半坪ビオトープの日記

オタトマリ沼、南浜湿原

f:id:hantubojinusi:20210605144211j:plain

オタトマリ沼

利尻島南部は、オタトマリ沼・南浜湿原・仙法志御崎海岸など利尻山を望む展望スポットが点在する。オタトマリ沼から眺める利尻山は、万年雪のあるヤムナイ沢を正面にするアルペン的山容というので、分厚い雲に覆われて姿が確認できないのは残念である。オタトマリ沼は爆裂火口の底が泥炭地となったもので、沼の周囲は爆裂火口内に発達した特異な湿原が広がっている。近年の研究では4000〜4500年前に湿原が形成されたと推測されている。オタトマリとは、アイヌ語のオタ・トマリ(砂・泊まり地)に由来する。

f:id:hantubojinusi:20210605145526j:plain

オオアマドコロ
オタトマリ沼には、水鳥の舞う沼を一周する遊歩道もある。周囲約1.1kmで、所要時間は約20分。歩き始めてすぐ、オオアマドコロ(Polygonatum odoratum var. maximowiczii)を見つけた。花弁は合着、茎は弓形で丸く、アマドコロとよく似るが、葉を含めて全体に大きく、アマドコロの筒状花が1〜2個なのに対し、オオアマドコロでは2〜4個になる。よく見ると2個、3個、4個の花が認められる。アマドコロは日本全国に自生するが、オオアマドコロは東北および北海道に自生する。

f:id:hantubojinusi:20210605145425j:plain

クロイトトンボのメス
黒いイトトンボを見つけたが同定が難しい。全身が黒く、胸部が黒と黄色なのが唯一の特徴であろう。胴が細いので、おそらくクロイトトンボのメスと思われる。

f:id:hantubojinusi:20210605145752j:plain

ギンラン
こちらの小さなランの花は、ギンラン(Cephalanthera erecta)という多年草。日本全国の明るい林内に生育し、花期は5〜6月。葉は互生し、基部は茎を抱く。茎先に数個の白い小さな花をつける。

f:id:hantubojinusi:20210605145858j:plain

ヤマドリゼンマイ
こちらのシダ植物は、ヤマドリゼンマイ(Osmundastrum cinnamomeum var.fokeiense)という。ゼンマイ属とは別属で、ヤマドリゼンマイ属という1属1種の植物である。日本各地の山地の湿原に生育し、往々にして群生する。若々しい黄緑色の栄養葉と赤褐色の胞子葉が別々に出る二形性が特徴的で目立つ。

f:id:hantubojinusi:20210605150005j:plain

オオスギゴケ
こちらの苔は、オオスギゴケPOlytrichum formosum)。日本各地に普通に分布するスギゴケの仲間だが、花のように見える雄株が揃うと壮観である。

f:id:hantubojinusi:20210605150056j:plain

イソツツジ
こちらの小さなツツジは、イソツツジLedum palustre var.diversipilosum)という常緑小低木。北海道および東北地方の亜高山帯や高山帯の岩礫地や湿った草地に生育する。高さは1m弱。エゾイソツツジともいう。

f:id:hantubojinusi:20210605150455j:plain

アキグミ
こちらのグミの花は、アキグミ(Elaeagnus umbellata)という落葉低木。北海道の西部以南、本州、四国、九州などの日当たりの良い林道脇に広く生育する。4〜6月に花をつけ、秋に赤い実が熟す。果実は果実酒など食用となる。

f:id:hantubojinusi:20210605150557j:plain

ナナカマド

こちらの白い花は、ナナカマド(Sorbus commixta)という落葉高木。日本全国の山地に生え、樹高は3〜12mになる。初夏に白い花を多数咲かせ、秋には赤く染まる紅葉や果実が美しいので好まれる。赤い果実は鳥の食用となるが、果実酒にも利用できる。

f:id:hantubojinusi:20210605150929j:plain

オタトマリ沼

静かなオタトマリ沼には多くの鳥が群がり、思い思いに餌をとったり、休んだりしている。

f:id:hantubojinusi:20210605152114j:plain

南浜湿原(メヌウショロ沼)
オタトマリ沼より2kmほど南西に南浜湿原(メヌウショロ沼)がある。利尻島最大の高層湿原とはいっても面積は6haほど。海のすぐ近くで海抜約5mの低層湿原でありながら、「ミズゴケ」が繁茂する高層湿原でもあるという、日本では類を見ない珍しい湿原といわれる。

f:id:hantubojinusi:20210605152025j:plain

メヌウショロ沼の周りのアカエゾマツの林
メヌウショロ沼の周りにはアカエゾマツの林が広がる。南浜湿原(メヌウショロ沼)もオタトマリ沼とほぼ同様に形成されたと考えられていて、湿原の泥炭層は厚さ4mにも及ぶ。

f:id:hantubojinusi:20210605151959j:plain

ミツガシワの間に白鷺
メヌウショロ沼の周りにはミツガシワ(Menyanthes trifoliata)の白い花がたくさん咲いている。その中に白鷺が立っている。正式にはシラサギという種名はなく、ダイサギチュウサギコサギとなっているが、大きさだけで区分けされているので、残念ながらこれはチュウサギだろうと推測するしかない。

f:id:hantubojinusi:20210605152201j:plain

オオバナノエンレイソウ
メヌウショロとはアイヌ語で「遊水池のある湾」。爆裂火口が縄文海進で入江となり、その後の海退で沼となって取り残されたとされるが、名付けが縄文時代に遡るのか興味深い。この花は、オオバナノエンレイソウTrillium camschatcense)という多年草。北海道と本州北部の平地の草原から亜高山帯の湿地や林内に自生する。
 


 

利尻島、利尻町立博物館

f:id:hantubojinusi:20210605135208j:plain

利尻島、神居海岸パーク
フェリーは利尻島北部の鴛泊港に着いたが、宿泊地の沓形に移動し、そこで車を借りて利尻島観光をスタート。初日は西から南を巡る。まずは神居海岸パークだが、残念ながら今年はオープンが遅れてまだ開設前だった。元船揚げ場を再利用し、ウニ取り、ウニ剥き、利尻昆布の土産作りなど、夏だけ開設する体験施設で、ウニや昆布を使った軽食も味わえるという。

f:id:hantubojinusi:20210605135125j:plain

神居海岸
利尻島はまだ天候不順が続き、神居海岸近くの海も荒れていて、打ちつける波飛沫が磯を白く際立たせている。

f:id:hantubojinusi:20210605140500j:plain

利尻町立博物館
利尻島南部にある利尻町立博物館では、利尻町の自然や歴史、利尻の人々の生活や文化などを知ることができる。館内は写真撮影OKなので助かる。

f:id:hantubojinusi:20210605140809j:plain

昆布狩りの漁具:マッカ
玄関を入るとすぐにマッカという昆布狩りの漁具が展示されている。長さ約2.7
mで、昆布を巻きつけて根ごと引き抜く。道内各地でも使われている。

f:id:hantubojinusi:20210605141447j:plain

利尻島の形成
利尻島は、名峰利尻山を中心とする周囲60k
mの、ほぼ円形の火山でできた島である。およそ1000万年前に土台ができて、約10万年前から1万年前に火山活動があったとされ、活火山に指定されている。東北から北海道の中央山地にかけてのびる火山帯から遠く離れた孤高の火山と言われる謎は、近年、太平洋プレートが屈曲して沈み込むという特殊な条件により形成されたことが明らかにされた。利尻各地に散在するポン山の「ポン」はアイヌ語で「小さい」を意味し、北部と南部に小高い丘がいくつかあり、前者は古い時代の溶岩ドーム、後者は新しい時代のスコリアと呼ばれる噴出物が三角錐状に積み重なったものだという。

f:id:hantubojinusi:20210605141508j:plain

利尻山
最北の百名山、標高1721mの利尻山は、利尻富士とも呼ばれるように、いくたびにもわたる噴火により流れ出た溶岩や火砕物が積み重なってできた成層火山である。時期と場所により溶岩の粘り具合が一様でなかったため、見る方向によって景観は多様であると言われるが、残念ながら今回は厚い雲に覆われて利尻山の全容が見えなかった。

f:id:hantubojinusi:20210605141522j:plain

利尻山のヤムナイ沢
礼文島から見た利尻山は北西面で、まだかなり多くの沢に残雪があったが、万年雪があるヤムナイ沢など、島内の多くの沢にはかつて氷河が存在したと考えられている。

f:id:hantubojinusi:20210605141532j:plain

利尻島内で見られる動物
利尻島にはヒグマやエゾシカ、キタキツネや蛇は生息せず、海岸にはトドやゴマフアザラシがやってくる。島内で見られる動物は、イタチやシマリスなどの小動物だけである。例外として、2018年に北海道本島から約20km離れた利尻島に、ヒグマが泳いで上陸したという。

f:id:hantubojinusi:20210605141645j:plain

利尻島内の遺跡
利尻島内には旧石器時代から擦文時代まで、約30ヶ所の遺跡が確認されている。沓形の亦稚(またわっか)貝塚から出土したトナカイの角には、クマやクジラと思われる動物が多数彫刻されていて、北海道の指定文化財に認定されている。

f:id:hantubojinusi:20210605141627j:plain

亦稚貝塚と種屯内遺跡
亦稚貝塚と種屯内遺跡は、沓形港周辺の縄文時代後期から続縄文時代オホーツク文化期に形成された貝塚遺跡で、土器・石器・骨角器などの人工遺物が出土し、遠隔地との交流も証明されている。亦稚貝塚で出土した骨偶はセイウチの骨から作られ、オホーツク文化エスキモーの文化との類似が想定されている。

f:id:hantubojinusi:20210605141705j:plain

種屯内遺跡から出土した人骨
種屯内遺跡の墓から出土した人骨は、屈葬で埋葬された若い女性で、歯が激しく磨耗していることから衣類に使う毛皮を歯で舐めしていたと推定されている。副葬品としてほぼ完形の土器が頭に脇に埋められていた。

f:id:hantubojinusi:20210605141746j:plain

装飾された土器
装飾されたトナカイ角が出土した亦稚貝塚の同じ場所から発見された土器4点には、特異な装飾が見られる。特に右の土器には動物10個体が描かれ、希少例とされる。このように利尻島にはオホーツク文化の遺物が多いのが特徴である。

f:id:hantubojinusi:20210605141927j:plain

ニシン番屋とヤン衆
こちらはニシン番屋とヤン衆。明治から昭和にかけてニシン漁の出稼ぎに来ていた若い衆とニシン番屋の情景が再現されている。手前には、今井家資料が展示されている。明治30年(1897)に今井三之助が大山文蔵から、漁場(漁業権)および鰊漁事業を購入した時の文書である。

f:id:hantubojinusi:20210605140729j:plain

藤野家の資料
こちらは幕末に、西は宗谷・利尻・礼文、東は斜里・根室・国後・択捉と東西奥蝦夷地の大場所をその手に収め、松前第一の豪商と言われた藤野家の関連資料である。道内各地に残る史跡や建造物等の歴史資料により藤野家の足跡を探ることができる。

f:id:hantubojinusi:20210605140742j:plain

藤野家の関連資料

利尻・礼文の場所請負人になった初代藤野喜兵衛は、近江国豪農の生まれで、天明元年(1781)12歳で福山(松前)に渡り、姉の夫に丁稚奉公し、寛政二年(1800)20歳で独立し、蝦夷地物産の売買運輸業を始めた。その後、余市・宗谷・利尻・根室樺太などへ場所請負人を広げ、松前第一の豪商となった。藤野家は明治以降も北海道・樺太で事業を幅広く展開した。稚内市の宗谷厳島神社をはじめ、道北には藤野家が開いた神社や寺院がいくつも残されている。

 

稚内港北防波堤ドーム、北門神社

f:id:hantubojinusi:20210604142201j:plain

稚内港北防波堤ドーム
稚内港北防波堤ドームは、稚内港の防波堤の役割及び、稚内樺太を結ぶ鉄道連絡船(稚泊連絡船)の桟橋から駅までの乗り換え通路を兼用するために、1931年から五年かけて建設された。その後、稚内桟橋駅が開設され、乗客はドーム内を歩いて桟橋に待つ連絡船に乗り込んだ。

f:id:hantubojinusi:20210604141955j:plain

稚内港北防波堤ドーム
ドームの高さは約14m、長さ427m、古代ギリシア建築を彷彿とさせる70本のエンタシス状の柱列群は、斬新な印象を与える。設計者は土屋実。当時、北大卒三年の26歳で、北海道庁の技師であった。

f:id:hantubojinusi:20210604141713j:plain

稚内港北防波堤ドーム
終戦後、線路は撤去されたが、防波堤の機能は維持され、1981年に全面改修された。現在は北海道遺産に指定され、周辺は整備されて公園となっている。

f:id:hantubojinusi:20210604115146j:plain

スラッピージョー
昼食はハンバーガーレストラン:デノーズ。稚内で人気のB級グルメ:スラッピージョーを注文。直径20cmほどの巨大ハンバーガーに大量のチーズをかけた、アメリカ発祥の料理。二人で食べるのがやっとの大きさ。

f:id:hantubojinusi:20210604173540j:plain

生牡蠣
夕食は、郷土料理店:北の味心竹ちゃん。生牡蠣は確か厚岸産だったと思う。新鮮で美味しい。

f:id:hantubojinusi:20210604180125j:plain

生タコの唐揚げ
こちらは生タコの唐揚げ。この店はタコのしゃぶしゃぶが結構人気だそうだが、唐揚げもうまい。

f:id:hantubojinusi:20210605083742j:plain

北門神社
翌朝は雨も上がり青空が見えたので散歩に出かけた。市街地の西の高台に広大な稚内公園がある。公園の北には氷雪の門があり、中央には開基百年記念塔が建ち、北方記念館もある。公園の入り口には北門神社が鎮座している。

f:id:hantubojinusi:20210605084043j:plain

稚内稲荷神社
石段を上って一段高い境内の右手奥に社殿が建っているが、左手には小さな稚内稲荷神社が建っている。祭神として宇迦之御魂神を祀る。

f:id:hantubojinusi:20210605084050j:plain

北門神社の社殿
右に参道を進むと、青銅製と思われる大きな鳥居が建ち、奥正面に北門神社の社殿が鎮座している。

f:id:hantubojinusi:20210605084138j:plain

三吉神社
社務所の先、またもや左手に白い鳥居と白壁の小さな社殿が建っていた。末社の三吉神社で、祭神として三吉大神を祀る。

f:id:hantubojinusi:20210605084147j:plain

北門神社の拝殿
北門(ほくもん)神社の歴史は古い。天明5年(1785)松前藩の場所請負人・村山伝兵衛が宗谷在駐の際、北門鎮護の守護神として天照皇大神を奉斎し、小社を建立して宗谷大神宮と称したことが創始と伝えられる。明治29年、現在地に社殿を移築し、武甕槌神事代主神を合祀して北門神社と称した。明治35年に社殿を竣工したが、明治44年、山火事のため焼失した。大正2年、社殿が再建され、昭和53年、社殿及び神輿殿が竣工遷座した。正面の大きな社殿が拝殿で、右に棟続きの建物が神輿殿。拝殿入り口には大祓の茅の輪神事の茅の輪が祀られている。

f:id:hantubojinusi:20210605084300j:plain

拝殿内
北門神社の拝殿内には鏡が安置されている。祭神として、天照皇大神武甕槌神事代主神を祀る。

f:id:hantubojinusi:20210605084403j:plain

本殿

拝殿裏手に続く本殿は木々に邪魔されてよく見えないが神明造である。

f:id:hantubojinusi:20210605085120j:plain

稚内公園の展望台から眺める市内
北門神社の脇からさらに石段を上っていくと、稚内公園に入っていく。すぐに市街地を眺める展望台がある。稚内港を取り囲むように左手から北防波堤とそのドームが認められた。

f:id:hantubojinusi:20210605101855j:plain

開基百年記念塔
稚内港から利尻島へフェリーで向かう時に、稚内市街地の上に連なる台地が眺められた。中央に高く聳える塔は開基百年記念塔である。1879年に宗谷村が設置されたことを稚内市の開基とし、1978年に100周年を記念して建てられた。海抜170mの丘の上に立つ高さ80mの鉄筋コンクリート造の塔の上部に展望室があり、ガラス越しに礼文島利尻島樺太まで見ることができるという。
 

稚内、樺太ノスタルジー

f:id:hantubojinusi:20210604122019j:plain

稚内、日本最北端の線路のモニュメント
翌日、礼文島から利尻島へ向かう船が天候不順で欠航となったため、稚内へ渡って次の日の朝、利尻へ向かうことにした。利尻島のホテルは一日順延してもらった。稚内も雨天だったが、少しは観光できた。ここは稚内駅をくぐり抜けた、昔、樺太へ向かった線路に使用していた車輪止めと線路。今は日本最北端の線路のモニュメントとして復元されている。

f:id:hantubojinusi:20210604144957j:plain

日本最北端の駅、稚内
稚内駅は日本最北端の駅であり、今は2012年にできた複合施設「キタカラ」の中の「道の駅わっかない」に併設されているため、改札を通らずに駅を眺めることができ、「日本最北端の駅」の標柱も目の前にできる。

f:id:hantubojinusi:20210604144940j:plain

北の始発・終着駅
JR北海道宗谷本線の稚内駅は、JR九州指宿枕崎線枕崎駅から3,000km離れていて、
「北と南の始発・終着駅」のある都市として、平成24年に友好都市締結をしている。
ちなみにJR日本最南端駅は指宿枕崎線西大山駅である。

f:id:hantubojinusi:20210604133725j:plain

稚内副港市場、樺太ノスタルジー、サハリン

稚内市は、北を宗谷海峡、東はオホーツク海、西は日本海に面し、宗谷岬から43km北にサハリン(旧樺太)を望む国境の街である。市内の稚内公園には「北方記念館」があり、日本最北の複合施設・稚内副港市場には樺太記念館が併設されている。ただし、訪問した日は二階の樺太記念館は休業中だったため、一階で「樺太ノスタルジー」や「稚内ノスタルジー」のギャラリーだけ見学した。日露戦争後の1905年に南樺太が日本領となってから40年後、1945年にソ連領となった。サハリン本島とクリル諸島を総称してサハリンと呼び、州都はユジノサハリンスク(旧豊原)。稚内市サハリン州の三つの都市と友好都市を締結している。街の名、稚内は、アイヌ語のヤム・ワッカ・ナイ「冷たい・水の・川」が略された名といわれる。

f:id:hantubojinusi:20210604131736j:plain

樺太の町
40年間の日本統治時代に南樺太には多くの開拓者が入植し、いくつもの町が築かれた。1907年に樺太庁が大泊に設置され、翌年豊原に移転した。

f:id:hantubojinusi:20210604131723j:plain

樺太の鉄道
樺太の鉄道は、1905年の樺太の楠渓から豊原間に軍需輸送のため敷設されたのが始まりとされる。その後も、1914年に川上線、1928年には豊真線、1937年には西海岸線の全線
が開業した。

f:id:hantubojinusi:20210604130005j:plain

稚内樺太大泊間の鉄道連絡航路
1923年に稚内樺太大泊間に稚泊航路が鉄道省により、また翌年には稚内樺太本斗間には北日本汽船株式会社により稚斗航路が開設された。最北の鉄道連絡航路の誕生であった。

f:id:hantubojinusi:20210604130102j:plain

稚内港駅
1923年の稚泊鉄道連絡船の開設により、稚内連絡船待合所は改修を進め、1928年に稚内港駅と改称された。その後、1938年に北防波堤構内に稚内桟橋駅ができてその役目を終えた。

f:id:hantubojinusi:20210604130041j:plain

稚内〜大泊の連絡航路
稚内〜大泊の連絡航路は、夏は濃霧、冬は流氷が海峡を埋め尽くす困難があった。そのため連絡船は日本初の砕氷客貨船だった。

f:id:hantubojinusi:20210604125913j:plain

稚内〜本斗の稚斗航路
稚内〜本斗の稚斗航路により樺太西海岸の開発はとりわけ盛んになった。ちなみに、本斗港は樺太唯一の不凍港といわれた。

f:id:hantubojinusi:20210604125922j:plain

稚内桟橋駅
1938年、それまでの稚内港駅に替わり、北防波堤ドーム内に稚泊航路の引き込み駅として稚内桟橋駅が設置され、翌年駅舎が完成し正式に開業した。貨物保管庫や待合所、乗降客用ホームと貨車用のホームがあって、樺太との貨客の往来で賑わった。

f:id:hantubojinusi:20210604130446j:plain

樺太水産業
樺太におけるニシン、マス、サケの漁業は松前藩統治時代から経営されていたが、1875年に樺太・千島交換条約でロシア領になった後も、日本人は漁業権を得て経営を続けた。1905年に樺太が日本領になると競争入札により漁業者を定めていた。

f:id:hantubojinusi:20210604130244j:plain

樺太の漁業
樺太の東西両岸は世界でも屈指と言われる好漁場で、南樺太が日本領になった当初は、漁業が基幹産業だった。漁業の中心はニシン、マス、サケだったが、他にもタラやカレイ、カニ、ホタテなどがあり、捕鯨も盛んに行われた。
 


高山植物園、レブンアツモリソウ原生地

f:id:hantubojinusi:20210602093855j:plain

高山植物園のレブンアツモリソウ

高山植物を探しながら礼文島の岬や草原をあちこち歩いたが、高山植物園にも寄ったので、そこの花も紹介する。礼文島北部の久種湖近くにある高山植物園には、約50種、約2万株の高山植物が育てられている。まずは礼文島の花を代表するレブンアツモリソウ(Cypripedium macranthos var.rebunense)。

f:id:hantubojinusi:20210602094209j:plain

シラゲキクバクワガタ

こちらはクワガタソウ属のシラゲキクバクワガタ(Veronica schmidtiana f.candida)。北海道の礼文島利尻島に分布する多年草。山地や海岸の岩礫地に生え、高さは5〜25cm。全体に白い毛が多く、葉は根元にまとまってつき、やや厚みがあり羽状に切れ込む。花は青紫色で穂状にたくさんつき、二本の雄蕊が長く突き出る。

f:id:hantubojinusi:20210602094214j:plain

シラゲキクバクワガタの白花種

同じくシラゲキクバクワガタの白花種。蕾は淡いピンク色で可愛らしい。

f:id:hantubojinusi:20210602094608j:plain

礼文島固有種のレブンソウ

こちらはオヤマノエンドウ属のレブンソウ(Oxytropis megalantha)という多年草。名のとおり礼文島固有種で、主に桃岩展望台などの南部の草地に生える。花期は6月〜7月だが、今回は残念ながら見つけることができなかった。全体に毛が多く、茎は地面を這い、草丈は1025cm。赤紫色の花を5〜15個上向きに咲かせる。

f:id:hantubojinusi:20210602094611j:plain

カラフトゲンゲ

似たような花に、イワオウギ属のカラフトゲンゲ(Hedysarum hedysaroides)という多年草があり、国内では礼文島大雪山など北海道だけに自生する。しかし、カラフトゲンゲ(チシマゲンゲ)は花が下向きに咲くので、この濃紫色の花はやはりレブンソウである。

f:id:hantubojinusi:20210602095144j:plain

レブンアツモリソウ

この高山植物園に併設される高山植物培養センターで無菌培養・温度管理されたレブンアツモリソウが、5月初旬から8月中旬まで楽しめる。これは鉢植えのためか、完璧な姿を披露している。培養センターでは、発芽成長に必要な共生菌培養株の栽培にも取り組んでいる。

f:id:hantubojinusi:20210602095055j:plain

ウルップソウ

青紫色の花を円柱状の花穂に多数つけて咲くこの花は、ウルップソウLagotis glauca)という多年草。北海道の礼文島と本州の白馬岳山系と八ヶ岳の高山帯に隔離分布している。氷期に日本に南下し、一部に生き残ったと考えられている。希少種で絶滅が心配されるため、自生地は公開されていない。北海道大雪山のみに特産するホソバノウルップソウLagotis minor var.yesoensis)と近縁種だが、葉の幅が違う。

f:id:hantubojinusi:20210828071750j:plain

礼文島固有種のレブンキンバイソウ

こちらはレブンキンバイソウ(Trollius ledebourii var.polysepalus)という礼文島固有種。桃岩展望台のキンバイ谷でも見かけたように、礼文島の南部の草地に生える多年草

f:id:hantubojinusi:20210602100937j:plain

レブンアツモリソウの原生地

高山植物園の近くの道路脇にレブンアツモリソウの原生地があり、数十株の花が咲いている。

f:id:hantubojinusi:20210602101029j:plain

レブンアツモリソウ

レブンアツモリソウは礼文島のみに自生する日本固有種で、主に礼文島北部の群生地で見られるが、乱獲被害を防ぐためのパトロールが常時ものものしく見張っている。

f:id:hantubojinusi:20210602101207j:plain

レブンアツモリソウ

レブンアツモリソウの群生地は、北海道の天然記念物として14.1haが指定されている。桃岩展望台コースでも数人のパトロールを見かけた。近年はパトロールの効果で乱獲が減っているというが、たいへんな努力である。

f:id:hantubojinusi:20210828072149j:plain

レブンアツモリソウ

レブンアツモリソウが見たいと思って礼文島に来たが、花が好きな身としても一種類の花を目指して山歩きに出かけることは珍しい。山と渓谷社の「花の百名山登山ガイド」の1番に礼文島のレブンアツモリソウが掲載されているが、開花時期が5月下旬から6月中旬に限定されていてなおかつ僻遠の地なので、中々企画を立てるのが難しかった。ようやくその可憐な姿を見ることができ十分満足した。

元地、地蔵岩、桃台・猫台

f:id:hantubojinusi:20210603135718j:plain

元地海岸のメノウ浜と地蔵岩

礼文島の玄関口・香深から新桃岩トンネルを越えたところにある元地漁港があり、その北に元地海岸がある。ここにはメノウ浜と地蔵岩があり、日本海に沈む夕陽が美しい場所として知られる。元地という地名は、アイヌ語のチェプ・モトチ(cep-motochi=魚・背骨)に由来すると推測されている。

f:id:hantubojinusi:20210603135852j:plain

元地海岸のメノウ浜と地蔵岩

礼文島にある奇岩の一つである地蔵岩は、お地蔵さんが手を合わせているように見えることからその名が付いた。地蔵岩は礼文島北部の花中を起点とし、西海岸を歩く「西海岸8時間コース」の終点にもなっているが、宇遠内〜元地は落石や崩落の危険があることから通行を禁止、現在は香深井がゴールに変更されている。

f:id:hantubojinusi:20210603140135j:plain

地蔵岩

火山島である利尻島とは対照的に、礼文島は、島の最高峰・礼文だけを中心に分布する白亜紀礼文層群と、新第三紀の元地層などで構成されている。元地海岸には前期白亜紀礼文層群地蔵岩層と断層で接して溶結凝灰岩があり、これがメノウ浜層であり、地蔵岩は礼文島白亜紀で最も古い礼文層群地蔵岩層であり、灰緑色凝灰質砂岩と紫灰色珪質頁岩が互層する硬質な堆積岩で形成されている。地蔵岩は直立した層理面に沿って侵食が進み、背後の尾根から分離した状態となっている。この地蔵岩層にはハイアロクラスタイトや砕屑性の石灰岩層が挟在している。北海道地質百選にも選ばれている。

f:id:hantubojinusi:20210603145407j:plain

桃岩を眺める展望台、桃台・猫台より

桃岩の手前に桃台・猫台という桃岩・猫岩を眺める展望台があり、観光バスがたくさん止められるように比較的大きな駐車場がある。

f:id:hantubojinusi:20210603145540j:plain

桃岩

桃岩を西から眺めると、放射状の柱状節理からなる核と、それを取り囲むように結晶質及びガラス質のバンドが何層も見える。外縁に近づくと、マグマが泥と接触した時にできた角礫状の岩石(ペペライト)が観察できる。潜在円頂丘の内部が見えることで世界的にも有名である。桃岩の標高は250mである。

f:id:hantubojinusi:20210603145511j:plain

ツバメ山の断崖、猫岩、ユースホステル桃岩荘

南西方向には標高233mのツバメ山の断崖が屹立し、右下に猫岩が見える。手前のエンカマという海岸に建つのはユースホステル桃岩荘。築約140年超の元鰊番屋を改装して半世紀前に建てられた。

f:id:hantubojinusi:20210603145625j:plain

猫岩

猫岩の標高は29m。その左奥の岩に涎のように見える白い筋は、ウミネコの糞である。

f:id:hantubojinusi:20210603145643j:plain

桃台・猫台の前の断崖

南東方向は桃岩とツバメ山の中間にあたるが、この断崖も幾重にも複雑な岩層が積み重なって見るものを圧倒する。

f:id:hantubojinusi:20210603145751j:plain

元地港

北を眺めると元地港が見える。その先は断崖絶壁の海岸が続く。

f:id:hantubojinusi:20210603180444j:plain

民宿の夕食

その晩は香深の民宿に泊まったが、少しずつでも色とりどりの海の幸を食べることができた。

f:id:hantubojinusi:20210604070302j:plain

ホッケのちゃんちゃん焼き

翌朝はホッケのちゃんちゃん焼き。キャベツの上で焼くのが普通だが、発祥の地といわれる礼文島では、味噌だれを乗せるだけ、そこに刻みネギを乗せるぐらいのものが多いようだ。

 

知床、北のカナリアパーク

f:id:hantubojinusi:20210603104105j:plain

ネムロシオガマ

知床集落への下り道は笹原の中のまっすぐな一本道だが、まだところどころに花が咲いている。この白い花は、ネムロシオガマ(Pedicularis schistostegia)という多年草。北海道の根室周辺と礼文島の海岸近くの草原や山の斜面に咲く。茎や葉柄に軟毛が密生する。葉は広披針形で、羽状に全裂し縁に鋸歯がある。花は白色あるいは淡黄白色で、茎先にかたまって咲く。

f:id:hantubojinusi:20210603104116j:plain

シロバナノビネチドリ

こちらの白い花は、シロバナノビネチドリ(Neolindleya camtschatica f.albiflora)という多年草。北海道、本州中部以北、四国、九州の山地帯〜亜高山帯の林内や草地に生える。葉は長楕円形で脈が目立ち、縁は波打つ。花色は白から赤まで色々あるノビネチドリの白花種。

f:id:hantubojinusi:20210603105212j:plain

エゾクサイチゴ

同じく道端で小さなイチゴの花を見つけた。オランダイチゴ属のエゾクサイチゴ(Fragaria yezoensis)という多年草。北海道の東部や北部に自生する。外来種のエゾノヘビイチゴに似るが、雄蕊が雌蕊より長いので区別できる。

f:id:hantubojinusi:20210603105436j:plain

利尻山

登山道も半分ほど下ってくると、笹原のほかに針葉樹や広葉樹の林の中を潜ることもある。利尻山は相変わらず薄曇りの中でも姿を表していて、雨にならずに済みそうだ。

f:id:hantubojinusi:20210603110216j:plain

ハクサンチドリ

赤紫色のハクサンチドリも湿り気のある場所に元気よく咲いている。

f:id:hantubojinusi:20210603110613j:plain

ハルザキヤマガラシ

道端に ナノハナのような黄色い花が増えてきた。この花は、アブラナ科ヤマガラシ属のハルザキヤマガラシ(Barbarea vulgaris)というヨーロッパ原産の外来植物で、明治末に渡来し日本全国に広がり、侵略的外来種ワースト100要注意外来生物に指定されている。同じような外来生物として、オオモンシロチョウが北海道と青森県に土着したのを確認されたのは1996年であり、礼文島でも発見されている。

f:id:hantubojinusi:20210603110711j:plain

チシマフウロ

こちらの青紫色の花は、ゴロタ岬でも見かけたチシマフウロGeranium erianthum)である。北海道〜東北地方の亜高山帯〜高山帯に分布するが、礼文島では低地にも自生し、この辺りで多くなる。北海道には、エゾフウロやエゾグンナイフウロ、トカチフウロなどチシマフウロの類縁種も多い。

f:id:hantubojinusi:20210603111708j:plain

ニワトコと利尻島

利尻島をバックに白い小花を咲かせているのは、ニワトコ(Sambucus sieboldiana var. pinnatisecta)という落葉低木または小高木。日本各地の山野に普通に生え、古来より栽培もされる。春の若葉と同時に枝先に円錐花序を出し、淡黄白色の小花を多数つける。花冠の先端は5深裂して反り返る。若芽・若葉を食用したり、利尿剤に用いたり、アイヌのイナウなどの材料にもされた。樹皮や木部を風呂に入れて入浴剤にしたり、全草を煎じて飲むなどの伝統風習が日本や世界各地にある。漢字表記の接骨木は、枝や幹を煎じて水飴状にしたものを骨折の治療の際の湿布剤に用いたためという。地方により、ヤマダズ(山たづ)、タズノキ、ダイノコンゴウなどの方言名がある。「山たづ」は万葉集にも詠まれた呼び名で、鶴の古名「たづ」に由来する。日本の古名はミヤツコギ(造木)で、「宮仕う木」に由来し、紙を切って木に挟み神前に捧げた幣帛(御幣)が、大昔は木を削って作られた木弊だったものと推定され、その材料にニワトコが用いられたとの説がある。とするとアイヌのイナウにも通ずると思われる。

f:id:hantubojinusi:20210603133043j:plain

北のカナリアパーク

知床に着いた後、香深に戻り昼食を済ませて、また知床近くの北のカナリアパークに寄った。2012年の東映映画『北のカナリアたち』のロケで使われた「麗端小学校岬分校」のセットを利用した記念施設。だが残念ながら、コロナの影響で施設内の見学は中止だった。

f:id:hantubojinusi:20210603133522j:plain

校舎裏手の庭

校舎裏手の庭からは利尻山の勇姿も眺められるので、天気の良い日の絶景はさぞやと思われた。庭にはレブンアツモリソウやミヤマオダマキの白花種も植えられていた。

f:id:hantubojinusi:20210603133429j:plain

レブンアツモリソウ

ラン科の女王とも称えられるレブン固有種のレブンアツモリソウは、満開でとても大きく華麗であった。