半坪ビオトープの日記

薬師堂


小鹿野町両神神社のすぐ近くに、法養寺薬師堂がある。眼病に霊験があり、「目薬師」として信仰を集め、神奈川県の日向薬師、愛知県鳳来寺の薬師と並び、日本三体薬師として世に喧伝されている。
江戸時代中期建立の仁王門は、間口6.93m、奥行4.19m、高さ7.92mの八脚門で、総欅造りの瓦葺である。

入口を守る木造の金剛力士像は、開口の阿形像と閉口の吽形像で、天保2年(1831)の墨書銘がある。

金剛力士像は一般に仁王像とも呼ばれ、2躯揃って睨みを利かせている。

薬師堂は、古くから山岳信仰の対象である両神山・四阿屋山の麓に平安時代に創建されたと伝わり、堂名を「四阿屋山法養寺薬師堂」という。戦国時代には北条氏の信仰が篤く、薄の薬師様として縁日にはたいへん賑わったといわれるが、戦国時代の天正期(1573~91)に、鉢形城北条氏邦が古堂を移築したものと伝えられている。建物は石積みの基壇上に建ち、桁行・梁間とも3間で、1間の向拝が付く寄棟造で、外回りに高欄が付く。屋根は茅葺だったものを昭和53年に銅板葺きに改修した。
薬師堂の右手に建つ石像の七重の塔は、塔頂まで3m、幅60cm、高さ27cmの角柱石材に60cmの方形型の屋根を載せる。薬師堂の信者、小鹿野市街地の初期開発者でもある岩田氏により延宝5年(1677)に奉納された。

建築様式は、和様に唐様が入り交じり、建物軸部の木割が太く、組物は繊細な感じを備え、床は槍鉋で仕上げられている。県内の室町時代建築の特徴を伝える数少ない建造物である。間口は11.7m、奥行11.27m。

薬師堂の堂内には、本尊の薬師如来を守護する十二神将像と、その内側に脇侍の日光菩薩月光菩薩像が安置されている。木造日光菩薩月光菩薩立像は、寄木造、彫眼で、その作風から、十二神将像と同時期の制作と推定されている。像高は、日光菩薩が86cm、月光菩薩が88cmである。

木造十二神将立像は、いずれも割矧造、彫眼、彩色が施される。脚ほぞ部の墨書銘から天正13~14年(1585~86)にかけて北条氏邦とその家臣団が旦那となって奉納されたことが分かる。像高は、85.5~91.5cmである。

目の守り本尊とされる薬師如来は、秩父十三仏の一つであり、祈願の絵馬がたくさん掲げられている。堂内屋根裏には天正7年(1580)の記載がある納札が見つかっている。

法養寺には、涅槃像画軸が保存されている。縦190cmの大画軸に納められ色彩が豊かである。涅槃会に架ける画像であり、かつては法要に使用されていた。寛政2年(1790)井玉泉画と記され、江戸時代後期の仏画として貴重なものである。
絵馬には「め」の字を左右対称に二つ並べたものも多く掲げられていた。