半坪ビオトープの日記

長谷寺、観音堂


鎌倉から江ノ電に乗り3駅目の長谷駅でおりる。大仏は何度も見ているので、今回は浄土宗の長谷寺だけを見る。
正式には海光山慈照院長谷寺というが、長谷観音と通称される。中世以前の沿革は不明だが、寺伝によれば、天平8年(736)大和の長谷寺の開基でもある徳道を藤原房前招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。
当時の梵鐘には文永元年(1264)の銘があるので、この頃には長谷寺があったことが明らかである。

長谷寺は、観音山の裾野に広がる下境内と、中腹に切り開かれた上境内の二つに分かれていて、山門をくぐった先の下境内は、妙智池と放生池の周囲を散策できる回遊式庭園になっている。季節になれば二つの池には、睡蓮やハナショウブが咲き乱れるという。これが左の妙智池である。

池の先から階段を上って阿弥陀堂観音堂のある上境内に向かう。観音堂には本尊の十一面観音菩薩像とその前立や徳道上人像などが安置されている。この本尊は9mをこす巨大なもので、木造の観音像では日本最大級である。制作年代は不詳だが、光背や前立観音像の修復年代が室町時代なので、それに準ずると考えられている。昨年見た、奈良長谷寺観音菩薩像より約1m低く、金色は鮮やかなのだが、厳かさの点ではまったく及ばない気がする。

長谷寺文人とゆかりが深く、境内には高浜虚子の句碑、高山樗牛の記念碑、この久米正雄の胸像などがある。

観音堂の左には大黒堂があり、さらに左奥にこの経蔵がある。輪蔵と呼ばれる回転式書架に一切経が納められていて、一回まわすと一切経を一通り詠んだと同じ功徳があるといわれている。

経蔵の手前に「黒光」という濃赤色のボケ(木瓜)の花が咲いていた。

経蔵のさらに左手に見晴し台があり、由比ケ浜や葉山・三浦半島が眺められる。