半坪ビオトープの日記

埼玉

円福寺

皆野駅から荒川に向う坂の左手に、平量山円福寺がある。駐車場の脇に、比較的新しそうな山門と本堂が見える。 通称、大浜の円福寺といわれ、秩父最古の仏跡として真言密教の道場とされる。山門をくぐると整備された参道の左側に六地蔵が、正面に本堂が構えて…

水潜寺、結願堂

水潜寺は、北条氏に仕えた阿佐美氏の中興になるものといわれる。その阿佐美氏館は、下流の日野沢川左岸南面の中腹にある。 観音堂の左には、大きな讃仏堂が建っている。あまりにも大きく、境内が細長いので、正面から全体を撮ることはできない。 讃仏堂は納…

水潜寺、本堂

皆野町西部の山間、日野沢川の谷沿いに、秩父札所34番、曹洞宗の日沢山水潜寺がある。西国33ヶ所霊場、坂東33ヶ所霊場と合わせて、日本百観音の結願寺であり、巡礼者が打ち留めの札と笈摺を納める寺でもある。 参道は二股に分かれ、右が本堂(観音堂)へ至る…

菊水寺

法性寺から秩父市下吉田に向う途中に、札所33番である曹洞宗の延命山菊水寺がある。参道入口の寺標には「大桜山長福寺」とあり、その側面に「延命山菊水寺」と彫られている。かつて小坂下と呼ばれる土地にあった菊水寺を管理していた別当が長福寺であった。…

法性寺、観音堂

法性寺には、「長享二年秩父札所番付(縦24.5cm、横101.8cm)」という古文書も保存されていて、本堂前にその複写が掲げられている。秩父札所の創立は明らかではなく、文歴2年(1234)十三権者(熊野権現、蔵王権現など)により開創されたと伝えられている。…

法性寺、舟形観音

小鹿野町の南東の山間部に、札所32番曹洞宗の般若山法性寺がある。般若山の扁額を掲げた山門は、宝永7年(1710)建立の3間×2間半の八脚門である。 欅材を主にした白木造りの二階建ての秩父札所唯一の鐘楼門で、二階には立派な梵鐘が吊るされている。 仁王…

柴原温泉

三峰口から少し戻り、小鹿野に向って北上すると、細い山道の先に数軒の宿が散在する柴原温泉に着く。左の温泉宿が玄関廻りも風呂も榧の木を使っているという風変わりな「かやの家」である。 柴原温泉は秩父七湯のひとつで約400年の歴史があり、江戸時代の初…

三十槌の氷柱

奥秩父、大滝地区の三峯神社へ通じる道沿いに、「三十槌の氷柱(みそつちのつらら)」と呼ばれる景勝がある。大滝温泉を過ぎて左折すると専用駐車場があり、そこから荒川の渓谷へと歩いて下る。その途中に額渕水天宮が祀られている。この下方に底無しの渕が…

薬師堂

小鹿野町の両神神社のすぐ近くに、法養寺薬師堂がある。眼病に霊験があり、「目薬師」として信仰を集め、神奈川県の日向薬師、愛知県鳳来寺の薬師と並び、日本三体薬師として世に喧伝されている。 江戸時代中期建立の仁王門は、間口6.93m、奥行4.19m、高さ…

小鹿神社

小鹿野町役場の近く、国道299号線に面して大きな朱色の鳥居が建っている。小鹿(おしか)神社の一の鳥居である。祭りの際、10mを超える笠鉾がくぐるために大きくしてあるそうだ。 広い駐車場から石段を上ると二の鳥居があり、その先に小鹿神社の社殿が見え…

観音院、東奥の院

東奥の院ミニハイキングコースは、一周約15分で、石段を上って行くとお地蔵さんのところで道が三つに分かれる。右が東奥の院、真中がその帰り道で「馬の蹄跡洞窟」、左が観音山登山道である。右の東奥の院へ向う。 山道を少し登ると、右に視界が開け、矢抜け…

観音院、磨崖仏

滝の手前、大きな断崖の下に大きな宝篋印塔が建っている。嘉永4年(1851)小鹿野の森玄黄斎が造り奉納したという。 宝篋印塔の右後ろ、断崖の大岩に鷲窟磨崖仏が彫られている。弘法大師が一夜にして爪彫りで千体彫ったと伝えられているが、室町時代頃の制作…

観音院、本堂

埼玉県小鹿野町の町役場の西の沢沿い、標高698mの観音山の中腹に、秩父札所31番の曹洞宗の観音院がある。駐車場手前の谷川を渡ると山門があり、大きな石像仁王尊が立っている。 石材は凝灰質砂岩で、観音院裏山から掘り出し、秩父の黒沢三重郎と信州の藤森…

井上伝蔵邸

龍勢会館の右手に、復元された井上伝蔵邸がある。秩父事件百二十周年記念映画「草の乱」の撮影用に復元されたセットを「秩父事件資料館」として公開展示している。 丸井商店は、江戸時代の寛政年間(1800頃)に江戸城御用達の鑑札を拝領し、その代から井上伝…

龍勢祭り

椋神社では、例祭の際に龍勢を打ち上げる龍勢祭りが有名であるが、境内に龍勢記念碑が建っている。これは日本武尊が立てた矛が光を放ち飛んで行ったという創祀伝説に基づいて、氏子達が神社前方の吉田河原で大火を焚き、その燃えさしを取って力の限り投げ、…

椋神社、八幡宮

椋神社社殿の右手に、八幡神社旧本殿が、覆屋に保護されて安置されている。畠山重忠が治承4年(1180)に鶴窪八幡宮を祀ったのが始まりとされ、日を経て吉田宿の町内衆により神事祭礼が継承された。 延宝年間(1673-80)に造営されたとみられる拝殿・本殿は…

秩父、椋神社

2月14日から翌日にかけて降った大雪は、埼玉県秩父市で観測史上最高の98cmを記録した。多くの山村で孤立状態が続き、自衛隊が出動して除雪にあたったがかなり難航したことが連日報じられた。その秩父地方に1月下旬、史跡巡りで出かけた。 秩父駅の北西、旧…

高麗神社

高麗神社は、聖天院から歩いて数分である。唐・新羅連合軍により高句麗が滅ぼされて日本に亡命してきた渡来人を、668年に朝廷はこの地に移住させた。703年には高麗若光が朝廷から王(こきし)姓を下賜された。 高麗神社は、この若光を祭神として祀っている。…

高麗聖天院 

日和田山登り口近くの配水場から左に曲がって車道に出る。如意輪堂を通り越して高麗聖天院に向う。 高麗聖天院は、高句麗から渡来した高麗王若光の菩提寺として高麗川の左岸に建立された。 修復工事中の雷門の右手に高麗王廟がある。鎌倉時代建立の朝鮮様式…

日和田山

4月下旬に、埼玉県日高市にある日和田山と高麗聖天院周辺を、いつもの遊び仲間達と散策した。西武池袋線の高麗駅で下車すると、駅前に天下大将軍・地下大将軍と書かれた赤い将軍標が建っている。チャンスンとも呼ばれる道祖神、村の境界標でもある。 ヒガン…

岩室観音

吉見百穴の入口手前に岩室観音堂がある。弘仁年間(810~24)弘法大師が岩窟を選んで高さ1尺1寸の観音像を彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山と号したと伝えられる。 松山城主が代々信仰し護持していたと伝えられており、松山城北側の斜面に建てられ…

吉見百穴

埼玉県比企郡吉見町にある吉見百穴は、古墳時代後期(6世紀−7世紀)の横穴墓群の遺跡である。古墳時代後期には日本各地で豪族達が古墳群を形成するようになったが、その頃、複数の死者を追葬できる横穴式石室構造が大陸から伝来した。吉見百穴の横穴墓群に…

吉見観音、三重塔

現存する三重塔は、寛永年間(1624~43)に杲鏡(こうきょう)法印によって建立されたもので、本堂・仁王門・大仏等の中で最も古い。総高約24.3 m方3間の三重塔で、基壇は設けられず、心柱は初重天井上の梁で支えられている。屋根は杮葺であったが、銅板葺に…

吉見観音安楽寺

昼食は、埼玉県比企郡吉見町の吉見百穴の北東1.5kmにある「手打ち十割そば八丁」というそば屋にした。どういうわけか道路に背を向けて店があり、駐車場に入らないとわかりづらい目立たぬ店だった。 十割蕎麦は800円だが、十割鴨汁蕎麦1400円を注文した。合鴨…

金鑽神社、鏡岩

社伝によれば、景行天皇の41年、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命より賜った火打金を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉納し、天照大神と素盞嗚尊を祀ったのが始まりという。その後、欽明天皇2年に日本武尊を合わせ祀ったという。延…

金鑽神社、多宝塔

明けましておめでとうございます。新年になりましたが、11月に行った埼玉県西北部の史跡巡りを続けます。 埼玉県児玉郡神川町二ノ宮にある金鑽(かなさな)神社は、その地名の通り武蔵国二宮であり延喜式内社の名神大社として古くから知られている。国道462…

八塩温泉、城峰公園

埼玉県児玉郡神川町と群馬県藤岡市の県境に神流川が流れている。神流橋をわたってすぐ左に曲がると、やがて八塩温泉につく。11月から12月にかけて紅葉と冬桜が同時に楽しめる、桜山公園へのハイキングコースの登山口にもなっている。対岸の神流川沿いには、…

金鑽元三大師(かなさながんざんだいし)

深谷市から西へ本庄市を抜け、この日泊まる藤岡市の八塩温泉に向かう。群馬県藤岡市に入る直前、埼玉県児玉郡神川町に元三大師がある。正式には、金鑽山一乗院大光普照寺という天台宗別格本山の名刹である。 古くは聖徳太子の開創で、舒明天皇の勅願寺であっ…

渋沢栄一記念館

妻沼から県道本庄妻沼線を西に進むと、深谷市北部に渋沢栄一ゆかりの建物がいくつかある。 誠之堂と清風亭は、平成11年に東京世田谷区から深谷市に移築された。 手前の清風亭は、大正15年(1926)に当時第一銀行頭取だった佐々木勇之助の古希を記念して、第…

聖天山、軍荼利明王

本殿に向かって右側に回廊があるが、その右手に仁王門の右から回り込むと鐘楼が建っている。宝暦11年(1761)の建立であり、棟梁は2代目の林兵庫正信である。昭和30年に改鋳されている。 鐘楼の近くに松尾芭蕉の句碑がある。真ん中にある高さ172cmの細長い…