半坪ビオトープの日記

2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

長谷寺、弁天窟

観音堂の左にある大黒堂の2階が宝物館となっていて、応永19年(1412)の銘をもつ大黒天像が安置されている。ほかにも文永元年(1264)銘の梵鐘や嘉暦元年(1326)銘の懸仏等が展示されている。 観音堂の右には阿弥陀堂がある。長谷誓願寺の旧本尊という由緒…

長谷寺、観音堂

鎌倉から江ノ電に乗り3駅目の長谷駅でおりる。大仏は何度も見ているので、今回は浄土宗の長谷寺だけを見る。 正式には海光山慈照院長谷寺というが、長谷観音と通称される。中世以前の沿革は不明だが、寺伝によれば、天平8年(736)大和の長谷寺の開基でもあ…

OSHINO

ランチはビストロのOSHINOに予約して、小町通りの和菓子屋やカフェ、土産物屋を散歩しながら向かった。途中の道端で、通称カンガルー・ポー(kangaroo-paw)の園芸品種を見かけた。 ハエモドルム科アニゴザントス属(Anigozanthos)の植物で、オーストラリア…

八幡宮、白旗神社

舞殿の右奥に、下宮とも呼ばれる若宮がある。現在の若宮は、2代将軍徳川秀忠が着工し、3代家光の寛永3年(1626)に完成した。 拝殿から幣殿と本殿を連ねた権現造で、祭神は、仁徳天皇、履中天皇、仲媛命、磐之媛命である。 若宮と直会殿との間の道を東に…

八幡宮、本宮

舞殿の後ろの大石段の左手に大銀杏の跡がある。3代将軍源実朝を暗殺した公暁が隠れていたという伝説から「隠れ銀杏」とも呼ばれていた樹齢約千年の古木は、平成22年3月に突然倒れてしまった。倒れた幹は切断されて左に移植され、残った根からは翌月新芽が…

鶴岡八幡宮、舞殿

建長寺から鶴岡八幡宮の境内には、本宮左手の丸山稲荷社の脇から入ったのだが、わかりやすいように紹介は三の鳥居から始める。 若宮大路の二の鳥居から段葛を進むと、正面に大きな三の鳥居が立っている。奥州を平定した源頼義が、康平6年(1063)源氏の氏神…

建長寺、方丈

国重文に指定されている唐門は、勅使門とも呼ばれる。仏殿と同じく東京芝増上寺にあった徳川秀忠の霊屋の廟門を移したものである。 漆塗りの四脚門で、牡丹唐草文などの彫刻や透し彫り金具などの装飾技法は、仏殿と同じように桃山風の作風を伝えている。 唐…

建長寺、法堂

仏殿の後ろに国重文の法堂がある。法堂は大法を説く堂のことで、古代寺院の講堂に相当する。本来は説法するところで仏像はなかったが、後に広く儀式を行うようになって仏像も安置されるようになった。現在の法堂は文化11年(1814)建立で、関東で最大の法堂…

建長寺、仏殿

建長寺は建長5年(1253)の創建で、開基は鎌倉幕府第5代執権北条時頼である。開山は宋より渡来した禅僧蘭渓道隆で、その後も2世、3世、4世、5世の無学祖元と、中国からの渡来僧が室町時代初期まで続いた。 三門の右手脇に大きな梵鐘のかかる鐘楼がある…

建長寺、三門

円覚寺から歩いていくと、建長寺には西外門から入る。大きな寺号標石にあるとおり、鎌倉五山第一位の寺格をもち、日本で最初に「禅寺」と称した。臨済宗建長寺派大本山で、406ヵ寺ほどの末寺を擁する。 西外門には「天下禅林」の扁額が掲げられているので天…

円覚寺、開基廟

妙香池の先に進むと左に開基廟がある。弘安7年(1284)に没した開基北条時宗の廟所であり、北条氏の廟所でもあり仏日庵御霊屋とも呼ばれる。北条氏滅亡後は次第に衰微し、天文年間(1532~55)以後に玉泉軒から入った鶴隠周音が中興して塔頭とした。 門をくぐ…

円覚寺、方丈

唐門の奥にある方丈は、昭和4年建立の入母屋造の壮大な建物である。方丈とは、インドの維摩居士の居室が一丈四方だったことに由来する。 本来は住職の居間であるが、多くの宗教行事がここで行われる。 方丈の前庭、唐門内側のビャクシンの左手の塀の内側に…

円覚寺、唐門

円覚寺は、文永・弘安の役という2度の蒙古襲来で戦没した敵味方双方の将兵の霊を慰めるために北条時宗により造営された。弘安5年(1282)の開堂後も造営が続き、禅宗で最も重要な法堂の造営は、元亨2年(1322)であった。鎌倉時代末には建長寺・寿福寺と…

円覚寺、仏殿

まだ紅葉には早いが、先週平日に鎌倉に出かけた。北鎌倉駅から線路に沿って進むと踏切の左側に「臨済宗大本山円覚寺」の寺号標石がある。鎌倉五山第2位、山号は瑞鹿山、正式寺号は圓覚興聖禅寺と称する。 弘安5年(1282)の開基は、8代執権北条時宗、開山…

海老マヨ+ブロッコリー

ハチミツを使った甘味のエビマヨにブロッコリーを加えた(4人分)。 ① ブロッコリー1株を切り分け、好みの固さにゆでて水を切っておく。 ② ボールにマヨネーズ大4、ケチャップ大2、ハチミツ大1、レモン汁小2の調味料を混ぜておく。 ③ エビ20尾の殻をむ…

牛肉とベーコンのポトフ

牛肉のポトフに厚切りベーコンも入れてみた(6人分)。 ① シチュー用牛肉400gと厚切りベーコン200gを一口大に切る。 ② にんじん1本、タマネギ1個半を切り、圧力鍋にサラダ油大1を熱し、牛肉と炒める。 ③ ベーコン、コンソメ3個、水4カップを加え、ふた…

白河神社

この白河関跡には、延喜式内社の白河神社がある。 狛犬の間を通るとすぐに、大きな藤蔓と古びた鳥居がある。 参道を上り詰めると、社殿の前に大きなスギの木とスギの切り株がある。社殿では、古墳時代の成務天皇5年、白河国造・鹽伊乃自直命(しほいのこじ…

白河関跡、奥の細道碑

参道右手の中腹に加藤楸邨筆になる「奥の細道白川の関」の碑がある。 「心許なき日かず重るままに白川の関にかゝりて旅心定まりぬ。いかで都へと便求しも断也。中にもこの関は三関の一にして、風騒の人、心をとゞむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の…

白河関跡、古関蹟の碑

白河駅の南方12kmに白河関跡がある。常陸の勿来関、羽前の念珠関と並ぶ奥羽古三関の一つで、5世紀頃に蝦夷対策として設けられた東山道口における奥羽への関門だった。その後、律令制の衰退とともに機能を喪失したが、能因法師が「都をば霞とともにたちしか…

ブラッスリーラ・セゾン

白河で洒落たレストランはないか、事前に探し当てたのが南湖公園の湖畔にある、ブラッスリーラ・セゾンという洋食店。旬の地元食材を使い、全て手作りというので期待してきた。 ランチは各種あったが一番充実しているランチコースメニューを選んだ。 オード…

南湖神社

南湖公園の北東部に、公園を造った松平定信を祀る南湖神社がある。入口には定信楽翁の像が建てられている。 参道を進むと、「大震災復興、大鳥居再建」と書かれた板の鳥居が痛々しく立っている。去年の東日本大震災で、鳥居や灯籠がかなり倒れたままになって…

南湖公園、松楽亭

翠楽苑は、一周10分の回遊式庭園であり、池に面した松楽亭では抹茶を楽しむことができる。 松楽亭の向こうには、南湖神社が微かに見え、庭園の廻りは緑濃い木々に覆われている。 上池に面した松楽亭の後ろに見える山は月待山という。松楽亭からこちらを見る…

南湖公園、翠楽苑

白河市への帰りがけに羽鳥湖高原を横切った。羽鳥湖は、周囲16km、最大水深31.2mの人造湖として昭和31年に完成した。 羽鳥ダムは、堤高37.1mのアースダム(土堰堤)で、アースダムの規模としては全国屈指という。今はかなり水量が少なくなっている。 白河市…

二岐温泉、御鍋神社

二岐温泉より4kmさらに二岐山の登山口に向かって進むと、御鍋神社がある。 神社入口の数百m手前に大きな駐車場があり、そこからもブナの原生林の中を抜けて二岐川に沿って神社に向かう15分ほどの遊歩道がある。生い茂る草をかき分けて数十m進んだ所、道端の…

二岐温泉、甌穴風呂

会津の下郷町から白河に向かい蝉トンネルをくぐると天栄村に入る。すぐ右手の二岐川沿いの山間に入り、谷を進むと二岐山(1544m)の麓に二岐温泉がある。 平安時代の安和2年(969)の政変で皇位継承に破れた宮人が、薬湯を求めて川底に湧く現在の元湯自噴泉…

塔のへつり、虚空蔵尊

塔のへつり一帯は、数百〜数千前にできた第三系凝灰岩、凝灰角礫岩、頁岩などが互い違いになった地層からなり、その軟岩部が10万年程にわたる浸食と風化の作用により形成された柱状の断崖と推定されている。 塔のへつりの「へつり」とは、会津方言で川に迫っ…

塔のへつり

会津の下郷町で有名な温泉は、大川渓谷沿いに湯宿の点在する湯野上温泉であるが、その大川(阿賀川)沿いに景勝地で名高い塔のへつりがある。 塔のへつりは、河食地形の奇形を呈する好例として、国の天然記念物に指定されているとともに、大川羽鳥県立公園の…

大内宿、全景

大内宿の突き当たりに一回り大きい茅葺き屋根の浅沼食堂がある。一段高くなっていて大内宿を一望できるので、江戸時代には役人達が見張り場所として使ったそうだ。 浅沼食堂には、岩魚の串焼きや岩魚天ぷら蕎麦のほか、ねぎそばもある。高遠蕎麦と同じように…