半坪ビオトープの日記

福島

裏磐梯、中瀬沼・レンゲ沼探勝路

裏磐梯、曽原湖 雄国沼の散策の後は裏磐梯高原で泊まり、翌日はいくつかの湖沼を散策して回った。裏磐梯で最大の桧原湖の東に、曽原湖がある。一応曽原湖畔探勝路が設けられているのだが、湖畔は別荘地として販売されているためかほとんど沼に沿って歩くこと…

雄国沼遊歩道

タテヤマリンドウ 雄国沼にはニッコウキスゲやレンゲツツジの他にも多くの花が咲いている。ワタスゲやタテヤマリンドウは6月初旬が見頃のようだが、まだあちこちで咲いている。タテヤマリンドウ(Gentiana thunbergia var. minor)は、ハルリンドウの高山型…

雄国沼

雄国沼と猫魔ヶ岳 10日ほど前に福島県北塩原村(裏磐梯)にある雄国沼湿原を訪れた。雄国沼は正面の猫魔ヶ岳(1,404m)や雄国山(1,271m)、古城が峰、厩岳山などを外輪山にもつ、猫魔火山のカルデラにある湖沼である。以前は陥没カルデラに水が溜まったカ…

御薬園、松平氏庭園

前述したように御薬園の起こりは、室町時代に霊泉の湧き出したこの地に永享4年(1432)蘆名盛久が別荘を建てたのが始まりといわれる。その後寛文10年(1670)会津藩2代藩主保科正経が領民を疫病から救うために園内に薬草園を作り、3代藩主松平正容が貞享…

御薬園、薬草標本園

土湯で泊まった翌日、会津若松市にある御薬園を見学した。会津松平氏庭園として国の名勝に指定されている。 御薬園の起こりは、室町時代に霊泉の湧き出したこの地に、永享4年(1432)蘆名盛久が別荘を建てたのが始まりといわれる。敷地は約1.7haあり、中央…

土湯温泉

岳温泉から宿泊地の土湯温泉に向かう。土湯の地名は、「突き湯」から変化したといわれる。その開湯伝説は二つある。国造りの神・大穴貴命が陸奥の国に下る際、荒川のほとりを鉾で突いたところ、そこから湯が湧き出たという。また、用明2年(587)聖徳太子の…

安達太良山、薬師岳展望台

安達太良山山頂からは、北の稜線を牛の背まで進み、右に折れてくろがね小屋に向かい、勢至平を下ってゴンドラ麓駅に戻るのが一般的なルートだが、膝が心配なため今登って来た最短コースを戻ることにする。 ハイマツ帯に入ると小さなイソツツジ(Ledum palust…

安達太良山、山頂

やがてナナカマドなどの木々の彼方に、安達太良山の山頂が望まれるようになった。 山頂に近づくと森林限界を超えて樹木がなくなり、急に視界が開ける。岩がゴロゴロとむき出しになった山頂の岩峰(通称「乳首」)に登山者が上り詰める姿が見える。右には牛の…

安達太良山、仙女平分岐

大きな小葉を広げた中に白い小花をたくさん咲かせているのは、ナナカマド(Sorbus commixta)である。北海道〜九州の山地帯〜亜高山帯に生える落葉高木で、高さは6〜10mになる。葉は互生し、奇数羽状複葉で、小葉は4〜7対ある。枝先に複散房花序を出し、…

安達太良山、五葉松平

翌朝は快晴だった。6月上旬の福島県はまだ梅雨入り前だったが、三度目にしてようやく安達太良山のハイキング日和に巡り会えた。 奥岳登山口から薬師岳山頂まで、高低差390mをあだたらエクスプレスというゴンドラで上がることができるので、高齢者でも安達…

相馬中村神社

相馬市の市街地中村は、江戸時代に相馬氏6万石の城下町として栄え、陸前浜街道の中村宿として賑わった。市街地の西側丘陵に、中村城(馬陵城)跡があり、その西一角の妙見郭には、相馬三妙見の一つで「お妙見さま」と呼ばれ親しまれている相馬中村神社があ…

阿弥陀寺

南相馬市鹿島区の北部の相双丘陵地の南斜面に、相馬を代表する古刹、浄土宗の阿弥陀寺がある。阿弥陀寺は、中世の北関東に勢力を持った新田岩松氏の一族岩松義政の菩提寺であり、中世の東北南部の浄土宗の普及に中心的な役割を果たした。応永13年(1406)に…

石炭・化石館、常磐自動車道

三箱山勝行院の500mほど東に「いわき市石炭・化石館ほるる」がある。ここでは炭鉱の歴史や仕組み、石炭の利用について紹介し、採掘道具、模擬坑道に加え、常磐線での石炭輸送に活躍したD51型蒸気機関車も展示している。 石炭・化石館の目玉は、なんといって…

三箱山勝行院

常磐線湯本駅の西側に湯本温泉街が広がっている。湯本は古くは三函(さはこ)と呼ばれた。10世紀に成立した『拾遺和歌集』には、「飽かずして別れし人の住む里は さはこの見ゆる山のあなたか」(詠み人知らず)の歌がある。「湯本」の名がみえるのは南北朝時…

白水阿弥陀堂

6月上旬に安達太良山ハイキングのため会津に出かけた。初日は、東日本大震災以来、ようやく全線開通した常磐自動車道を通って、いわき市、南相馬市に立ち寄りながら会津に入った。いわき市では、国宝の白水阿弥陀堂を訪ねた。白水川にかかる朱塗りの阿弥陀…

あぶくま洞

郡山から20数km東、阿武隈山系の最高峰大滝根山(1192m)の東麓にあぶくま洞がある。昭和44年(1969)石灰岩の採石中に発見され、4年後には洞内が整備されて公開された。 この一帯には南北約4km、東西約1kmにわたり滝根層という石灰岩層がある。約3億年…

阿邪訶根神社

郡山駅のすぐ北西に総産土阿邪訶根(あさかね)神社がある。社伝によると、康平年間(1058-64)、伊勢国の阿坂(阿邪訶)より猿田毘古命の分霊を迎え祀り、道祖神社として創建されたのが始まりとされ、俗に「総産土(うぶすな)大神」と称されていたという。…

安積国造神社

郡山駅近くに安積国造神社が建っている。成務天皇5年(135)比止禰(ひとね)命が初代安積国造に任命されて安積国を建国し、神社を創建して和久産巣日神(わくむすひのかみ)と天湯津彦命を祀ったのが起源と伝わっている。比止禰命の死後には比止禰命が、坂…

安積歴史博物館

翌日は安達太良山に登ろうと思ったのだが、ロープウェイ乗り場へ向う道が既に渋滞で車が動かない状態。おまけに風が強く吹いてきたので登山は諦めた。郡山市内の史跡とあぶくま洞を見て、早めに帰ることにした。 安積歴史博物館は、郡山市に所在する県立安積…

智恵子の生家

黒塚の北西、安達駅の南西約1kmの通り沿いに智恵子の生家がある。高村(旧姓長沼)智恵子は、明治19年(1886)清酒「花霞」を醸造する「米屋」という屋号の裕福な造り酒屋の長女として生まれ、日本女子大を卒業後は洋画家となり、亡くなるまでに数多くの油…

黒塚、観世寺

曽良の随行日記には、「供中ノ渡ト云テ、アブクマヲ越舟渡し有リ。その向ニ黒塚有。小キ塚ニ杉植テ有。又、近所ニ観音堂有。大岩石タヽミ上ゲタル所、後ニ有。古ノ黒塚ハこれならん、右ノ杉植し所は鬼ヲウヅメシ所成らん、ト別当坊申ス。天台宗也」とあるが…

安達ヶ原、黒塚

謡曲「黒塚」で有名な鬼婆伝説が残る安達ヶ原は、阿武隈川東岸の小高い丘陵一帯に広がる。川岸近くの老杉の下に、鬼婆を埋めたという黒塚がある。 「みちのくの安達ヶ原の黒塚に 鬼こもれりといふはまことか」という平安時代の三十六歌仙の一人、平兼盛の歌…

称念寺

二本松駅前(北)にある二本松神社の近く(北東)に、二松山安達院称念寺がある。文治元年(1185)法相宗の尊道和尚により開山された際は松念寺と称した。弘安3年(1280)奥州に来ていた一遍上人に時の住職秀山和尚が帰依し、時宗に改宗開山し称念寺と寺号…

大隣寺

二本松神社の約1km西に、曹洞宗の大隣寺がある。丹羽家の菩提寺であるが、二本松少年隊の供養塔などもある。参道入口左手には、ここで戦死した少年隊副隊長の二階堂衛守と隊士の岡山篤次郎両名の石碑がある。 巨邦山大隣寺は、丹羽家初代長秀を弔うために、…

二本松神社

二本松駅のすぐ北の小高い丘が、二本松神社の森である。道路脇の一の鳥居から石段の参道を上ると二の鳥居が建っている。 さらに上っていくと、どっしりとした構えの随神門が建っている。寛政6年(1794)の大火で焼失した後、文化4年(1807)に再建されたも…

二本松菊人形

翌日、会津地方は朝から雨だったので、雨の降っていない二本松に向う。十月中旬は、ちょうど菊人形の祭典が始まったばかりだった。二本松駅の北の高台にある二本松城は、室町時代中期に奥州管領を命じられた畠山満泰が築造したが、天正14年(1586)に伊達政…

押立温泉

磐梯山の南麓にある押立温泉は、緑深き森の中にある源泉掛け流しの温泉である。 宿の前の広い駐車場からは、雄大な磐梯山(1818m)が迫って見える。 大正9年に開湯された時は湯治場だった宿で、今では庭園露天風呂・半露天風呂・内湯の3通りの浴場が楽しめ…

磐梯山、裏磐梯高原

喜多方から裏磐梯高原の檜原湖を経て、時計回りに磐梯山を西から北、東と回って、南麓の押立温泉に向う。喜多方盆地から眺める磐梯山(1816m)は、手前に雄国山(1271m)、猫魔ヶ岳(1404m)があるはずなので、どれが山頂か見極めがたい。 裏磐梯高原の数あ…

喜多方「蔵の里」

喜多方市はかつて「北方」と呼ばれ、江戸時代には物資の集散地として、また若松城下と米沢を結ぶ街道の町として栄えていたが、今では「蔵の町喜多方」と呼ばれている。 しかし土蔵造りの蔵が家並みをなしているのは、喜多方駅の北東約9kmの杉山集落であり、…

願成寺

喜多方駅の北6kmほどの所に、浄土宗多念義派本山の叶山願成寺がある。どっしりと構えている山門は、元禄元年(1697)に建てられた、禅宗様と和様とを混ぜた建築物である。 入母屋造、銅板葺き三間一戸の楼門形式で、上層部に格子戸や連子窓がある。 蟇股には…