半坪ビオトープの日記

青森

蕪嶋神社

三陸復興国立公園の北限は、周囲800m、高さ17mの陸繋島である蕪島で、ウミネコの繁殖地として知られ、国の天然記念物に指定されている。島の頂上には蕪嶋神社が鎮座していたが、この後1ヶ月余りの2015年11月上旬に、電気設備の不具合が原因の出火で全焼して…

大須賀海岸  

うみねこラインとも呼ばれる県道1号線に沿って北上するとまもなく大須賀海岸に着く。約2.3km続く白い砂浜は、散歩できる砂浜として東北北部で最大のもので、鳴き砂が鳴る海岸でもあり、日本の渚百選にも選ばれている。 大須賀海岸を通り過ぎた種差海岸遊歩…

種差海岸

久慈市から三陸海岸沿いに北上し、洋野町立種市歴史民俗資料館に寄ったが残念ながら休館だった。仕方なくさらに北上し青森県八戸市の種差海岸にたどり着いた。この種差海岸は蕪島とともに、平成25年(2013)5月に旧陸中海岸国立公園に編入されると同時に三…

法光寺、三重塔

位牌堂の左手に大きな石灯籠が2基立てられている。よく見ると、一番上の笠にも火袋の周りにも、長い竿にも基礎にも彫刻が施され目立っている。多少の彫刻は見たことがあるが、これほど大きい空想上の奇獣・怪獣のような彫刻が飾り付けられているのは見たこ…

法光寺、本堂

南部町の南、三戸町との境に名久井岳がある。標高615mながら、頂上に三角点があり、端正な山容から南部小富士と呼ばれている。古くから霊峰山として人々に信仰されており、麓には法光寺、恵光院、野瀬観音が建立されている。 名久井岳の東麓に位置する法光寺…

剣吉諏訪神社

斗賀神社から剣吉駅に戻って南へ200mほど行くと、諏訪神社がある。南部町には諏訪神社が三つほどあるので、剣吉諏訪神社とも呼ばれる。神社のすぐ北にある剣吉小学校は、かつての北氏の剣吉館(剣吉城)の趾である高台に建っている。学校裏の山中には堀や土…

斗賀神社

三戸郡五戸町の南に位置する三戸郡南部町は、南部藩の発祥の地であり、南部氏ゆかりの史跡が多数存在する。その南部町を通る「青い森鉄道」剣吉駅の西北に、古い歴史を誇る斗賀神社がある。 境内左側の撞鐘堂は、昭和51年に竣工したものだが、そこには第二次…

江渡家住宅、五戸消防団屯所、代官所跡

八戸市の西、五戸川流域には三戸南部氏の家臣たちの城館が数多く築城され、近世には盛岡藩の代官所が置かれた。その三戸郡五戸町に江渡家住宅がある。表門は武家屋敷の正門としてよく見かける格式張った門で、真正面のため控柱が確認できないが4本柱で重厚…

気比神社

三沢市の南にあるおいらせ町北部に気比神社がある。朱色の両部鳥居の先には大きな拝殿が構えている。 この周辺には江戸時代、盛岡南部藩最大の藩営牧場である木崎野牧が置かれており、気比神社は馬を祀る神社として古くから広い崇敬を集めてきた。千鳥破風に…

尻屋崎灯台

尻屋崎の突端に立つのは白亜の尻屋崎灯台で、日本の灯台50選に選ばれている。「日本の灯台の父」と称されるイギリス人のブラントンにより設計され、尻屋崎で焼かれたレンガを用いた二重のレンガ壁による複層構造の灯台であり、レンガ造りの灯台としては日本…

尻屋崎、寒立馬

下北半島は青森県北東部にある半島で、旧斗南藩に因み「斗南半島」とも呼ばれ、半島が鉞(まさかり)の形に似るため「鉞半島」の別名もある。北東部の岬の辺りは、鉞の柄の先が尖っているように尻屋崎となっている。この辺り一帯の牧草地には、寒立馬(かん…

田名部神社、旧斗南藩墓地

常念寺の近くに田名部神社がある。かつてむつ市の田名部は南部藩の代官所が置かれ、下北の産業・経済・文化の中心地となっていた。田名部自体には海に開けた港はなかったが、陸奥湾(大湊湾)に停泊した北前船から荷の積み卸しが田名部川を通して行われ、そ…

常念寺

むつ市役所の2kmほど東、明神川の小橋を渡った所に、浄土宗の常念寺の山門が建っている。平成元年に新築された八脚門である。 山門には「不退山」の山号額が掲げられ、その先に本堂が構えているのが見える。左の金剛力士は開口の阿形像である。 右手の金剛…

下風呂温泉

下北半島を一日かけて一周し、半島北辺の下風呂温泉に泊まる。温泉名は、この地のことをアイヌ語で臭い岩を意味する「シュマフラ」と言っていたことに由来する。シュマは岩・石の意、フラは臭いの意で、硫黄が吹き出るため周囲の岩が臭いことによる。地元で…

仏ヶ浦、蓬莱山  

江戸時代、下北には全国各地から多くの人々がやってきた。海運の発達や旅の盛行を背景とし、さらに蝦夷地への渡航地として訪れる人も多かった。伊能忠敬・最上徳内・松浦武四郎らを始めとする幕府関係者や探検家も多いが、今も下北の人々の中に生き続けてい…

仏ヶ浦、屏風岩   

仏ヶ浦は古くは仏宇陀(ほとけうた、ほとけうだ=「ウタ」はアイヌ語で「浜」の意)と称し、海岸沿いに仏像を思わせる白緑色の奇岩が連なり、如来の首・五百羅漢・一ツ仏・親子岩・十三仏・観音岩・天龍岩・蓮華岩・極楽浜などの名称が付けられ、その総称が…

仏ヶ浦、五百羅漢

「仏か鬼が造ったとしか思えない」といわれる奇岩群が連なる仏ヶ浦は、下北半島西岸の下北郡佐井村南部に所在する景勝地である。佐井港などから観光船で見にいくのが普通だが、脇野沢から大間崎に向かう途中の国道沿いの展望台から見下ろすこともできる。五…

大間のマグロ

下北半島の西海岸を北上して仏ヶ浦を過ぎ、本州最北端の大間崎に着く。大間町の大間港は、北前船の寄港地であり、南部藩でありながら、文化的・血縁的にも、北回り航路の影響が濃い。 近年、大間のマグロ一本釣り漁が有名となっているが、明治時代のマグロ漁…

脇野沢、悦心院

薬研温泉に泊まった翌日は、津軽海峡の大畑に下り、そこから時計回りに下北半島を一周する。むつ市街地は翌日回しにして、半島をほぼ半周し、下北半島の南西端にある脇野沢まで直行した。 脇野沢の集落は陸奥のまた再奥のどんづまりで、津軽半島の蟹田からフ…

薬研温泉、薬師堂

霊場恐山から北側の外輪山を抜けて、ひっそりとした原生林の中を進み、薬研温泉の古畑旅館にたどり着いた。薬研温泉の開湯は、慶長20年/元和元年(1615)とされる。大坂夏の陣で敗れた豊臣側の落武者・城大内蔵太郎が当地まで落ち延びて来た際に発見したと…

恐山、宇曽利湖

恐山菩提寺は宗派にとらわれない地蔵講を中心とする信仰集団を持ち、延命菩薩信仰として、地蔵信仰に基づく死者供養の場として受け継がれてきた。しかし、境内に残るものでは、供養のために建てられた寛文9年(1669)の石碑が最古であり、その頃から発展し…

恐山、地蔵殿

霊場内には温泉が湧き、湯治場としても利用される。塔婆堂の右手には、古滝の湯と冷抜の湯と二つの温泉棟がある。右奥の冷抜の湯は女性専用で、左の古滝の湯は男女入替制だが、この日時には女性用となっていた。ともに白濁した硫化水素含酸性緑ばん泉で、冷…

恐山、山門

八戸から一路、下北半島を北上して恐山まで直行した。恐山は、下北半島中央部に位置する外輪山に囲まれた霊場で、比叡山、高野山と並ぶ三大霊場の一つである。下北半島の根本にあるむつ市街から恐山街道で山道を上っていくと、途中に湧き水「恐山の冷水」が…

八戸、八食センター

昨年の9月下旬に恐山や仏ヶ浦など、下北半島を巡った。はじめに八戸郊外にある八食センターに立ち寄った。中央卸売市場に隣接する八食センターは、新鮮魚介類や八戸名物などの店が勢ぞろいする巨大市場で、平成6年にB級ご当地グルメの祭典、第1回B-1グラ…

大鰐温泉、大円寺

岩木山麓から弘前市を南下し、すぐ南にある大鰐温泉に泊まる。大鰐温泉は、約800年前に高伯寺の円智によって発見されたという。高伯寺は東北自動車道の北側、神岡山中腹のリンゴ園に礎石を残す。慶安3年(1650)現在地に移り、明治時代初期の神仏分離の際、…

巖鬼山神社

岩木山の山麓は大きく見積もると直径30kmもあり、南麓には壮大な岩木山神社があるが、北麓の鬱蒼とした杉林の中に、巖鬼山(がんきさん)神社がひっそりと鎮座している。赤い両部鳥居の一の鳥居は、大きく堂々としている。 参道の両側に真っ直ぐに屹立する…

鬼神社

岩木山は、古くから信仰の対象にされ、山頂には岩木山神社奥宮があり、南東麓には岩木山神社や高照神社が祀られている。岩木山の山麓にはほかにもいくつも神社があるので、主なものとして東麓の鬼神社と北麓の巖鬼山神社を見て回った。 岩木山東麓の鬼沢集落…

岩木山下山

岩木山は安山岩で構成されており、頂上部に直径800mの破壊された火口があり、それを埋めて現在の山頂ドームなどが生じた。側火山が3個あり、山頂部や山腹斜面に多数の爆裂火口がある。山頂北東側の赤倉沢の馬蹄型火口は大規模な山体崩壊の跡で、北東山麓の…

岩木山山頂

急な第一おみ坂も15分ほどで登りきると、しばらく平坦な道が続く。木々の間に「夢のカプセル」という標識が立っていた。なにか夢のあるものを埋めているのだろう。 この辺りにもウゴアザミの群落がある。8月も半ばになると花がめっきり少なくなるので、大柄…

大倉岩、おみ坂

岩がするどく天に向かって屹立している。向こうに見えるのは鳥海山である。 登山道脇の岩は険しい姿を見せ、近づかないようロープが張られている。 山頂はまたもや霧に隠れて見えなくなったが、手前右の厳しい急坂の第一おみ坂が姿を現す。やはり青森県最高…