半坪ビオトープの日記

高麗聖天院 


和田山登り口近くの配水場から左に曲がって車道に出る。如意輪堂を通り越して高麗聖天院に向う。
高麗聖天院は、高句麗から渡来した高麗王若光の菩提寺として高麗川の左岸に建立された。
修復工事中の雷門の右手に高麗王廟がある。鎌倉時代建立の朝鮮様式の多重石塔で、墓石の四面に仏像が描かれている。

寺伝によると、若光に従っていた僧の勝楽が、若光の冥福を祈るためにその念持仏だった聖天歓喜仏を本尊とする寺院を建てようとした。だが完成を見ずに天平宝寺3年(751)に没してしまったので、弟子の聖雲(若光の第三子)らが勝楽の遺志を受け継ぎ一寺を建立した。それが高麗山聖天院勝楽寺である。雷門の裏の石段を上ると受付の中門がある。

寛永年間(1624-44)に火災に遭って堂宇が焼失した際、背後の丘陵よりに移して再建されたという。江戸時代には高麗郡の本寺として、門末54寺を擁するほど隆盛を誇った。近年老朽化がひどくなったので、平成12年に新本堂を落成した。旧本堂跡地には中門を建立し、阿弥陀堂を移築するなど整備された。中門を入ると広い境内の左手に、木造阿弥陀如来座像を本尊とする阿弥陀堂がある。

堂内には阿弥陀三尊像が安置されている。行基作と伝えられる阿弥陀如来像は、定朝様式の古仏で、きれいに修復されている。阿弥陀堂の扁額の下の蟇股に「卍」が描かれているのは珍しい。

中門の正面から右手には、整備された庭園があり、上には本堂が見える。

阿弥陀堂脇の急な石段の上には鐘楼があり、前面には高麗王若光の石像が建っている。その右手には、総欅造りの新しい本堂が大きく構えている。この本堂には、本尊として鎌倉仏師の大蔵法眼が天正8年(1580)に彫り上げた不動明王座像が安置されている。寺宝として、文応2年(1261)物部李重作の銅鐘があり、国の重文に指定されている。

奈良時代当初は、本寺は若光の守護仏だった聖天仏を本尊として祀る法相宗の寺だったが、中興開基とされる秀海の代、貞和年間(1345-50)に真言宗に改宗した。天正12年(1584)圓真上人は不動明王座像(胎内仏弘法大師作)を本尊とし、聖天は別段に配祀した。

本堂の右手には凝灰岩が露出した箇所がある。本堂を新築するために裏山を整地した時に出てきた岩で、寺では「雪山」と呼んでいる。

本堂の建つ最上段の境内からは、庭園や中門、修復中の雷門が見下ろせ、彼方には日高市飯能市の境をなす新緑の丘陵が見渡せる。

修復中の雷門(仁王門)は、天保3年(1832)の建立であり、入母屋造総欅の木造二層の楼門で、間口約8.8m、奥行き約5.5mである。修復中のため、風神、雷神および「雷門」と書かれた大きな提灯は、別に保管されているという。
雷門の龍や木鼻の獅子の彫刻は、後藤三治郎橘恒俊により彫られているという。

こちらの天井画は、鳳凰である。天井画は、江戸の画師有沢作という。他にも雲の図柄などが描かれていた。