 奈摩湾の入口に位置する矢堅目は、円錐形の奇岩がよく目立ち、平戸から五島の西目の海上航路の目標になっている。この地は古くから奈摩湾に侵入する外敵の見張りのために、矢(守備兵)で堅(砦)めたことから「矢堅目」の地名が残されている。室町時…
小瀬良教会 津和崎灯台から有川へ戻る途中、道路脇の高台に赤い屋根の教会を見つけた。小瀬良教会という昭和26年(1951)に石垣の上に建てられた小さな教会でありながら、入口上には楽廊がある。内部は折り上げ式の天井。教会に向かって右側には、イエスを抱…
曽根教会 五島の三日目は、主にこれより北、北魚目地域のキリスト教の教会と景勝地を巡る。まず初めに、ホテル近くの曽根教会を訪れる。旧聖堂は明治32年(1899)、フランス人宣教師アルベルト・ペルー神父の指導により、鉄川与助が20歳の頃初めて教会建築に…
海童神社 新上五島町は若松島と中通島と周囲の島からなるが、中心の中通島は、南北に細長く十字架の形に近い。その十字の部分が中通島の中心部で、西に青方、東に有川の港がある。青方は博多から来て福江に向かう寄港地、有川は佐世保や長崎から来る寄港地で…
福江港、常灯鼻 福江港に面したホテルから、目の前に常灯鼻が見える。第30代領主・五島盛成公が石田城(福江城)を築くにあたり、北東からの波を防ぐため弘化3年(1846)に建造された。当時は防波堤としてだけでなく灯台の役目も担っていた。 屋根尾島 二日…
折紙展望台より 久賀島は馬の蹄のような独特な形をし、島の中心には山々に囲まれるように久賀湾が広がる。島の北東部にある折紙展望台は、島民がコツコツと手作りした展望台で、その功績が称えられ、2006年に国土交通大臣表彰の「手づくり郷土賞」を受賞した…
五島列島、福江港 6月初旬に、かねてから待望の五島列島を旅した。羽田を6時過ぎに飛び立ち、福岡で乗り継ぎ、10時過ぎには福江空港に着いた。早速、福江港ターミナルの遊麺屋(ゆめや)にて、五島名物の五島うどんを使った「あごだしちゃんぽん」を食す。…
ステゴドン象の復元模型 豪ノ浦町にある壱岐文化ホールの中庭に、ステゴドン象の復元模型が展示されている。このステゴドンは鮮新世後期から更新世にかけて(約100万年〜500万年前)アジアに広く分布していて、大陸から渡ってきて小型化している。1971年に勝…
創作会席料理の先付 壱岐島での最後の晩餐は、湯の本温泉発祥の地といわれる平山旅館の創作会席料理。先付は、チーズ豆腐、新もずく、活赤雲丹。どれも美味しい。 お造り盛り合わせ お造り盛り合わせには、メインのキジハタに、鯛、鰹のたたき、栄螺の刺身と…
白沙八幡神社の巨大な鳥居 壱岐空港および壱岐随一のビーチ筒城浜の近くに、白沙八幡神社がある。巨大な鳥居の扁額の上部には、八幡神の使いである鳩が鎮座している。ブラジルに移住した人々によって奉献されたという。 二の鳥居 道路の海側には目新しい巨大…
壱岐神社の大鳥居 壱岐の東の玄関口、芦辺港を囲む湾の入口にある少弐公園の手前に壱岐神社が建っている。少弐公園には、元寇の遺跡や当時の壱岐守護代少弐資時の墓や狼煙台などがある。 壱岐神社の拝殿 壱岐神社の祭神として、弘安の役にて19歳で戦死した少…
男嶽神社 女嶽神社の先、壱岐島の鬼門・男岳山(168m)の山頂付近に男嶽(おんだけ)神社がある。明治時代まで山全体が神体とされ、一般人の入山が禁止されていた霊山という。 男嶽神社の鳥居 鳥居の脇には展望台があり、壱岐の島の様子を見渡すことができ…
箱崎八幡神社 次に向かったのは、壱岐の北東部、芦辺町の箱崎にある箱崎八幡神社。道路に面してがっしりした一の鳥居が建つ。 二の鳥居 40段ほど石段を上ると少し広くなって、二の鳥居の先にまた石段が続く。苔も草も多い。 三の鳥居と社殿 石段を上り詰めた…
「夫婦楠」 住吉神社の二の鳥居 壱岐風土記の丘のすぐ南、壱岐島のほぼ中央に住吉神社がある。平戸藩主により寄進された、苔むした大きな二の鳥居の奥、参道の先に一段高くなったところに社殿が見える。 竹生島神社と稲荷神社 境内に入りすぐ左にある神池の…
猿岩 翌朝も快晴。湯本湾を囲む黒崎半島の先端に、壱岐のシンボルともいうべき「猿岩」がある。壱岐島が誕生する謂れとして、「壱岐は生きた島なので流されないようにと八本の柱を立てて繋いだが、その柱は折れのこり、今も岩となって残っている」という言い…
元寇「新城の千人塚」 新城神社のすぐ東に元寇「新城の千人塚」がある。千人塚は、「少弐の千人塚」(弘安の役・瀬戸浦古戦場)、「浦海海岸の千人塚」(文永の役の戦死者を葬った場所)など、壱岐島内に6ヶ所確認されているが、この文永の役新城古戦場の千…
諏訪大社の御柱 辰ノ島周遊のあと勝本浦に戻って史跡散歩を続ける。曽良の墓があると聞いて、城山公園に向かった。蕉門十哲の一人である河合曽良の終焉の地である勝本町は、曽良翁の生誕地である長野県諏訪市と平成6年(1994)友好都市の提携を行った。その…
辰ノ島上陸 いよいよ辰ノ島に上陸する。渡し船の発着所から波打ち際に遊歩道が整備されている。低潮線保全区域に指定されている石波止という浅瀬の入江全体がネットで囲まれて辰ノ島海水浴場となっている。 キキョウ エメラルドブルーの海の色を味わいながら…
辰ノ島クルーズ出航、串山半島 いよいよ、壱岐の最北端に浮かぶ小さな無人島、辰ノ島クルーズに出かける。遊覧船に乗って勝本港を出てまず北に向かう。右手には深緑の串山半島と名鳥島が重なって見え、正面の若宮島との間の仲瀬戸が開けて玄界灘が垣間見える…
天手長男神社 郷ノ浦の中心部より北、国道382号線の東、鉢形山の麓に天手長男(あめのたながお)神社の鳥居があり、階段を上るとまた鳥居があって境内に建つ社殿が見える。『延喜式神名帳』に載る式内名神大社で、壱岐国一宮の天手長男神社に比定されている…
国津意加美神社 壱岐島の西南に位置する郷ノ浦は、壱岐の表玄関として多くの観光客が訪れる島の中心地である。その中心にある壱岐市役所すぐ近くの道路に面して、国津意加美(くにつおがみ)神社がある。石段の上に鎮座する一対の狛犬は壱岐の明光として知ら…
岳ノ辻展望台 壱岐島の南部に、島内最高峰の岳ノ辻がある。山頂付近に設けられた展望台からは、玄界灘に囲まれた島全体がぐるりと見渡せる。西の展望台からは、右手に郷ノ浦港が見下ろせる。港の北側の元居浦(白いアーチ型の橋のすぐ向こう)には、安政6年…
鏡岳神社、遥拝所 志々岐神社の後、壱岐島南端にある鏡岳神社を目指して、全く人気のない道路を小一時間ほど進んだ。小さな初瀬漁港の東にある豊かな緑に覆われた小山が鏡岳。標高50mほど、316段の石段で知られる神社で一の鳥居の脇には新しい遥拝所が設け…
原の辻・石田地区 原の辻・石田地区マップをみると、壱岐南東部の石田地区には、壱岐空港やフェリー発着の印通寺港、海水浴場など現在も賑やかな観光地となっているのがわかる。松永安左エ門記念館も後で立ち寄ることにする。その裏に碧雲荘がある。 碧雲荘…