半坪ビオトープの日記

法光寺、三重塔


位牌堂の左手に大きな石灯籠が2基立てられている。よく見ると、一番上の笠にも火袋の周りにも、長い竿にも基礎にも彫刻が施され目立っている。多少の彫刻は見たことがあるが、これほど大きい空想上の奇獣・怪獣のような彫刻が飾り付けられているのは見たことがない。ここが三重塔への上り口であり、鳥居が見えるように境内裏手の寺域に散在する稲荷堂や観音堂龍神堂などへの参道でもある。名久井岳の山麓に広がる法光寺の境内は6万坪を超えるという。

本堂の後ろに神社の本殿のように続いて建っている建物は、捐城和尚を祀る開山堂である。

神仏習合の名残といえる鳥居がいくつも立っている参道から、右手に三重塔への道が分かれている。

三重塔の手前にも上庭と名付けられた遠州流庭園があり、野点茶会なども開かれる。

昭和24年(1949)、37世活眼大典大和尚の代に、日本最大でかつ北限にある三重塔(承陽塔)が建立された。天女が池、蓮池と二つの小さな池には鮮やかな朱色の橋が架けられている。

中に登ることもできるそうで、二階、三階には前田道六作の五百羅漢541体が安置されているという。幅8m、高さ33mと日本一の高さを誇る三重塔ではあるが、比較的新しいせいか残念ながらそれほど荘厳さは感じられない。

堂内正面には、曹洞宗開祖の道元禅師像が安置されている。その左奥に八戸生まれの西有穆山禅師(法光寺30世住職)の像が安置されているというが、残念ながら見つけられない。

その西有穆山禅師により、曹洞宗開祖・高祖承陽大師の霊骨を大本山総持寺より分骨してもらいここに奉安している。高祖承陽大師とは、曹洞宗での尊称で、一般には道元禅師とよばれ、この三重塔も承陽塔とも呼ばれている。

三重塔の右手には、龍神堂が建っている。

三重塔の前に戻り左手に進むと、林内に観音堂が建っている。ここは糠部三十三観音の19番札所でもあり、観音堂には千手観音が祀られている。

観音堂からさらに左手に進むと、仏舎利塔が建っている。箱根の塔ノ沢で発掘されたという日本渡来最古の仏舎利を安置しているというが、どうも根拠に欠ける。こういう説明書きをみると、この法光寺全体の評価に関わってくるので、残念に思う。

その先に建つ稲荷堂では、京都伏見の稲荷大社の分霊を奉安している。

鳥居の立つ参道を下って位牌堂脇に来ると、裏門らしき門の隣に奇妙な3階建ての建物が見えた。中を覗いてみると、座禅道場であろうか、「人間必至の場」という額が掲げられていた。