半坪ビオトープの日記

鳥取

岩井廃寺塔跡、岩井温泉

御湯神社の参道である長い石段の手前右側には広大な広場があり、その奥に大きな建物が建っている。旧岩井小学校の体育館である。今は避難所、広域避難場所となっていて、収容人数は2,990人という。これは体育館だが、岩井温泉街の西南にある旧校舎は、明治25…

岩井温泉、御湯神社

鳥取砂丘は以前に観光しているのでやり過ごし、東隣の岩美町に入る。岩美町の「浦富海岸」は、悪天候で遊覧船に乗り損なったことがある風光明媚のリアス式海岸だが、今回も残念ながら立ち寄る時間がない。代わりに道の駅「きなんせ岩美」に立ち寄る。「きな…

豊乗寺、最勝寺

智頭宿は智頭駅の北にあるが、駅の西に向かうと4kmほどの山麓に高野山真言宗の古刹、豊乗寺がある。山門の石段の右手前には石地蔵があるが、それは昔、清美という村の娘が悲恋のため豊乗寺の池に身を投げて死んだ霊を弔うために造られたといわれる。 豊乗寺…

智頭宿、石谷家住宅

鳥取県東南部に位置する智頭町の中心地に旧宿場町の智頭宿がある。奈良時代以来の畿内と因幡を結ぶ道でもあった智頭往来(因幡街道)と、備前街道が合流する地にあって、両街道の宿場として栄えた歴史を持つ。智頭往来は歴史の道百選と遊歩百選に選ばれてお…

那岐神社、みたけ園

菩提寺から北東に進み、県境にそびえる那岐山の北側に回り込むと、那岐神社のある鳥取県の智頭町に至る。那岐山(1255m)は全体が古くから神として崇拝され、那岐大明神(奈義神)と呼ばれていた。のち宇塚村内に勧請され五穀豊穣の祈願がなされ、天徳年間(…

砂丘、かろいち

鳥取砂丘は、東西16km、南北2km、雄大な起伏が続く日本一の大砂丘である。数万年にもわたる海と風の作用によって造られた巨大な砂の丘は、国の天然記念物に指定されている。 砂丘入口から左方向を望むと火山灰が露出し、草が生えた長者ヶ庭と、さらにその向…

宇倍神社、双履石

吉田家本『延喜式神名帳』には、仁徳天皇55年、三百六十余歳の武内宿禰が、因幡国の宇倍山中腹の亀金山に双履を残して行方知れずになったとある。本殿の左手にその亀岡山に上る石段がある。石垣全体が苔で覆われている。 亀岡山に残るこの二つの「双履石」が…

宇倍神社、本殿

三徳山三佛寺を参拝登山した後は、鳥取砂丘と宇部神社だけを見て最後の一日とした。鳥取駅の東数kmほどにある宇倍神社は、大きな石鳥居のある石畳の参道を200mほど歩いた先にある。 百人一首に「立別れ因幡の山の峰に生ふる松としきかば今かへり来む」と在原…

三徳山三佛寺、投入堂

地蔵堂の先も岩場が続くが、脇には白い小花がたくさん咲いていた。おそらくモクセイ科トネリコ属のアオダモ(Fraxinus lanuginose form. serrata)であろう。 その先に、サイコクミツバツツジ(Rhododendron nudipes)が紅紫色の花を咲かせていた。 大岩がご…

三徳山、文殊堂、地蔵堂

登山道はすぐに土嚢が積まれた急坂となるが、その入口に結界石が立っていて、「忌穢不浄輩禁登山」と書かれている。 木の根っこの道を上ると、正面に古めかしい野際稲荷(十一面観音堂)が建っている。一間社切妻杮葺きの春日造風の建物である。野際稲荷の左…

三徳山三佛寺、本堂

本堂の左手前には、香炉と大きな狛犬があり、脇の立て札には「山上の地蔵堂が遥拝できます」と書かれている。見上げると地蔵堂の屋根がわずかに見える。 本堂の右手前には、青銅馬像、釈迦正覚の聖木とされる菩提樹、狛犬、地蔵菩薩像が並んでいる。 天台宗…

三徳山三佛寺、宝物殿

倉吉の町の東南10km弱の三朝川沿いに、平安時代末期開湯と伝えられ世界有数のラジウム泉として名高い三朝温泉がある。そこで泊まった翌朝、三朝川の上流の三徳山(900m)の山麓にある三徳山三佛寺を訪ねた。深い渓谷から三徳山の姿は見えないが、木々に覆わ…

倭文神社、本殿

ひっそりとした境内を進むと、堂々とした拝殿が構えている。 倭文神社の創建年代は不明であるが、伯耆国一宮である。文献上の初見は大同3年(808)の医学書「大同類聚方」とされる。延喜式神名帳(922)にも名が見え、天慶3年(940)には従三位から正三位…

倭文神社、経塚

日本海近くの湯梨浜町東郷池畔にある羽合(はあい)温泉の対岸の山、御冠山の西麓に倭文(しどり)神社が鎮座している。 石段を上っていくと随神門の前に鳥居がある。享保12年(1727)建立の明神鳥居で、扁額には「伯耆一ノ宮倭文神社」と浮き彫りされている…

倉吉、白壁土蔵

倉吉の町は室町時代に打吹城の城下町として形成され、江戸時代には陣屋を中心に武家屋敷が設けられて、当時「町屋十八町」といわれた。その旧市街地が今では「倉吉市打吹玉川伝統的建造物群」という保存地区となっている。 倉吉白壁土蔵群・赤瓦観光コースの…

長谷寺、本堂

参詣途中に見たように、長谷寺本堂は、典型的な懸造であり、室町時代末再築の寄棟造の五間堂である。数度の改変を経て江戸時代後期に現在の形に定まった。 『伯耆民談記』等に伝える寺伝によれば、養老5年(721)法道を開山として創建されたという。当初は…

長谷寺、仁王門

打吹城跡のある打吹山の西麓、八幡神社より打吹山の近くに天台宗の打吹山長谷寺がある。 境内は打吹山山腹、打吹城越中丸跡近くの斜面にあるので、300mほど山に分け入る感じで上っていく。 石段と坂道を上っていくと、参道の左手十数mのところに何やら建って…

倉吉八幡宮

倉吉市役所のある旧市街地の南には、山名氏が築いた打吹城跡のある打吹山(204m)が秀麗な姿を見せている。その西麓に八幡神社がある。一の鳥居の先に随神門が見える。 かなり大きな境内に入ると、すぐ右手にまた小さな鳥居があって、小さな境内社が二つ祀ら…

永昌寺

関金温泉から倉吉市街地に向い数km手前の東、岩倉に曹洞宗の永昌寺がある。十三重石塔や宝塔などで知られる。 門前右手には、近くの岩倉城跡周辺で出土した、鎌倉時代から南北朝時代の石仏や五輪塔、宝篋印塔、宝塔などがたくさん集められている。 久宝山永…

大滝山地蔵院

犬挟から山を下ると、江戸時代に湯関宿と呼ばれていた倉吉市関金の町に着く。弘法大師空海によって開かれたと伝えられる関金温泉の最奥部に、「関の地蔵さん」と呼ばれ地元の信仰の篤い大滝山地蔵院がある。 細長い境内の一番左には、方丈の大師堂が建ってい…

大山、蒜山

中渡りの道を進むと、大山の夏山登山道と交差する。突っ切ると左にひっそりと洞明院が建っている。西明院谷寺院群に属し、現在は宿坊となっている。入口の門は江戸時代初期のものと伝えられ、花や猿の緻密な彫刻が施されている。洞明院の先を左に折れて上り…

大山寺、中渡り

大山寺参道から東に分かれ、佐陀川の南光河原を渡って、大山寺の支院がいくつかある西明院谷寺院群へ向う。すると道端にイカリソウ属の花が咲いていた。初めて見るが、これは主に太平洋側に自生するイカリソウとは違う、トキワイカリソウ(Epimendium semper…

下山神社

大神山神社奥宮の左奥に、末社の下山神社がある。元徳2年(1330)備中郡司渡邊日向守の子、照政が参拝の帰路奇禍に遭い不慮の最期を遂げたのを里の人々が憐れみ、大山下山の地に小祠を建て下山善神と呼んでいたが、数々の霊験があり、この地に奉還したとい…

大神山神社、奥宮

金門の上流は谷がやや広く、賽の河原という。新緑の先には、まだ雪渓がたくさん残る大山の険しい北壁が元谷の上に聳えている。 アップして一番左に見える峰が天狗ヶ峰(1710m)、正面に見える峰が剣ヶ峰(1729m)で、その右の弥山(1709m)は木に隠れて見え…

大山寺、金門

明治の廃仏毀釈により大山寺号は廃絶となり、当寺の十三堂塔三院谷四十二坊も急激に衰退し、建物も取り壊され、今は四つの参拝堂と十の支院を残すのみとなっている。本堂の右奥には鐘楼堂が建ち、鎌倉時代の作といわれる「開運鐘」が架けられている。 本堂の…

大山寺、本堂

二日目に泊まった鳥取県米子市の皆生温泉は、日本海に面した温泉なのだが、残念ながら宿からは海が見えなかった。朝から伯耆大山に向う。 『出雲国風土記』に「火神岳(ひのかみのたけ)」と呼ばれた神話の昔から、西伯耆に聳える大山(1729m)は、この上な…

境港、美保関

ゴールデンウィーク後半に出雲と鳥取周辺の史跡巡りに出かけた。最初は鳥取県の境港市の水木しげるロードを訪れたが、ゲゲゲの鬼太郎のファンというわけでもないので、妖怪神社だけ立ち寄った。 一反木綿があしらわれた鳥居の奥には、妖怪が宿るという黒御影…