半坪ビオトープの日記

茨城

男体山から筑波山神社

美幸ヶ原から急な山道を15分ほど登り詰めると男体山山頂に着く。ここにも昭和30年(1955)に改築された筑波神社本殿が建っている。筑波山の山名の由来には異説が多い。養老年間(717~24)成立の『常陸国風土記』では、国造に任命された采女臣氏の友属(とも…

女体山から美幸ヶ原

つつじヶ丘から1時間強で女体山山頂に着く。山頂には昭和54年(1979)に改築された一間社流造の筑波山神社本殿が建っていて、筑波女大神を祀っている。この神は伊邪那美命であり、社伝によると、伊邪那岐命と生んだオノゴロ島は筑波山だとされる。『古事記…

筑波山、巨岩・怪石巡り

巨岩・怪石が次から次へと現れる。ここは母の胎内くぐりという。洞窟を潜り抜けることで生まれ変わるといわれる。昔から洞窟は異界、死者の世界への入口と考えられ、洞窟の中で修行し、出てくるときには罪障が払われるとされ、胎内くぐりは日本全国にいくつ…

筑波山、つつじヶ丘

昨秋、10月上旬と11月上旬、続いて2回筑波山に登った。混ぜ合わせて編集したが、葉が紅葉している方が11月の分である。「西の富士、東の筑波」と並び称される筑波山だが、日本百名山の中で最も標高が低く、ロープウェイやケーブルカーもあって、老若男女が…

二十三夜尊堂、うなぎ山田

最後に潮来市役所近くの二十三夜尊堂を訪ねた。 この堂宇は、茨城県の学校の始祖として偉容を誇った、旧延方郷校の聖堂で、文化4年(1807)に水戸藩主徳川斉昭が延方内田山に自ら篆書した「至聖先師孔子神位」の木牌を祀った建物だったが、明治5年(1872)…

潮来市観音寺

前日訪れた潮来市の長勝寺より北の高台に上っていくと、真言宗の瑠璃光山観音寺がある。 大同2年(807)に、筑波山別当であった法相宗の徳一大師により開創された。当初は現在地の西方、尾ノ詰に建立されたが、数度の大火により移転を余儀なくされ、観応2…

麻生藩家老屋敷

香取市佐原に戻って昼食を済ませた後、利根川を渡って茨城県の潮来市に入り、さらに行方市にある麻生藩家老屋敷記念館を訪ねた。霞ヶ浦南端に近い北岸に、江戸時代、麻生藩陣屋があり、周囲に藩士の屋敷が並んでいた。藩の家老職を勤めた畑家の屋敷が記念館…

宝蔵院

神善寺のすぐ南の本郷地区に真言宗の宝蔵院がある。珍しく茅葺の山門の外に仁王像が露天で立っている。正式には、真言宗智山派の嶋崎山寳蔵院という。 本堂も今時珍しく茅葺である。天正2年(1574)弘恵の開基と伝えられているが、そのほかの詳細は不明であ…

神善寺

利根川の北側、左岸を河口の波崎に向って南下すると、波崎の舎利地区に真言宗の益田山相応院神善寺がある。 山門をくぐって境内に入ると、すぐ左手に巨大な大タブの木が蛸入道のように太い枝を広げている。 波崎の大タブは、樹高15m、幹囲8.1m、推定樹齢1000…

息栖神社、忍潮井

二の鳥居の正面200mほどの、常陸利根川に面して一の鳥居がある。 真中に大きな一の鳥居があり、その左右に不揃いの小さな鳥居が建っている。陸から見て右の大きい方が男鳥居で、左の小さい方が女鳥居であり、それぞれの根元からは水が涌き出している。 この…

息栖神社、拝殿

息栖神社の主祭神は、岐神(くなどのかみ)で、天鳥船神、住吉三神を配祀している。江戸時代には息栖の名から、祭神は気吹戸主神と考えられ、芭蕉の句にもその名が残っている。 宮城県の陸奥國一宮塩竃神社は、左宮に鹿島神(武甕槌命)を祀り、右宮に香取神…

息栖神社、神門

香取神宮の東、鹿島神宮の南、茨城県神栖市息栖に息栖神社がある。社号は「いきす」と読むが、古くは「於岐都説、おきつせ(=沖津洲)」と呼ばれていたことから、元は香取海に浮かぶ沖洲に設けられていたと考えられている。 二の鳥居の右にある社号標に、「…

鎌足神社

根本寺の北西すぐの所に、藤原鎌足を主祭神とする鎌足神社が、根本寺や鹿島神宮のある東を向いて建っている。 小さな神社で、境内・参道も細く短い。 藤原鎌足の生誕地は、一般には「藤氏家伝」による奈良県橿原市とされるが、「大鏡」や多武峰の談山神社伝…

根本寺

鹿島神宮の西1kmほどに臨済宗の古寺、瑞甕山根本寺(こんぽんじ)がある。 本堂の脇に寺史を記した石碑が建っている。要約・補遺すると、推古天皇21年(613)聖徳太子が推古天皇の勅命を奉じ、鬼門鎮護と衆民修法に依り、護国興隆の発願をもって、本尊に東…

鹿島神宮、要石

奥宮の所から参道が右に曲がって、要石に向う。 この道の両側も鬱蒼とした鹿島の森であり、少し進むと道が交差する左側に、愛嬌のある大鯰の碑がある。 要石が大鯰の頭を押さえて地震を防いでいるという伝説を基に、武甕槌大神が大鯰の頭を抑えている。 文化…

鹿島神宮、奥宮

拝殿前から奥宮に通じる道は、奥参道という。鹿島神宮の森は、約70万㎡の広さがあり、800種を超える植物が繁茂し、照葉樹林の北限としても重要として県の天然記念物に指定されている。 奥参道の両側にも三つ穴灯籠が立っている。 左手には鹿園があり、その手…

鹿島神宮、拝殿・本殿

鹿島神宮の社殿は、拝殿、幣殿、石の間、本殿が繋がっている権現造で、徳川秀忠により元和5年(1619)に奉納されている。参道の正面ではなく右手に横を向く形で配置されている。北方の「蝦夷」に対する防衛拠点として位置づけられた神社のため「社殿は北向…

鹿島神宮、楼門

参道正面の朱塗りの楼門は、水戸光圀の父・水戸初代藩主徳川頼房により寛永11年(1634)に奉納された。 楼門の扁額は、東郷平八郎の直筆という。 鹿島神宮の楼門は鮮やかな朱色が美しくかつまた豪壮で、熊本の阿蘇神社、福岡の筥崎宮とともに、日本三大楼門…

鹿島神宮、末社

鹿島神宮は常陸国一宮で、香取神宮、息栖神社とともに東国三社に数えられる古社である。 鹿島神宮の大鳥居は、2011年3月の東日本大震災で倒れて砕け散ったそうだ。幸い周囲に参拝者がいなかったためけが人はなかった。従前の大鳥居は笠間市産の御影石製で重…

門前そば、竹やぶ

昼食は鹿島神宮の近くでそばにしようと事前に探して、開店時間の11時半に着いた。店の雰囲気はまあまあと思ったが、開店時間が11時50分に変わっていた。 門前町にはあまりいい店はないだろうから、ほかの店を探さずそのまま待ったのだが、注文取りは定刻過ぎ…

大生神社、斎殿

本殿の左手に奇怪な姿をしたカゴノキ(鹿子の木)があった。茨城県桜川市の稲村神社で12月に見かけた木と同じである。 斎殿の前には、かなり大きな御神木が高く聳えていた。三間社流造向拝三間の斎殿は、寛政2年(1790)の建立で、市の有形文化財に指定され…

大生神社、拝殿

潮来市北部の北浦の近くに大生神社がある。大生神社の氏子達は、鹿島神宮はここから移されたと信じ、「元鹿島」の名で大生神社を呼んでいて、「鹿島の本宮」ともいわれる。説明板には、古く大和の国の飯富族が常陸の国に移住した際、氏神として奉遷して祭祀…

長勝寺、西円寺

長勝寺の本堂手前左には、創建時の年号をとった「文治梅」が植えられている。 文治梅の左手には、ボダイジュの大木と、昭和7年晋風建立の連句碑がある。貞享4年(1687)芭蕉は、根本寺の佛頂和尚を訪れた後、鹿島神宮に詣で、帰路潮来の医師本間自準亭に泊…

長勝寺、本堂

香取市佐原から鹿島市の鹿島神宮へ行く途中で、茨城県潮来市に寄る。潮来大橋の近くに長勝寺がある。海雲山長勝寺は、臨済宗妙心寺派である。老杉林立する稲荷山を背景にした境内は、山門をくぐってからも参道が長く続いている。 この楼門は、普門院にて元禄…

稲村神社、貫之歌碑

境内に入ってすぐ右手に紀貫之の歌碑がある。残念ながら紀貫之自身は、桜川を訪れてはいない。 「常よりも 春べになれば 桜川 波の花こそ 間なくよすらめ」 紀貫之(後撰和歌集) その脇に、桜川を詠んだ歌が3首示されている。 秋の夜の月ぞ渡るる桜川 花は…

磯部稲村神社、拝殿

月山寺から西へ1kmほどで磯部稲村神社に着く。その参道をはさみ、両側1kmに及ぶ桜並木がある。平安時代から西の「吉野」に東の「桜川」といわれるほど東国一のサクラの名所であり、東北産の白山桜を中心に多くの品種が揃っていて、桜川が国の名勝に指定さ…

月山寺、美術館

神社仏閣には、社宝、寺宝が多く保管されていて、宝物館を建てて一般に公開している所があると、寺社巡りをしていてたいへん助かっている。いくら素晴らしい仏像や社宝・寺宝を祀っていても、年に一回の開張では、巡り会うことはほとんどないからである。 月…

月山寺、本堂

西念寺から西に向い、桜川市に入ってすぐの羽黒駅の北に進むと、天台宗の月山寺がある。境内はしっかりとした塀と山門に囲まれている。石垣は地元稲田御影石が使われている。 この山門は、幕末に建てられた一夜門という。笠間藩の殿様から寺の欅を城へ献上せ…

大覚寺

西念寺から南に向い石岡市に入った所、板敷山の南麓に大覚寺がある。笠間市稲田の西念寺に親鸞が草庵を結んで、北関東を中心に布教した時に、法難にあったことは西念寺の所で既に触れたが、その法難の地が大覚寺である。 山伏・播磨坊弁円は、修験道の大家と…

モン・ラパン

笠間稲荷神社の北東500mほどの所にフレンチレストラン、モン・ラパンがある。楽食メニュー(糖尿病食、低カロリーフルコース等)など、食のバリアフリー化も目指している一風変わったレストランである。口コミで絶賛されているので、期待してAランチを頼んだ…