半坪ビオトープの日記

セゴビア、カテドラル(セゴビア大聖堂)

f:id:hantubojinusi:20190104090732j:plain

カテドラル(セゴビア大聖堂)

町の中心にあるマヨール広場(Plaza Mayor)の正面にカテドラル(セゴビア大聖堂)が建っている。カルロス1世の絶対主義支配に対する、自治都市を主張するコムネロスの反乱(1520)で大部分が破壊されたが、1525年にカルロス1世が再建に着手し、243年後の1768年に完成した。

f:id:hantubojinusi:20190104092801j:plain

カテドラル(セゴビア大聖堂)

ゴシック様式の大聖堂としてはスペインおよびヨーロッパで最も新しく、その優美な姿から「カテドラルの貴婦人」の通称を持つ。

f:id:hantubojinusi:20190104093344j:plain

カテドラル内部

カテドラルの高さは33m、内部の奥行きは105m、幅は50m、鐘楼の高さは88mである。大聖堂は3つの部分から成り立ち、半円形の先頭部分、回廊、礼拝堂である。細かい網目模様の窓とたくさんのステンドグラスがはめ込まれた回廊が特徴的である。

f:id:hantubojinusi:20190104093210j:plain

主祭壇

回廊脇の多くの礼拝堂に囲まれて主祭壇がある。新古典主義の祭壇画は、イタリアの建築家フランチェスコサバティーニにより設計され、カルロス3世により作られた。様々な色の大理石と青銅で刻まれ、中央には13世紀の平和の聖母像が安置され、その両側にはアデバ・パチェコが作ったセゴビアの聖人、聖フルートスと聖ゲロテオの大理石像が立っている。上部にはマリアのアナグラムがあるといわれ、両側には聖バレンタインと聖エングラシアの大理石像が控えている。マリアのアナグラムとは何か、雲と天使の栄光の中にマリアのアナグラムがあるとの説明なので、聖アンデレ十字(X十字)のように見えるものかと思うがよくわからない。

f:id:hantubojinusi:20190104093200j:plain

主祭壇

主祭壇の前には、年末年始の時節柄か、イエス誕生の様子が示されていた。

f:id:hantubojinusi:20190104093305j:plain

聖歌隊

主祭壇に向かい合う聖歌隊席は、旧カテドラルから移された15世紀末のもので、彫刻家サン・ペドロ・デ・バレンシアの作品である。

f:id:hantubojinusi:20190104093315j:plain

パイプオルガン

壮大なパイプオルガンはバロック様式で厳かにそびえ立っている。高さは約19m、約2600本のパイプで構成されている。

f:id:hantubojinusi:20190104093422j:plain

ステンドグラス

各所に見られるステンドグラスは、どれも美しく描かれている。しかし、ルネッサン期の重要な作品として有名な、エンリケ4世王から町に寄贈されたという、フランシスコ・エランスの「聖母マリア」のステンドグラスがどれか、見定めることは叶わなかった。

f:id:hantubojinusi:20190104093926j:plain

サンティッシモ礼拝堂

最も神聖なサンティッシモ礼拝堂の入口周辺にも祭壇画が架けられていた。

f:id:hantubojinusi:20190104094117j:plain

サンティッシモ礼拝堂(Capilla del Santísimo)

どの礼拝堂も祭壇は豪華絢爛だが、このサンティッシモ礼拝堂(Capilla del Santísimo)には、ホセ・デ・チュリゲーラが設計した祭壇画が飾られ、ソロモンの柱と豪華で動きのある彫刻が幾重にも天上へと展開されていて、見事という他ない。

f:id:hantubojinusi:20190104094519j:plain

聖ゲロテオ礼拝堂(Capilla de San Geroteo)

22ある礼拝堂祭壇はそれぞれ趣向を凝らした意匠で華麗に設えられている。この聖ゲロテオ礼拝堂(Capilla de San Geroteo)のようにセゴビアの聖人が祀られている礼拝堂もいくつかある。

f:id:hantubojinusi:20190104094633j:plain

聖アントン礼拝堂(Capilla de San Antón)

礼拝堂がこれほど多く設けられる必要がどこにあるのか、不思議に思えてくるほど多種多彩である。この聖アントン礼拝堂(Capilla de San Antón)の祭壇画は、ホセ・ヴァレーホ・ヴィヴァンコ(José Vallejo Vivanco)の1615年の作品である。

f:id:hantubojinusi:20190104094503j:plain

付属の博物館

付属の博物館には、司祭の衣装などが展示されている。

f:id:hantubojinusi:20190104092008j:plain

サン・エスティバン教会

カテドラル正面のマヨール広場から北の路地を進むと、程なくしてサン・エスティバン教会がある。13世紀に建てられた後期ロマネスク様式の教会で、回廊や柱頭は当時の姿をとどめている。6層に積み上げられた高さ53mの塔は、スペインに数ある鐘楼の中でも美しく「塔の女王」とも呼ばれる。

f:id:hantubojinusi:20190104095720j:plain

サン・アンドレス教会

マヨール広場に戻り、北西にあるアルカサルに向かうとすぐに、サン・アンドレス教会がある。12世紀に建てられた教会で、3つの身廊を持ち、16世紀から17世紀の祭壇画を所有している。

 

セゴビア、ローマ水道橋

f:id:hantubojinusi:20190104083012j:plain

サン・ミリャン教会(Iglesia de San Millán)

スペイン最後の観光地は、マドリードから北西約100km、標高1000mにある城塞都市セゴビア。15世紀にはカスティーリャ王国の中心として重要な役割を果たした。町の南にあるバスターミナルから北西にあるローマ水道橋を目指してアクエドゥクト通りを歩き始めると、すぐ左手にサン・ミリャン教会(Iglesia de San Millán)がある。アラゴン王アルフォンソ1世によって12世紀(111124)に建てられた、セゴビアで最も古い教会の一つである。

f:id:hantubojinusi:20190104082633j:plain

サン・ミリャン教会の回廊

美しい柱頭を持つ外部の回廊は、ロマネスク様式の傑作とされる。

f:id:hantubojinusi:20190104082432j:plain

サン・ミリャン教会の内部

内部は見られなかったが、案内板によると古めかしく厳かな雰囲気が読み取れる。

f:id:hantubojinusi:20190104083907j:plain

サン・クレメンテ教会(Iglesia de San Clemente)

なおも進むと右手にサン・クレメンテ教会(Iglesia de San Clemente)がある。12〜13世紀に建てられた一身廊の教会で、13世紀の壁画がある。このあたりから、前方に水道橋が見え始める。

f:id:hantubojinusi:20190104084028j:plain

ローマ水道

なおも進むと、通りを横切るようにローマ水道橋が高くそびえてくる。中央の橋脚柱には聖母マリア像が設けられている。

f:id:hantubojinusi:20190104084224j:plain

ローマ水道

紀元前80年にセゴビアを制圧して以降、ローマ帝国セゴビアの都市整備に力を入れたが、その一環で建設されたのがこの水道橋である。セゴビア旧市街はかなり急峻で独立した丘上にあるため、生活用水の供給が難問だった。そこで18km北のフリオ川を水源とし、セゴビア旧市街と同じ高さの水道橋を作り導水路とした。

f:id:hantubojinusi:20190104084505j:plain

ローマ水道

この水道橋はローマ時代以降も使用されていたが、その後、イスラム教徒が占領し、11世紀後期に撤退する際、重要部のアーチ35個を破壊したため使用不能となった。その後15世紀末に、カスティーリャ王国の女王イサベル1世とアラゴンのフェルナンド2世のカトリック両王により修復され、現存の姿になり19世紀末まで水を供給してきた。1985年、「セゴビア旧市街と水道橋」として世界文化遺産に登録されている。

f:id:hantubojinusi:20190104084902j:plain

ローマ水道

ローマ水道橋の全長は813m、横幅は2.4m、最高部の高さは28.5m128の2層アーチを持ち、花崗岩で作られた橋は石自体の重みで固定され、釘などの接合材は一切使用されていないというから驚きである。あまりの精度・技術の高さから、「悪魔」が一夜で作ったという伝説もある。水道橋の北西の丘陵上に旧市街が広がるが、橋脚柱脇の石段を登りつめると、展望台に出る。

f:id:hantubojinusi:20190104085023j:plain

アソゲホ広場(Pl. del Azoguejo)

展望台から南を見下ろすと、観光客が集まるアソゲホ広場(Pl. del Azoguejo)にはバスが多数見受けられる。

f:id:hantubojinusi:20190104085046j:plain

旧市街入口

f:id:hantubojinusi:20190104085300j:plain

「精神の演習の家(Casa de Ejercicios Seminario)」

水道橋の西を眺めると、高い城壁によって旧市街が囲まれていて、セゴビアが城塞都市であることを示している。尖塔をもつ建物は、「精神の演習の家(Casa de Ejercicios Seminario)」という教会施設である。

f:id:hantubojinusi:20190104090302j:plain

サン・マルティン教会(Iglesia de San Martín)

旧市街の中心にあるカテドラルに向かうと、ファンブラホ通りにあるサン・マルティン教会(Iglesia de San Martín)の前に出る。12世紀に建てられたロマネスク様式の教会だが、中央の尖塔のみ14世紀にバロック様式に差し替えられている。

f:id:hantubojinusi:20190104090425j:plain

サン・ミゲル教会(Iglesia de San Miguel)

カテドラル(セゴビア大聖堂)の近くにサン・ミゲル教会(Iglesia de San Miguel)がある。スペイン王国成立の中心人物・イサベル女王が戴冠式を行った教会である。

マドリード、ティッセン・ボルネミッサ美術館、夕食

f:id:hantubojinusi:20190103172931j:plain

ワシリー・カンディンスキーの『無題(1922)』

こちらの絵は、モスクワで生まれ、ドイツやフランスで活躍したロシア人画家ワシリー・カンディンスキーWassily Kandinsky)の『無題(Sin título,1922)』。カンディンスキーは、モスクワ大卒後、30歳でドイツにて絵を学び始める。ロシア革命後モスクワに戻り、1921年に再びドイツに戻った。

f:id:hantubojinusi:20190103172921j:plain

ワシリー・カンディンスキーの『明確な楕円形で(1925)』

こちらの絵も、ロシア人画家ワシリー・カンディンスキーWassily Kandinsky)の『明確な楕円形で(En el óvalo claro,1925)』。モンドリアンなどとともに抽象絵画創始者の一人とされる。

f:id:hantubojinusi:20190103173019j:plain

ピエト・モンドリアンの『赤と青の構成No.1 (1931)』

こちらの絵は、オランダで生まれ、パリやニューヨークで活躍した抽象絵画の画家ピエト・モンドリアンPiet Mondrian)の『赤と青の構成No.1Composición n.1 con rojo y azul,1931)』。表現主義の流れをくむカンディンスキーの「熱い抽象」とは全く対照的で、「冷たい抽象」と呼ばれる。

f:id:hantubojinusi:20190103173044j:plain

パウル・クレーの『回転住宅(1921)』

こちらの絵は、スイスのベルン近郊の音楽一家に生まれ、ミュンヘンやパリなどで活躍した画家パウル・クレーPaul Klee)の『回転住宅(Casa giratoria,183,1921)』。11歳でベルンのオーケストラに在籍するなどヴァイオリンの腕はプロ級であった。カンディンスキーらとともに「青騎士」を結成した抽象絵画の画家だったが、作風は表現主義や超現実主義にも属さない独特のものである。

f:id:hantubojinusi:20190103173125j:plain

ジョアン・ミロの『白い背景の絵(1927)』

こちらの絵は、スペインのバルセロナで生まれ、パリやバルセロナで活躍した画家ジョアン・ミロJoan Miró)の『白い背景の絵(Pintura sobre fondo blanco,1927)』。パリでシュルレアリスム運動の主唱者であるアンドレ・ブルトンと出会う。ダリらの古典的・写実的描写法とは異なる自由奔放な作風で独自の地位を築き、陶器、壁画、彫刻なども制作した。1970年には大阪万博のガス館に陶板壁画『無垢の笑い』を制作した。

f:id:hantubojinusi:20190103173216j:plain

マルク・シャガールの『オンドリ(1928)』

こちらの絵は、ロシアで生まれ、主にパリで活躍したユダヤ系フランス人画家マルク・シャガールMarc Chagall)の『オンドリ(El gallo,1928)』。生涯、妻ベラを一途に敬愛し、ベラへの愛や結婚を題材とした作品を多数制作し、別名「愛の画家」とも呼ばれる。

f:id:hantubojinusi:20190103173251j:plain

マルク・シャガールの『村の聖母 (1938-42) 』

こちらの絵も、マルク・シャガールMarc Chagall)の『村の聖母 (La Virgen de la aides,1938-42) 』。キュビスム表現主義象徴主義などの前衛芸術と土着のユダヤ文化を融合し独自の作風を展開した。宗教画も多く手がけ、教会のステンドグラス作品も多い。

f:id:hantubojinusi:20190103173233j:plain

サルバドール・ダリ『目覚める前に手榴弾の周りに蜂が飛ぶことによって引き起こされる夢(1944)』

こちらの絵は、スペインのカタルーニャ地方で生まれ、パリやアメリカやスペインで活躍したシュルレアリスムの画家サルバドール・ダリSalvador Dalí)の『目覚める前に手榴弾の周りに蜂が飛ぶことによって引き起こされる夢(Sueño causado por el vuelo de una abeja alrededor de una Granada un Segundo antes del despertar,1944)』。パリでピカソアンドレ・ブルトンなどシュルレアリスムの中心人物たちの面識を得たが、1938年にはグループから除名された。フランコ独裁者を支持する「ファシスト的思想」が、ブルトンの逆鱗に触れたからであり、ピカソらからも大きな反感を買っていた。象に乗って凱旋門を訪れるなど、自己顕示的な奇行も多かったが、普段は繊細な常識人だったという。

f:id:hantubojinusi:20190103173352j:plain

ジャクソン・ポロックの『ブラウンとシルバー1(1951)』

こちらの絵は、アメリカ人画家ジャクソン・ポロックJackson Pollock)の『ブラウンとシルバー1(Marrón y plata 1,1951)』。ポロックは抽象表現主義(ニューヨーク派)の代表的な画家である。大きなキャンバスを床に広げ、刷毛やコテで空中から塗料を滴らせる「ドリッピング」などの技法を駆使する画法は、アクション・ペインティングとも呼ばれる。このような抽象表現主義の画家たちの活躍により、1950年頃から美術の中心地はパリからニューヨクへと移って行ったといわれる。

f:id:hantubojinusi:20190103173513j:plain

ロイ・リヒテンシュタインの『入浴中の女性(1963)』

こちらの絵は、アメリカ人画家ロイ・リヒテンシュタイン(Roy Lichtenstein)の『入浴中の女性(Mujer en el banó = Woman in Bath,1963)』。アンディ・ウォーホルらとともにポップアートの代表的な画家。赤・黄・青の三原色と白・黒に限定し、漫画の一コマを拡大して印刷インクのドットで表現する作品群で脚光を浴びた。

以上でティッセン・ボルネミッサ美術館の主な作品の紹介が終わる。15世紀のギルランダイオから20世紀のロイ・リヒテンシュタインまで、西洋美術の流れを一度にたどったことになった。

f:id:hantubojinusi:20190103193833j:plain

イベリコ豚のハム、クルミ添え

マドリードの夕食は、プラド美術館のすぐ近くにあるスペイン地中海料理中南米料理で人気のレストラン、カカオ・レストバル(Cacao Restobar)にする。まずはじめに、Tabla de Jamón ibérico。 イベリコ豚のハム、クルミ添え。

f:id:hantubojinusi:20190103194613j:plain

パベジョン・クレオージョ(牛肉、黒豆、焼きバナナと目玉焼きの盛り合わせ)

次に、パベジョン・クレオージョ=Pabellón Criollo(Pull beef,rice,black beans,fried plantains and fried egg)。細切り牛肉、黒豆、焼きバナナと目玉焼きの盛り合わせで、ラテン(ベネズエラ)名物のランチプレート。

f:id:hantubojinusi:20190103195336j:plain

マッシュルームのリゾット

こちらは、Mushrooms Risotto マッシュルームのリゾット。これがたいへん美味しくて嬉しくなる。

f:id:hantubojinusi:20190103200057j:plain

タコのグリル、マッシュポテト添え

当店の大人気メニューは、Pulpo a la plancha (Grilled Octopus with mashed potatoes and sweet peppers mayonnaise)。 タコのグリル、マッシュポテト添え。

ティッセン・ボルネミッサ美術館

f:id:hantubojinusi:20190103170959j:plain

エドヴァルド・ムンクの『日没(1888)』

まだまだ、19世紀後半から20世紀前半の近代絵画が続く。こちらの絵は、ノルウェー出身で、フランスやドイツなど国際的に活躍したノルウェーの代表的画家エドヴァルド・ムンクEdvard Munch)の『日没(Atardecer,1888)』。特に『叫び(1893)』や『不安(1894)』で有名だが、人間の心の内面を追求する初期の作品への評価は賛否両論あり、長い間絵が売れず経済的にも精神的にも辛い時代を過ごした。晩年はノルウェーオスロ郊外に定住した。

f:id:hantubojinusi:20190103171142j:plain

ロートレックの『ガストン・ボンネフォイ(1891)』

こちらの絵は、南フランスのアルビノ伯爵家に生まれ、パリで活躍したフランス人画家ロートレック(Toulouse-Lautrec)の『ガストン・ボンネフォイ(Gaston Bonnefoy,1891)』。少年時に両足の大腿骨を骨折し、下肢の発育不全で身体障害者となる。パリのムーランルージュダンスホールを舞台に娼婦、踊り子などを愛情のこもった筆致で描いた。ポスターの名作も多く、ポスターを芸術の域まで高めたと賞賛されている。

f:id:hantubojinusi:20190103171156j:plain

エドガー・ドガの『ロッカーダンサー1877-79)』

こちらの絵は、パリで銀行家の息子として生まれ、印象派の画家として活躍したフランス人画家エドガー・ドガ(Edgar Degas)の『ロッカーダンサー(Bailarina basculando,1877-79)』。オペラを好むオペラ座の定期会員で、バレーの練習風景や楽屋裏での踊り子を題材に多く選んだ。

f:id:hantubojinusi:20190103171209j:plain

エドガー・ドガの『帽子の中(1882)』

こちらの絵も、パリで活躍したエドガー・ドガEdgar Degas)の『帽子の中(En la sombrerería,1882)』。ドガ自身は印象派と呼ばれることを嫌い、写実主義であると主張した。歴史的巨匠の伝統的な技術で現代の主題を描き、モダニズム生活の古典画家とも呼ばれた。

f:id:hantubojinusi:20190103171427j:plain

フィンセント・ファン・ゴッホの『オーヴェルのレヴィセノ(1890)』

こちらの絵は、オランダで牧師の子として生まれ、ポスト印象派の画家として活躍したフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の『オーヴェルのレヴィセノ(Les Vessenots en Auvers,1890)』。青年時代は画商の元で働いたり、聖職者を目指したりし、画家となることを決意したのは27歳だった。35歳でゴーギャンと共同生活もしたが、耳切り事件、引き続く発作、療養所生活などを経て、37歳で銃創により死去した。自殺と推定されるが異説もある。有名な絵画は主に最後の3年間に描かれた。

f:id:hantubojinusi:20190103171448j:plain

オーギュスト・ルノワールの『庭で傘を持つ女性(1875)』

こちらの絵は、フランス中南部リモージュで貧しい仕立屋の息子として生まれ、印象派の画家として活躍したフランス人画家オーギュスト・ルノワールPierre-Auguste Renoir)の『庭で傘を持つ女性(Mujer con sombrilla en un jardín,1875)』。印象派の画家はほとんどがブルジョア階級出身だったのに対し、ルノワールは労働者階級出身であった。20歳で画家になることを決意したが、中年になるまでなかなか絵が売れず貧窮に苦しんだ。50歳頃から認められ始め、生涯に約4000点の作品を描いた。

f:id:hantubojinusi:20190103171640j:plain

ポール・セザンヌの『座っている男(1905-6)』

こちらの絵は、フランスのエクス=アン=プロヴァンスで生まれ、ポスト印象派の画家として活躍したフランス人画家ポール・セザンヌPaul Cézanne)の『座っている男(Hombre sentado,1905-6)』。セザンヌは当初、モネやルノワールらとともに印象派の一員として活動していたが、エクスでの隠遁生活を始めた40歳代から独自の様式を探求し、ポスト印象派と呼ばれるようになった。キュビスムをはじめとする20世紀の美術に多大な影響を与えたことから、「近代絵画の父」とも呼ばれる。

f:id:hantubojinusi:20190103171706j:plain

ギュスターヴ・モローの『ガラテア(1896)』

こちらの絵は、フランスの象徴主義の先駆者として知られるギュスターヴ・モローGustave Moreau)の『ガラテア(Galatea,1896)』。パリで生まれパリで亡くなったモローは、聖書や神話に題材をとった幻想的な作風で知られる。

f:id:hantubojinusi:20190103172404j:plain

ジャン・オノレ・フラゴナールの『スイング(1750-52)』

こちらの絵は、フランス・ロココ美術の典型的な画家であるジャン・オノレ・フラゴナールJean-Honoré Fragonard)の『スイング(El columpio,1750-52)』。ロココ時代の最後を飾った画家ともいわれる。

f:id:hantubojinusi:20190103172749j:plain

ジョルジュ・ブラックの『マンドリンを持つ女性1910)』

こちらの絵は、ピカソとともにキュビスム創始者の一人とされるフランス人画家ジョルジュ・ブラックGeorges Braque)の『マンドリンを持つ女性(Mujer con mandolina,1910)』。パリにてピカソと共同で製作していた頃の、初期キュビスムの作品。

f:id:hantubojinusi:20190103172857j:plain

ジョルジュ・ブラックの『ピンクのテーブルクロス(1938)』

こちらの絵も、フランス人画家ジョルジュ・ブラックGeorges Braque)の『ピンクのテーブルクロス(El mantel rosa,1938)』。ブラックは第一次世界大戦に出征したが、戦後は画風が以前のキュビスムから決別し、落ち着いた静物画を多く描くようになった。

f:id:hantubojinusi:20190103171056j:plain

パブロ・ピカソの『布で裸にされた頭の研究(1907)』

こちらの絵は、スペインのマラガに生まれ、主にパリで活躍したスペイン人画家パブロ・ピカソPablo Picasso)の『布で裸にされた頭の研究(Estudio para la cabeza de “Desnudo con paños”,1907)』。ブラックとともにキュビスム創始者として知られ、初期はブラックと共同で制作していた。この絵は「アフリカ彫刻の時代」と呼ばれる初期の絵画。

f:id:hantubojinusi:20190103172803j:plain

パブロ・ピカソの『男の頭(1913)』

こちらの絵も、パブロ・ピカソPablo Picasso)の『男の頭(Cabeza de hombre,1913)』。ピカソは作風が目まぐるしく変化した画家として有名であり、それぞれの時代が「青の時代」、「バラ色の時代」、「キュビスムの時代」、「ゲルニカの時代」などと呼ばれる。この絵は「総合的キュビスムの時代」と呼ばれるキュビスム中期の絵画。

f:id:hantubojinusi:20190103173137j:plain

パブロ・ピカソの『闘牛(1934)』

こちらの絵も、パブロ・ピカソPablo Picasso)のシュルレアリスムの時代に描かれた『闘牛(Corrida de toros,1934)』。ピカソは、生涯に約1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家として『ギネスブック』に記されている。

 

ティッセン・ボルネミッサ美術館

f:id:hantubojinusi:20190103164002j:plain

カラヴァッジオの『アレクサンドリアの聖カタリナ』

ティッセン・ボルネミッサ美術館2階の展示はまだ続く。こちらの絵は、バロック期のイタリア人画家カラヴァッジオCaravaggio)の『アレクサンドリアの聖カタリナ(Santa Catalina de Alejandria,1598-99)』。

f:id:hantubojinusi:20190103164140j:plain

ティントレットの『上院議員の肖像』

こちらの絵は、ヴェネツィアで活躍したイタリア人画家ティントレット(Tintoretto)の『上院議員の肖像(Retrato de un senador,1570)』。

f:id:hantubojinusi:20190103164223j:plain

フランソワ・クルーエの『ラブレター』

こちらの絵は、フランス人画家フランソワ・クルーエ(François Clouet)の『ラブレター(La carta amorosa,1570)』。クルーエは特にフランス・ヴァロア王家の肖像画を多く描いた。

f:id:hantubojinusi:20190103164410j:plain

スルバランの『聖女カシルダ』

こちらの絵は、バロック期のスペインの画家スルバラン(Francisco de Zurbarán)の『聖女カシルダ(Santa Casilda,1635)』。

f:id:hantubojinusi:20190103164443j:plain

ムリーリョの『聖母子とビテルボの聖女ロサ』

こちらの絵は、バロック期のスペインの画家ムリーリョ(Bartolome Esteban Murillo)の『聖母子とビテルボの聖女ロサ(La Virgen y el Niño con santa Rosa de Viterbo,1670)』。スルバランの後、名声を得たムリーリョは、17世紀のスペイン黄金時代の代表的巨匠で、19世紀末期にベラスケスが再評価されるまで国内外でスペイン最大の画家として名を馳せていた。プラド美術館には『無原罪の御宿り(Immaculate Conception)』が数点展示されている。

f:id:hantubojinusi:20190103164541j:plain

パニーニの『神殿からの商人の追放』

こちらの絵は、ローマで活躍したイタリア人画家パニーニ(Giovanni Paolo Panini)の『神殿からの商人の追放(La expulsionde los mercaderes del templo,1724)』。福音書から題材をとっている。

f:id:hantubojinusi:20190103164916j:plain

バトーニの『サン・マルティーノ伯爵夫人マリア・ベネデッタの肖像』

こちらの絵は、ローマで活躍したイタリア人画家バトーニ(Pompeo Batoni)の『サン・マルティーノ伯爵夫人マリア・ベネデッタの肖像(Retrato de la condesa Maria Benedetta di San Martino,1785)』。

f:id:hantubojinusi:20190103165844j:plain

クロード・モネの『チャリング・クロス橋』

この辺りで19世紀後半からの印象派の作品が多くなる。こちらの絵は、印象派を代表するフランス人画家クロード・モネClaude Monet)の『チャリング・クロス橋(El Puente de Charing Cross,1899)』。

f:id:hantubojinusi:20190103165907j:plain

シスレーの『ロイン川の蛇行、夏』

こちらの絵は、パリで活躍した印象派を代表するイギリス人画家シスレーAlfred Sisley)の『ロイン川の蛇行、夏(Meandro en el río Loing,verano,1896)』。典型的な印象派で、パリ周辺の風景画が圧倒的に多い。

f:id:hantubojinusi:20190103165959j:plain

ギュスターヴ・ロワゾーの『パリのノートルダム寺院の眺め』

こちらの絵は、パリで活躍した後期印象派のフランス人画家ギュスターヴ・ロワゾー(Gustave Loiseau)の『パリのノートルダム寺院の眺め(Vista de Notre-Dame,París,1911)』。

f:id:hantubojinusi:20190103170128j:plain

ゴーギャンの『昔昔』

こちらの絵は、パリで活躍した後期印象派のフランス人画家ゴーギャンPaul Gauguin)の『昔昔(Mata mua (Érase una vez),1892)』。ゴッホと共同生活したり、タヒチ島10年間住んで数々の傑作を残すなど、波乱に満ちた生涯を送り、独特の象徴主義絵画は不思議な魅力を持っている。

f:id:hantubojinusi:20190103170444j:plain

シニャックの『ポルトアンベッサン・ビーチ』

こちらの絵は、フランス人画家シニャックPaul Signac)の『ポルトアンベッサン・ビーチ(Port-en-Bessin,la playa,1884)』。ジュルジュ・スーラと並ぶ新印象派の代表的画家とされる。

f:id:hantubojinusi:20190103170657j:plain

マティスの『オリーブの木の下での会話』

こちらの絵は、フランス人画家マティスHenri Matisse)の『オリーブの木の下での会話(Conversación bajo los olivos,1921)』。マティスフォーヴィスム(野獣派)の発案者だがその期間は短く、その後、ピカソと出会い終生の親友となり、またライバルともなった。

f:id:hantubojinusi:20190103170722j:plain

ジョアン・ミロの『絵画』

こちらの絵は、スペイン人画家ジョアン・ミロJoan Miró)の『絵画(Pintura,1936)』。スペインのカタルーニャ出身のミロは、パリでシュルレアリスム運動に参加。具象と抽象の中間のような独特な画風で知られる。パリのほか、バルセロナマヨルカ島でもアトリエを持ち、1970年には大阪万博で制作のため来日した。1983マヨルカ島にて90歳で死去した。

 

マドリード、ティッセン・ボルネミッサ美術館

f:id:hantubojinusi:20190103155622j:plain

ティッセン・ボルネミッサ美術館

昼食後、プラド美術館の近くにあるティッセン・ボルネミッサ美術館を見学した。ビリャエルモ宮殿を改装した館内に、ティッセン・ボルネミッサ男爵が親子二代に亘り収集した膨大なコレクションが公開されている。

f:id:hantubojinusi:20190103161951j:plain

ギルランダイオの『ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像』

中世から20世紀まで、西洋美術の流れを一度に鑑賞でき、撮影も許可されているから嬉しいが、選抜するのが悩ましい。2階は15〜17世紀の作品を中心に展示している。こちらの絵は、フィレンツェで活躍したギルランダイオ(Domenico Ghirlandaio)の『ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像(Retrato de Giovanna degli Albizzi Tornabuoni,1489-90)』。

f:id:hantubojinusi:20190103162116j:plain

ラファエロの『若者の肖像』

こちらの絵は、ローマで活躍したラファエロRaffaello Santi)の『若者の肖像(Retrato de un joven,1518-19)』。

f:id:hantubojinusi:20190103162319j:plain

ルイーニの『聖母子と洗礼者聖ヨハネ

こちらの絵は、ミラノで活躍したルイーニ(Bernardino Luini)の『聖母子と洗礼者聖ヨハネLa Virgen con el Niño y san Juanito,1523-25)』。

f:id:hantubojinusi:20190103162351j:plain

ベッリーニの『神聖な出来事』

こちらの絵は、ヴェネツィアで活躍したベッリーニGiovanni Bellini)の『神聖な出来事(Asunto místico,1505-10)』。

f:id:hantubojinusi:20190103162420j:plain

カルパッチョの『風景の中の若い騎士)』

こちらの絵は、ヴェネツィアで活躍したカルパッチョVittore Carpaccio)の『風景の中の若い騎士(Joven caballero en un paisaje,1505)』。

f:id:hantubojinusi:20190103162517j:plain

ティツィアーノの『ドージェ・フランチェスコベニエの肖像』

こちらの絵は、ヴェネツィアで活躍したティツィアーノTiziano)の『ドージェ・フランチェスコベニエの肖像(Retrato del dux Francesco Venier,1554-56)』。

f:id:hantubojinusi:20190103163208j:plain

ルーカス・クラナッハ(父)の『泉のニンフ』

こちらの絵は、ドイツの画家ルーカス・クラナッハ(父)(Lucas Cranach el Viejo)の『泉のニンフ(La ninfa de la fuente,1530-34)』。

f:id:hantubojinusi:20190103163315j:plain

ハンス・バルドゥングの『女性の肖像』

こちらの絵は、ドイツの画家ハンス・バルドゥング(Hans Baldung Grien)の『女性の肖像(Retrato de una dama,1530?)』。宗教画のほか、肖像画家としても有名だった。

f:id:hantubojinusi:20190103163346j:plain

ハンス・バルドゥングの『アダムとイブ』

こちらの絵は、ドイツの画家ハンス・バルドゥング(Hans Baldung Grien)の『アダムとイブ(Adán y Eva,1531)』。「アダムとイブ」のほか魔女の絵もいくつも描いている。

f:id:hantubojinusi:20190103163409j:plain

ハンス・クラナッハの『オンファリアの宮廷でのヘラクレス

こちらの絵は、ドイツの画家ハンス・クラナッハHans Cranach)の『オンファリアの宮廷でのヘラクレスHércules en la corte de Onfalia,1537)』。リディアの女王の宮廷にいる英雄ヘラクレスの神話から。ルーカス・クラナッハ(父)の長男であり、同じく画家のルーカス・クラナッハ(子)の兄であるが、24歳で亡くなっている。

f:id:hantubojinusi:20190103163641j:plain

ルーカス・ヴァルケンボルフの『幼児大虐殺』

こちらの絵は、ドイツの画家ルーカス・ヴァルケンボルフ(Lucas van Valckenborch)の『幼児大虐殺(La matanza de los inocentes,1586)』。マタイ福音書の物語より。新しい王(キリスト)が生まれたと聞いて、ヘロデ1世がベツレヘムの2歳未満の男児全員を処刑させたという。ヴァルケンボルフは『バベルの塔』も描いている。

f:id:hantubojinusi:20190103163844j:plain

エル・グレコの『受胎告知』

こちらの絵は、クレタ島出身でスペインのトレドで活躍した画家エル・グレコEl Greco)の『受胎告知(La anunciación,1576)』。エル・グレコとは、スペイン来訪前にイタリアにいたためイタリア語で「ギリシア人」を意味する「グレコ」にスペイン語の男性定冠詞「エル」がついた通称である。彼の作品は宗教画がほとんどであり、作品にはギリシア語の本名(ドメニコス・テオトコプーロス)でサインしていた。

f:id:hantubojinusi:20190103163905j:plain

エル・グレコの『受胎告知』


こちらの絵も、エル・グレコEl Greco)の『受胎告知(La anunciación,1596-1600)』。エル・グレコの絵画は圧倒的に宗教画が多く、画題も『受胎告知』と『無原罪の御宿り』が多い。

 

 

マドリード、ソフィア王妃芸術センター、ランチ

f:id:hantubojinusi:20190103084250j:plain

スペイン高速鉄道、アベ(AVE)

首都マドリードを中心にバルセロナセビリアバレンシア、マラガなどを結ぶスペイン高速鉄道は、アベ(AVE)と呼ばれる。日本の新幹線のように時速約300kmで走るが、グラナダが含まれていないのが残念だ。マラガからマドリードまで3時間弱で走る。

f:id:hantubojinusi:20190103130055j:plain

ソフィア王妃芸術センター

マドリードに着いてすぐ、ソフィア王妃芸術センターに入る。ファン・カルロス1世の王妃ソフィアに因んで名付けられた美術館。ピカソの『ゲルニカ』を含む20世紀近現代美術を中心に展示している。

f:id:hantubojinusi:20190103132124j:plain

サルバドール・ダリ(Salvador Dalí)の『静物Natura morta)』

こちらの絵は、サルバドール・ダリ(Salvador Dalí)の『静物Natura morta)』(1926)。ダリの世界は難しい。

f:id:hantubojinusi:20190103132147j:plain

ファン・グリス(Juan Gris)の『ギターとフルーツボウル(Guitare et compotier)』

こちらの絵は、ファン・グリスJuan Gris)の『ギターとフルーツボウル(Guitare et compotier)』(1927)。

f:id:hantubojinusi:20190103134909j:plain

ジョアン・ミロの『炎の翼の笑顔』

こちらの絵は、ジョアン・ミロJoan Miró)の『炎の翼の笑顔(La sonrise de alas flameantes)』(1953)。

f:id:hantubojinusi:20190103134931j:plain

カンジンスキーの『真ん中の円』

こちらの絵は、カンジンスキー(Vassily Kandinsky)の『真ん中の円(Mitten Kreise)』(1932)。

f:id:hantubojinusi:20190103134947j:plain

カンジンスキーの『アセントリック』

こちらの絵は、カンジンスキー(Vassily Kandinsky)の『アセントリック(Azentrales)』(1924)。アセントリックが難解だが、英語でAcentricとは、「中心のない」という意味らしい。

f:id:hantubojinusi:20190809151530j:plain

ピカソの『ゲルニカ

この美術館は、ほとんどの絵が撮影可能だが、ピカソの『ゲルニカ』だけは撮影禁止なので、パンフのコピーを載せる。『ゲルニカ(Guernica)』は、スペイン内戦中の1937年に描いた絵画および壁画である。ドイツ空軍のコンドル軍団によってビスカヤ県のゲルニカが受けた都市無差別爆撃(ゲルニカ爆撃)を主題とする。スペイン内戦は、マヌエル・アサーニャ率いる共和国軍とフランシスコ・フランコを中心とする反乱軍が争った。パリに在住していたピカソは共和国政府を支持していたが、1937年4月26日のゲルニカ爆撃を知るとパリ万博で展示する壁画の主題に選んで制作を開始し、習作45枚の後、同年7月12日に万博会場で公開された。1939年3月末にフランコ独裁政権が誕生した。同年、アメリカの展覧会に出展後第二次世界大戦が勃発したためアメリカで作品は保管された。大戦後も時々ヨーロッパで展示されることはあっても、自由が確立するまでスペインに戻さないようにというピカソの意思が尊重された。しかし、1973年にピカソは死去し、フランコは1975年に死去し、1981年にようやくプラド美術館に運び込まれた。1992年にソフィア王妃芸術センターが開館すると、コレクションの目玉としてそこに移された。

ピカソは動物たちの象徴性、寓意性は認めたが、具体的な意味合いを説明することなく世を去った。壁画の解釈には諸説あるが、戦争の悲惨さを訴える反戦ヒューマニズムの象徴として高く評価されている。

f:id:hantubojinusi:20190103153951j:plain

「RESTAURANTE Bodega de los Secretos(秘密のワイナリー)」

遅めの昼食のレストランは、マドリードの中心部、プラド美術館やソフィア王妃芸術センターからわずか5分の「RESTAURANTE Bodega de los Secretos(秘密のワイナリー)」。17世紀の洞窟の中で、前衛的な地中海料理を味わえる。

f:id:hantubojinusi:20190103143123j:plain

3種のタルタルステーキ

こちらは、3種のタルタルステーキ(Trilogia del steak tartar)。トッピングがトリュフ、アンチョビ、わさびの3種である。3通りの洒落た味が楽しめる。

f:id:hantubojinusi:20190103143805j:plain

アーティチョークのオーブン焼き

こちらは、アーティチョークのオーブン焼き(Flor de alcachofa)。意外と美味しい。

f:id:hantubojinusi:20190103150737j:plain

メルルーサビルバオガリシア風仕上げ

こちらは、メルルーサビルバオガリシア風仕上げ(Merluza bilbogallega)。じゃがいもソースの上にメルルーサを乗せ、ビルバオ風のソースをかけ、ガリシア風に仕上げた。かなり手が込んでいる。

f:id:hantubojinusi:20190103150748j:plain

アンコウのカタルーニャバレンシア風煮込み

こちらは、アンコウのカタルーニャバレンシア風煮込み(Suquet de rape)。アンコウとイカカタルーニャバレンシア地方で有名なソースで煮込み、アリオリソースを加えている。これも珍しい料理だ。

f:id:hantubojinusi:20190103150907j:plain

子牛のハンバーガー・フォアグラ乗せ

こちらは、子牛のハンバーガー・フォアグラ乗せ。子牛のハンバーガーの上にフォアグラを乗せ、間にカラメリゼした玉ねぎを挟んでいる。ハンバーガーもフォアグラで豪華な味となっている。人気のある隠れ家風の洞窟レストランで、素敵なランチを楽しんだ。