半坪ビオトープの日記

2011-01-01から1年間の記事一覧

賤機山丘陵の南端にある駿河国総社の静岡浅間(せんげん)神社は、「おせんげんさん」の愛称で市民に親しまれている。正式には神部神社・浅間(あさま)神社・大歳御祖(おおとしみおや)神社の3本社と4つの境内社を総称した呼び方である。 この石鳥居は、…

宿泊した寸又峡温泉のロビーで、姫柿の盆栽をいくつか見かけた。 姫柿はロウヤカキ(老爺柿)、老鴉柿、ツクバネカキとも呼ばれている。 中国原産の雌雄異株で日本で栽培されるようになってからまだ日が浅い。 径2cm前後の小型で、橙から赤色の柿の実がなり…

大井川を遡っていくと、下流の金谷駅から上流の千頭駅まで大井川鉄道が走っている。 レトロなSL列車も一日数本運行されていて、鉄道マニアに人気がある。千頭駅から井川ダムがある井川駅までには、南アルプスあぷとラインの小さな列車が走っている。日本唯一…

本堂内陣の脇にある木造如来座像は、像高65cm、一木造りの座像で、丸顔、螺髪等のつくりから平安時代後期の作といわれ、町の文化財に指定されている。 本堂に向かって右のこの建物は、庫院である。 山門から本堂に向かう左側に鐘楼が建っている。 本堂に向…

智満寺には「信州猫檀家」の伝説がある。 昔、応仁の乱が終わった頃(1500年頃)智満寺の宗芸和尚が一匹の猫を飼っていた。飢饉のため「今のうちにどこか食べ物のある所へ行きなさい」といわれた猫は、「いつか恩返しをします」と出て行った。その数年後、信…

川根の智満寺は、今から1000年前の平安時代に草創され、千手観音菩薩像を本尊とし、山号を千葉山といい、寺号を智満寺と称した。 一説には、島田市の智満寺の末寺として、奥大井の天台教学の拠点として開かれたとの口伝がある。その後、延徳3年(1491)に駿…

袴腰で宝形屋根の三光寺の鐘楼堂は、貞享4年(1687)前住筏山智船和尚のときに建立されている。 この建物は虚空蔵堂という。毎年2月23日が虚空蔵尊の縁日であり、この日にだけ「大般若経600巻」が一般公開される。 三光寺は、足の病を治すという足地蔵を…

大井川の中流域に川根町があり、そこに曹洞宗満家山三光寺がある。貞和2年(1346)京都嵯峨天竜寺の開祖、夢窓国師の開闢の地である。 2018坪を有する境内には、300年を超える杉木立が立ち並び、虚空蔵尊、足地蔵、馬頭観音、文殊・普賢菩薩、白山堂、等を…

元の境内(下島の御仮屋)を「お旅所」として3年に一度、神様が神輿に乗って里帰りをするという大祭りが、元禄8年(1695)より催行され、現在、日本三奇祭といわれる「帶祭」の発祥となっている。 帯祭りの名は、島田宿に嫁いできた女性が安産祈願で大井神…

大井神社は祭神として、水の神・禰都波能売神、土の神・波邇夜須比売神、太陽の神・天照大神を祀る。 大井川流域には当社を中心に現在46社の大井神社があり、かつては72社あったという。 本殿は、文久3年(1863)の再建で、信州の名彫物師・立川昌敬の…

島田市役所西南に大井神社がある。島田の氏神として崇敬篤く、古くは「三代実録」に、貞観7年(865)に同社への神階授与の記録があることから、それ以前には創建されていたとみられている。 延喜式内社ではないが、国史に記録のある国史見在社である。これ…

島田市民病院西にある真言宗の鵜田寺は、「眼薬師さん」と呼ばれ親しまれている。 創建は天平宝字2年(758)と伝えられ、本尊の木造薬師如来坐像は、寄木造りで平安時代末期の作と推定されている。この薬師如来は、弘仁13年(822)頃編纂された「日本霊異…

東海道五十三次の22番目の宿場である藤枝宿の近くに、日蓮宗の円妙山大慶寺がある。門柱だけの門から入ると、本堂前に見事な松の大樹が聳えている。大慶寺開祖日蓮上人お手植えの「久遠の松」である。 寺伝によると、建長5年(1253)比叡山や奈良の寺院で…

不動堂の右には新しい観音堂が建っている。 神亀3年聖武天皇の勅願により行基菩薩が自ら彫ったと伝わる、聖観音菩薩像を安置している。 台座には、本尊・厨子が天和2年(1682)田中城主・土屋政直により再興されたと記されている。またの名を躬立(きゅう…

鬼岩寺には多くの伝説とそれにまつわる物がある。左の岩は鬼かき岩という。弘法大師が鬼を閉じ込めて成敗したという伝承では、その鬼(魔魅)がこの岩で爪を研いでは里人を襲い悩ませていたという。爪痕は7本あるが、この爪痕を3回撫でてお祈りすると願い…

藤枝市の蓮華寺池公園の西に真言宗の楞厳山鬼岩寺(りょうごんざんきがんじ)がある。 永禄13年(1569)武田郡の兵火や、大正4年の火災により昔の大伽藍や数々の寺宝・古記録等を焼失したため、重厚な雰囲気は薄らいでいるが、約1300年の歴史を誇る藤…

先月中旬に静岡県藤枝市から寸又峡を訪ねた。藤枝市のほぼ中央に位置する蓮華寺池公園は、春に桜や藤の花見でにぎわい、夏には蓮の花が池に浮かぶ。日本庭園や水遊び場、アスレチック広場や野外音楽堂などがあり、市民の憩いの場となっている。元は慶長18…

深い森を抜けると芝生の広場が見えてくる。人影もまばらの憩いの場らしく、あちこちで家族連れや若いカップルがのんびりとひなたぼっこをしている。 広々とした広場に面して宝物殿の入口がある。宝物殿には、明治天皇・昭憲皇太后ゆかりの御物が収蔵・展示さ…

大正9年に創建された御社殿は、昭和20年の空襲により本殿も拝殿も焼失してしまったが、昭和33年に再建された。 初詣などで一般客が参拝するのはこの外拝殿であり、奥に内拝殿があるが撮影禁止であった。 新嘗祭などに招待されれば内拝殿に入ることがで…

参道を右に曲がると、楼門の前に三の鳥居が見える。左の掲示板には「新嘗祭」の説明がある。この日がちょうど新嘗祭の当日だったが、宮中で行われるはずの天皇による祭儀は、身体の具合が悪く掌典長が代理したといわれる。宮中恒例の祭典の中で最も重要な新…

先日、青空のもと明治神宮を散策した。明治神宮といえば初詣かハナショウブの咲く御苑に行くだけだが、それも近年記憶にない。 実際には北参道から入ったが、やはり原宿駅に近い南参道口の一の鳥居からたどってみよう。 大正9年(1920)創建の明治神宮は、…

目白駅の近くに、韓国料理店・シオンがある。韓国の伝統食文化と日本食のトレンドを融合させた創作料理に挑み続けている。韓食財団が選定する「優秀韓国レストラン」に認定され、「東京韓国レストランガイド2011」にも掲載された。 ランチはナムル・キムチ付…

池袋西口の芸術劇場の脇を入った所に、マレーチャン(MALAYCHAN)というマレーシア・エスニック料理の店がある。 マレーチャン(馬来煎)とは、エビを発酵させたプラチャンという調味料に、干しえびやレモングラス、ショウガ、ニンニクなどをスパイスを加え…

マンリョウ、ヤブコウジ、カラタチバナなど正月に向けて縁起の良い赤い実のなる鉢物が店頭に並ぶようになった。 以前にも取り上げたことがあるカラタチバナ(唐橘、Ardisia crispa)であるが、白色の実もある紅白揃いの鉢が珍しい。白実のものは、シロミノカ…

11月に近くで見かけた花を紹介する。花期が11〜5月とされるスベリヒユ科のレウィシア(Lewisia cotyledon)が出回っていた。北アメリカ北西部原産の耐寒性のある宿根草で、山岳地帯に自生する。属名は、18世紀のアメリカ人探検家のメリウェザー・ルイ…

霊廟左列手前には、家光の側室で五代将軍綱吉の生母桂昌院ほか、歴代将軍の夫人や子女の多数が埋葬されている合祀塔がある。 宝塔は六代家宣の側室・月光院輝子のものである。 旧徳川将軍家霊廟の入口の前に、四菩薩像がある。右から普賢菩薩、地蔵菩薩、虚…

旧徳川将軍家霊廟は御霊屋と呼ばれ、増上寺大殿の南北(左右)に立ち並んでいて戦前はいずれも国宝に指定されていたが、戦災で96棟が焼失して残った建物も国宝の指定が解除された。その後、荒廃していた御霊屋群を昭和33年から調査、改葬されて現在のよ…

増上寺は徳川家の菩提寺であり、遺言により家康の葬儀が行われた寺でもあり、徳川将軍家の霊廟がある。 二代将軍秀忠など6人の将軍、同将軍御台所崇源院、皇女和宮など5人の正室、三代家光側室桂昌院など5人の側室や将軍の子女多数が埋葬されている。 霊…

増上寺の最初の鐘楼堂は寛永10年(1633)に建立されたが、現在の鐘楼堂は戦後に再建されたものである。 東日本最大級、江戸三大名鐘の一つという梵鐘は、延宝元年(1673)の鋳造で、高さ一丈(約3m)、重さ四千貫(約15t)もある。 四代将軍・家綱の命…

先月中旬、芝増上寺を見てきた。浄土宗鎮西派、三縁山広度院増上寺は、明徳4年(1393)酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人により開かれた。 場所は武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地と伝えられている。開山から戦国時代にかけて…