半坪ビオトープの日記

広島

広島縮景園

最後に広島に戻り、余った時間で縮景園を訪れた。広島県立美術館に隣接しているので共通割引券で入ったが、美術館は広島にゆかりのある画家の作品が主なので、残念ながら余り興味は持てなかった。ただし、連絡通路近くに「厳島図屏風」があり、宮島の厳島神…

呉、大和ミュージアム

広島湾に突き出た宇品島で泊まった翌朝、広島港からフェリーに乗って呉港に向かった。 フェリーの旅はたった20数分だが、大小入り交じった島々の間を抜けて、瀬戸の海を少しでも味わいたいと思った。向こうに見える大きな島は江田島である。 かつて日本一の…

広島城

平和記念公園の北約1Kmに広島城が建っている。天正17年(1589)戦国武将の毛利輝元が築き、毛利・福島・浅野三代が城主となった平城である。原爆で倒壊した天守閣は、昭和33年(1958)に復元された。本丸の手前にある二の丸は、築城400周年・市制100周年…

ひろしま美術館

平和記念公園から広島城に向うと、城の手前左手の中央公園内に、ひろしま美術館がある。昭和53年(1978)に広島銀行の創立100周年を記念して開館された。 フランス印象派を中心に、ゴッホ、ピカソなどの近代絵画の秀作が数多く収蔵されている。 入口を抜ける…

平和記念公園

原爆ドーム周辺とその南、元安川と旧太田川に挟まれた中州の北部に、広島平和記念公園がある。原爆ドームと元安橋との間に、動員学徒慰霊塔が建っている。政府は労働力不足を補うため昭和19年8月に学徒動員令を発し、中学生以上の生徒は軍需工場等での勤労…

原爆ドーム

広島の街には、昭和20年(1945)8月6日午前8時15分に人類初の原子爆弾が投下された。原爆ドームの名で知られる広島平和記念碑は、原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑である。原子爆弾投下の目標となった相生橋の東詰にあたり、南には元安川を挟んで広島平…

広電、お好み焼き

広電(ひろでん)の愛称で親しまれている広島電鉄は、日本最大の路面電車事業者及び中四国地方最大のバス事業者である。前身の広島電気軌道(株)は明治43年(1910)に設立され、現広島電鉄は昭和17 年(1942)に設立され、長い歴史を持つ。 専用軌道の宮島…

錦帯橋

山口県岩国市の錦川に架橋された錦帯橋は、日本三名橋や日本三大奇橋に数えられており、国の名勝に指定されている。錦帯橋は、全長193.3m、幅員5.0mで、上流の錦城橋から眺めると、全体の姿が美しく見られる。 川幅約200mの河川内に4つの橋脚をもつ5連…

岩国城、吉川資料館

宮島から岩国まで足をのばし、錦帯橋周辺を観て回った。錦帯橋に近づくと、北の彼方の横山の上に岩国城が見えた。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元は領地を大幅に削減され、広島城から萩城に移封された。一族の吉川広家も米子城から当地に3万…

牡蠣づくし

宮島での宿泊は温泉宿で、牡蠣づくしを味わった。まずは先付の牡蠣の葱味噌和えと牡蠣の低温蒸し。右手には、牡蠣の柚子風味鍋の具材がある。 お酒は、広島市周辺の銘酒セット。富久長、雨後の月、龍勢、いずれも美味しくいただけた。 吸い物碗は、牡蠣煮麺…

豊国神社、五重塔

弥山のロープウェイを下って無料バスで麓に下りると、厳島神社の裏手に摂社の三翁神社がある。平安時代末に平清盛が近江国の山王社から勧請したと伝えられ、当初は山王社と称した。三翁神社は3殿からなり、中央殿に大綿津見神、安徳天皇、佐伯鞍職、二位尼…

弥山山頂、大日堂

くぐり岩をくぐり抜けて不動岩の上に躍り出ると、瀬戸内海に浮かぶ島々が眺められる。正面の大きな島は江田島と繋がっている西能美島であり、その右手前の円錐型の小島は小黒神島である。その右手奥には大黒神島がある。これら二つの島は無人島である。 振り…

弥山本堂、三鬼堂

獅子岩駅から20分ほど歩いて、ようやく左手の石垣の上に弥山本堂を見上げることができる所までたどり着いた。 平らな境内の左手に新しい弥山本堂が建っている。以前の本堂は昭和30年の建築だったが、平成3年の台風で半壊し、その後新築されている。江戸時代…

弥山へ

弥山(みせん)に上るため、大聖院からもみじ歩道を通ってロープウェイ乗場に向う。すると間もなく展望が開けた所に出る。眼下には厳島神社が見下ろせる。 州浜の潮もすっかり引いて、大鳥居の根元まで歩いて近づくことができている。2m近くも藤壷などの貝…

大聖院、摩尼殿

勅願堂のすぐ横に小さな極楽観音堂がある。 極楽観音堂には、約1mの木造の聖観音像が祀られている。大聖院観音堂が百八観音霊場の第17番だが、この小さな聖観音は第18番である。 極楽観音堂の脇から右手を見上げると、高台に摩尼殿が認められる。 摩尼殿に…

観音堂、勅願堂

大聖院の草創は不詳だが、伝承では大同元年(806)空海が宮島に渡り、弥山の上で修行し、三鬼大権現を勧請し開基したという。史実としては確認できないが、近年、弥山本堂周辺から、奈良・平安時代の緑釉陶器や仏鉢などの遺物が発見されている。 大聖院本坊…

大聖院、仁王門

宝物館と金刀比羅神社の間を南の山に向うと、白糸川に架かる朱塗りの滝橋の先に大聖院が見えてくる。 厳島神社の裏を通ってくる滝小路と合流して石橋を渡ると、大聖院の山門、仁王門が構えている。大聖院の建物は、明治20 年(1887)の大火でほとんど焼失し…

大願寺

厳島神社の出口の右手に大願寺の山門と本堂が見える。亀居山放光院大願寺は、かつては亀居山ともいう塔の岡の麓にあり、五重塔や豊国神社(千畳閣)などとともに一大伽藍を形成していたが、当時の遺構は本堂と山門のみである。山門は、元禄年間(1688~1704)…

厳島神社、御本社

海に面する厳島神社の先端、火焼前から振り返って高舞台の脇を戻り、祓殿から御本社に入る。祓殿は、お祓いをするところで、管絃祭の時に鳳輦(ほうれん、神輿)が置かれる場所であり、また雨天時の舞楽奉奏などに使われる。床板は、明治になり浅野藩の藩船…

厳島神社、火焼前

前方に廊下が伸びて突き当たりに右楽房が建っている。桁行5間、梁間2間、一重切妻造檜皮葺。舞楽演奏のとき奏楽する場所で、国宝に指定されている。 左の御本社を見返ると、祓殿の前には一段高い高舞台が設けられている。黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄を廻…

厳島神社、東廻廊

厳島神社の創建は、推古元年(593)佐伯鞍職によると伝えられている。仁安3年(1168)佐伯景弘が厳島神社を崇敬した平清盛の援助を得て、現在のような廻廊で結ばれた海上社殿を造営した。 幅4mの東廻廊に入ると正面には客神社の祓殿が、右手には御本社の…

宮島、大鳥居

桟橋前の広場を神社に向って歩き始めるとすぐに、「厳島合戦跡」の表示がある。天文20年(1551)中国・九州地方に権勢を誇っていた大内義隆は、家臣陶晴賢の謀反により滅亡した。義隆と盟友の毛利元就は、2年後晴賢に対し挙兵したが、戦力的に優勢な陶軍に…

宮島口から宮島へ

3月中旬に広島近辺に史跡巡りに出かけた。東京から4時間新幹線に乗ると広島に着く。そのまま宮島口へ向い、穴子飯の昼食をとる。明治34 年(1901)創業、あなごめしの発祥店、駅前の「うえの」に入り待つこと20分。 先ずは穴子の白焼きを熱燗で。岩塩と生…