半坪ビオトープの日記

水潜寺、本堂


皆野町西部の山間、日野沢川の谷沿いに、秩父札所34番、曹洞宗の日沢山水潜寺がある。西国33ヶ所霊場、坂東33ヶ所霊場と合わせて、日本百観音の結願寺であり、巡礼者が打ち留めの札と笈摺を納める寺でもある。

参道は二股に分かれ、右が本堂(観音堂)へ至る参拝順路であり、左は三十三観音が並ぶ帰り道である。

右に進むと、やがて左手に六地蔵が現れる。その先で左の階段を上がると、本堂(観音堂)に着く。札立峠に至る巡礼道は、沢の右側にある。

本堂(観音堂)は、大きな流れ向拝を付けた6間4面方形造りで、文政11年(1828)の建築である。由緒では、天長元年(824)、旱魃に苦しむこの土地に一人の旅僧が現れて、村人に観音信仰を説き、木札に「樹甘露露法雨」と書いて立てたところ、瞬く間に雨雲が空を覆い尽くして雨が降ってきた。その札を立てたのが水潜寺の南側にある札立峠で、祈った場所が水潜寺の始まりになったという。

向拝及び虹梁の彫刻も精巧を極め、なにやら中国の故事の場面が彫られている。

内陣は壁で囲まれ、外陣は桟唐戸をたて周囲に縁を回し、内陣外陣の境には格子戸をもって仕切り、その上部に飛天像その他の極彩色彫刻を入れ、組物は出組で格天井を受け、鏡板には円形の輪郭を取り、花鳥の様々が描かれている。

本尊は、一木造り室町時代作と伝えられる千手観音、西国をかたどる西方浄土阿弥陀如来、坂東をかたどる東方瑠璃光世界の薬師如来が祀られ、日本百観音結願寺の特殊性を出している。
堂内には大日如来の胎内仏で初期鋳造の阿弥陀如来享保18年(1733)諸国信者の寄進による鋳造子育観音が祀られている。

観音堂の右脇の崖下に、清浄長命水を湧出する寺名の起こりの水潜りの岩屋があり、札所巡礼を終えた人々は、ここで再生儀礼の胎内潜りをし、長命水を飲んで、笈摺を納め、心身ともに清浄になって俗世の生活に帰るという。長命水は左手前にある。岩屋に向う石段の右手の沢沿いに、札立峠に至る巡礼道がある。

水潜りの岩屋は現在、立入り禁止となっている。