半坪ビオトープの日記

麻生藩家老屋敷


香取市佐原に戻って昼食を済ませた後、利根川を渡って茨城県潮来市に入り、さらに行方市にある麻生藩家老屋敷記念館を訪ねた。霞ヶ浦南端に近い北岸に、江戸時代、麻生藩陣屋があり、周囲に藩士の屋敷が並んでいた。藩の家老職を勤めた畑家の屋敷が記念館となっている。
表門は薬医門の形式で、建造年は不明だが、昔日の面影を残している。往時は主屋と同じく茅葺だったという。

現存する母屋は、安政4年(1857)に再建されたものであり、明治23年(1890)福田家の所有となり、平成3年に旧麻生町に寄付された。桁行8間、梁間5間半を母屋本体とし、屋根は基本的に寄棟造となっているが、正面の式台玄関及び主屋東方の土間上にあたる大棟部を入母屋造とする規模の大きい茅葺屋根である。畳の部屋数が多く、土間部分が小さいという武家住宅の特色が見られる。

部屋は、この「式台」から「玄関の間」、「座敷」と続くところが武家屋敷の主要部分となっており、「内玄関の間」から「取次の間」、「次の間」と続く部屋が表向きの接客空間で、その他の部屋が内向きのものとなっている。

麻生藩は、慶長9年(1604)新庄直頼が常陸、下野両国に3万300石を与えられ、麻生を居所としたことにより成立した。明治4年の廃藩置県まで15代267年続いた麻生藩は、関東内の外様の小藩で一度の移封もない特異な藩であった。
2月中旬だったので、次の間とその左の取次の間には、雛飾りがところ狭しと飾られていた。

段飾りの前には、市民の手作りの吊し雛がにぎやかに揺れ動いている。
段飾りの後ろには雛祭りの様子を描いた巻物がいくつか掲げられていた。

庭には蔵(収蔵庫)が建っている。

屋敷の裏手に回ると、納戸や奥の間、台所などが続いて見える。

主屋の南隅には管理棟があり、近くにあった麻生藩陣屋の御殿平面図や陣屋内の土蔵に使われていた鬼瓦などが展示されている。管理棟から見る主屋もとりわけ茅葺屋根に風情がある。