半坪ビオトープの日記

2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

大内宿、高倉神社

通りの中程に火の見やぐらがあり、その向かいに高倉神社の鳥居が建つ。後白河天皇の王子の高倉以仁王は、平家物語では治承4年(1180)、源頼政の勧めで平家を倒すため令旨を発し、兵を挙げたが宇治平等院での戦いで敗れ、渡部唱等と越後国小国の頼之を頼っ…

下郷町、大内宿

那須岳ハイキングを諦めた代わりに、福島県下郷町の大内宿に向かった。那須高原から福島県西郷村の甲子高原まで山腹を走り、4年前に開通した長い甲子トンネル(4345m)をくぐって下郷町に抜けた。下郷駅から大内宿に向かい中山峠を下った辺りに、八幡の大ケ…

那須温泉神社

石段を上がると左手に大きな五葉松がある。とちぎ名木百選の那須五葉松で、推定樹齢約800年とされる。 右手には御幣を立てた神馬像が立っている。 正面の拝殿は、昭和60年竣工で、延喜式内社温泉神社の扁額も真新しい。裏にある本殿は、慶長12年(1607)那須…

那須温泉神社

殺生石の手前西側に温泉(ゆぜん)神社がある。道路に面した一の鳥居の奥に社務所があり、その奥にこの二の鳥居がある。扁額は、一の鳥居と同じく石製のようだ。 二の鳥居の右手に相撲の土俵がある。 その先には見立神社がある。 この地に温泉を発見し、温泉…

殺生石

左の木道を進むと左手に千体地蔵と教伝地獄がある。 昔、白河の蓮華寺に教伝という住職がいた。生まれながらの不良少年だった教伝は、母と一緒に寺に住むようになっても素行が悪かった。元享元年(1321)のこと、教伝は友と那須温泉に湯治に出かける朝、母の…

那須湯本 殺生石

週末に那須の茶臼岳に登ろうと朝早く出かけたが、ロープウェイ乗り場の手前でひどい渋滞に遭い、ハイキングをあきらめた。那須高原展望台から見た那須連山は、紅葉の真っ盛りだった。 一番左の山が櫛ヶ峰(1638m)、中央やや右手の丸い山頂が茶臼岳(1915m)…

ニホンアカガエル

この週末に福島県南部の白河市周辺を旅した。最後に白河関跡を訪れたがその近くでアカガエルを2匹見つけ、連れて帰った。 捕まえたカエルは2cmほどの大きさで、今年生まれたアカガエルに間違いないのだが、小さいので今まで面倒見てきたヤマアカガエルかそ…

カボチャグラタンとポークソテーのきのこソース

カボチャが余っていたのでグラタンに挑戦した(4人前)。 ① カボチャ1/4個を切り分け電子レンジの根菜メニューで温める。 ② 鍋にオリーブオイル大2を熱し、切ったタマネギ大1個を炒め、しんなりしたら切ったベーコン4枚も入れて炒める。 ③ ②の鍋に小麦…

チキンソテーのトマトソース焼き

オーブンで焼いたチキンにトマトソースをかけてさらに焼く(4人前)。 ① 鶏もも肉4枚に切込みを入れ、皮目にフォークで穴をあけ、クレージーソルト大4を両面にしっかり振る。 ② クッキングシートの上に並べ、皮目を上にして250℃のオーブンで30分焼く。 ③ …

サンマのタンドリー風

サンマの塩焼きは簡単で美味しいが、飽きてきたので違う料理法を探した(4人前)。 ① 三枚におろしたサンマ4尾を水2カップ塩小2に5分漬け、水気をふいて食べやすい大きさに切る。 ② ビニール袋に入れ、小麦粉をまぶす。 ③ フライパンにオリーブオイル大…

武田氏館跡

甲府駅の3km北に武田氏館跡(武田神社)がある。武田信虎は、永正16年(1519)ここ躑躅ヶ崎の地に館を築造した。以後、勝頼が韮崎に新府城をつくるまで3代60余年にわたり、甲斐武田氏の領国支配の中心となったため、 武田氏館跡(躑躅ヶ岡館跡)として国の…

穴切大神社

甲府駅の南西1kmの辺りに穴切大神社がある。社記によれば、和銅年間(708~15)甲府盆地が湖だった頃、国司が巡見し、湖水の水を抜いた跡が良田になると考え、大己貴命に祈願を込めて、鰍沢口を切り開いた。そこから湖水の水を富士川に落とし、広大な良田を開…

甲斐善光寺

身延線善光寺駅の北に浄土宗の甲斐善光寺がある。武田信玄の信州攻略も天文22年(1553)の川中島の合戦以後、善光寺平をめぐる上杉謙信との激戦になるが、弘治3年(1557)の合戦で武田方が善光寺および戸隠付近を掌握し、北信の大部分を支配下においた。翌…

酒折宮

甲府市東部酒折駅の近くに酒折宮(さかおりのみや)がある。日本武尊(倭建命)が東国平定の帰途、甲斐国に滞在したと記紀に記された命の行宮の地である。 江戸時代に入って俳諧が隆盛すると、酒折宮は連歌濫觴の地として注目される。酒折宮における命と御火…

山梨岡神社、本殿

山梨岡神社の本殿は、1間社隅木入春日造・杮葺きである。神明造(切妻造)の妻に、向拝の軒が繋がった形になっている。簡素な素木造で、蟇股の彫刻も見事である。室町時代の建立で、飛騨の匠の造立といわれる。 本殿の前には、「夔(き)ノ神」と呼ばれる神…

山梨岡神社、拝殿

石和温泉駅北東の御室山(みむろさん)の麓に山梨岡神社がある。崇神天皇のとき疫病が流行し、厄払いのため勅命をもって創建されたと伝えられる延喜式式内社である。成務天皇のときに、麓のナシの樹を伐り拓いて社を遷し、「甲斐ヶ根・山梨岡神社」と号した…

窪八幡神社、若宮八幡神社

拝殿の右手にある鐘楼は、桁行1間・梁間1間、袴腰付、重層寄棟造・檜皮葺きで、天文22年(1553)に信玄により建立され、神仏習合の姿を残している。倒壊寸前の所、昭和56年に解体復元されている。 本殿の裏手には小さい末社がたくさん祀られている。左から…

窪八幡神社、鳥居

山梨市駅の北、笛吹川にかかる八幡橋の西に、窪八幡神社がある。貞観元年(859)清和天皇の勅によって、九州の宇佐八幡宮を笛吹川沿いの大井俣に勧請し、大井俣神社と称したのが始まりといわれる「延喜式」式内社である。東の参道の、境内から約150m離れた所…

清白寺

東山梨駅の東、果樹園の中程に臨済宗の清白寺がある。伽藍は禅宗様式に則り、総門・放生池・三門(鐘楼門)・仏殿・本堂が一直線状に配置され、足利尊氏が夢窓疎石を開山として、正慶2年(元弘3年、1333)に創建したという古刹である。正式には海涌山清白…

向嶽寺

塩山駅の北西にある塩ノ山(553m)の南麓にある向嶽寺は、臨済宗向嶽寺派の本山である。康暦2年(1380)守護武田信成が抜隊得勝を招いて塩山向嶽庵を建立したのが始まりと伝わる。以後武田氏の保護を受け、信玄もみずからの祈願寺とし、寺領の寄進をした。…

旧高野家住宅

塩山駅北口の前に甲州特有の突上げ屋根が見える。旧高野家住宅である。甲州を代表する民家で、古くから「甘草屋敷」と呼ばれて来た。高野家は江戸時代に、代々名主を務めて来た家柄である。「甲州甘草文書」によると、8代将軍徳川吉宗の享保5年(1720)に、…

裂石温泉雲峰荘

雲峰寺を見学した後、近くの裂石温泉雲峰荘に泊まった。大菩薩峠登山口から青梅街道を柳沢峠に向かうとすぐ右手に佇む裂石温泉は、登山後の日帰り入浴も出来る温泉で、昔から登山者に人気がある。 温泉は柳沢峠から下る重川の渓流沿いにあり、せせらぎの音や…

雲峰寺

大菩薩峠登山口から少し上った左手に、臨済宗の裂石山雲峰寺がある。寺伝によると、天平17年(745)に行基が開いたという。中世に武田氏の祈願所として崇敬を集めた。 本堂の手前に、樹齢数百年といわれるエドヒガンザクラの大木がある。 桜の木の右手奥にあ…

恵林寺、信玄墓所

うぐいす廊下の先には信玄霊廟明王殿があるが、外からは「明王殿」と扁額の掲げられた古めかしい門が見える。 明王殿は、柳沢吉保の子吉里により元文5年(1740)に造営され、そこには武田不動尊が安置されている。比叡山より大僧正の位を受けた際、記念像と…

恵林寺、庭園

恵林寺は明治35年の大火で、本堂や庫裏など主要な伽藍を失ったが、三門・四脚門と、信玄霊廟明王殿や開山堂などは残った。明王殿や庭園、信玄や柳沢吉保の墓などの拝観受付は大庫裏であり、この門をくぐって入る。 大きな庫裏は日本有数の規模を誇る。第二次…

恵林寺、三門

塩山駅の北西約3kmの所に武田信玄の菩提寺、臨済宗の乾徳山恵林寺がある。元徳2年(1330)牧荘の領主二階堂道蘊が、夢窓疎石を開山にして創建した。五山・十刹につぐ諸山に列せられ、南北朝時代には多くの禅僧が、京・鎌倉より入寺し、東国の臨済禅の中心…

大菩薩、雷岩

上りがきつく息づかいが荒くなった頃、ようやく視界が開けて来て雷岩に着いた。 富士山には雲がかかり始めて来た。富士山の手前には大菩薩湖(上日川ダム)が見える。 昔はなかったダムで、1999年に完成したらしい。 富士山の右手には、遠くに南アルプスの山…

大菩薩ハイキング

一昨日の土曜日に大菩薩にハイキングに出かけた。二つの台風の合間で天気が心配だったが、運良く朝は晴れていた。上日川峠の長兵衛山荘前に着いたのは9時半過ぎで、既に駐車場はかなり混んでいた。 福ちゃん荘までは林道を歩くのだが、9月も終わりなので秋の…