半坪ビオトープの日記

青森

岩木山、鳥ノ海噴火口

右手に鳥海山(1502m)へ上る道を分けて、真っ直ぐ鳥ノ海噴火口に下る道を進む。ここはすでに9合目で、標高1470mある。岩木山山頂(1625m)までちょっと下ってから上るが1時間もかからないだろう。 歩き始めるとすぐ足下にいくつか花が咲いていた。黄色…

岩木スカイライン、リフト

翌朝、岩木山神社に朝日が差し込む様子は厳粛だが、後ろに控える岩木山が雲に覆われているのが気がかりである。 岩木山神社から岩木山麓を西に廻って、嶽温泉の先から岩木スカイラインを八合目まで上る。日光のいろは坂には、第一と第二の二つの坂を合わせて…

岩木山神社、百沢温泉

3年前に津軽に来た時には岩木山の周りを2・3日巡ったが、一度も山の姿を眺めることができなかった。今回は岩木山の麓の高照神社に向かう途中、薄曇りでもようやく岩木山を目にして感慨深い。岩木山の標高は1,625mで、青森県の最高峰であり、その山容から…

津軽信政廟所

本殿後背(西)には真っ直ぐな杉木立の先に、およそ200m隔てて、宝永7年(1710)に弘前城で卒去した4代藩主の津軽信政の廟所がある。 苔むした参道を進むと、右手に「お茶の水」と表示された檜造の湧水小屋が建っている。岩木山の冷たい伏流水が、小屋の…

高照神社

平川市のすぐ西隣は3年前の青森旅行で観光した弘前市なので、市街地を素通りして西の岩木山神社に向かった。 岩木山の麓、百沢街道に沿った岩木山神社の少し手前を右(北)に曲がると、高照神社がある。 三の鳥居の前の広い駐車場から振り返って、石の二の…

平川市の猿賀神社

盛美園の西500mに猿賀神社と鏡ヶ池を囲む猿賀公園がある。鹿角の猿賀神社と同じく、蝦夷討伐の将・上毛野君田道命を主祭神として祀る。境内は約16,000坪の広さを有し、鏡ヶ池・見晴ヶ池の二つの大池がある。石造の一の鳥居を潜ると朱色の二の鳥居である両部…

盛美園

酸ヶ湯で昼食の後、黒石市の隣の平川市にある盛美園に立ち寄った。津軽で盛んだった大石武学流の造園を代表する庭園で、国の名勝に指定されている。 武学流は江戸時代の始め頃、都落ちしてきた公卿が、仏教文化と地元に根付いた古神道文化の思想を習合させて…

赤倉岳の下り

下り始めて今まで上ってきた道を眺めると、ハイマツの尾根の先に赤倉岳の肩があり、人がたくさん見える。 帰り道で東側の崖下を覗いてみたが、赤倉岳の肩の下は余りにも急で、残念ながら咲いている花はあまり見つけられない。 下りの登山道脇で、上りでは気…

赤倉岳の祠

赤倉岳の肩から見晴らしのよい尾根道を進むと、前方にはギザギザの井戸岳(1537m)その右に大岳(1584m)が並んで見える。さらに右手彼方には南八甲田の山並みの一部が見える。 井戸岳と大岳の西側に伸びる裾野を下ったところの広大な湿地帯は、毛無岱(け…

赤倉岳の肩

山の稜線に近づくと、背の低いハイマツ(Pinus pumila)が群生している。本州の中部地方以北および北海道の高山帯に生える常緑針葉樹で、高さは1〜2mになる。よく枝分かれして長さ10m以上になるものもある。日本の高山ではよく森林限界の最後の低木とし…

赤倉岳の肩へ

登山道脇に、キク科のヤマハハコ(Anaphalis margaritacea)の花が咲いていた。本州の中部地方以北および北海道の山地の日当りのよい草原や路傍などに群生する雌雄異株の多年草で、高さは30~70cmになる。花期は8〜9月で、茎の上部に淡黄色の頭花を散房状…

田茂萢湿原

遊歩道の木道は湿原から離れて進む。再び田茂萢(たもやち)湿原を眺めるところに出ると、今度は黄色いキンコウカの花がたくさん咲いているのが認められた。 ユリ科のキンコウカ(Narthecium asiaticum)は、北海道と本州の近畿地方以北の主に日本海側の山地…

八甲田ロープウェイ

盛岡から田沢湖を経て青森県の八甲田に着き、4日目にしてようやく雨の降らない日を迎えた。今日こそ山歩きを楽しみたいのだが、まだ風があってロープウェイが運行するか微妙だ。 八甲田山とは、十和田八幡平国立公園の北部に横たわる連峰の総称で、主峰八甲…

酸ヶ湯

小坂ICから黒石ICを経て八甲田山麓の酸ヶ湯に向かう。青森市と十和田湖間を結ぶ八甲田・十和田ゴールドラインに合流する直前に、城ヶ倉大橋が架かっている。全長360mあり、上路式アーチ橋としては日本一の長さを誇る。橋の上から谷底までは高さ122mで、下…

最後に訪れたのは船の博物館、みちのく北方漁船博物館である。北日本で古くから使用されていた「ムダマハギ型漁船」67隻を中心に約130隻の漁船類を収蔵する日本最大の漁船博物館である。 ほかにもロシア、タイ、ベトナム、韓国などの外国船も展示されて…

三内丸山遺跡では、多数の建物跡のほか、土器、石器、土偶、木器、骨角器、装身具、黒曜石、栽培植物なども出土して縄文文化のイメージを大きく変えることになった。縄文時遊館には、映像で紹介する縄文シアター、土偶などの資料や縄文人の生活を再現した展…

これは掘立柱建物跡。地面に柱穴を掘り、柱を立てて屋根を支えたものと考えられ、推定で高床式の建物が復元されている。 集落の中央、南盛り土西側などから密集して見つかった。縄文中期中頃(約4500年前)の倉庫あるいは住居と推定されている。 長さ10m以…

この日は朝から天気が悪く、予定していた八甲田山をあきらめて早めに青森市内に戻った。 近年注目を浴びている三内丸山遺跡は、今から約5500〜4000年前の縄文時代の集落跡で、長期にわたって定住生活が営まれていた。大型竪穴住居跡、大人・子供の墓、掘立柱…

文明年間(1469~87)に南部光政が「田村袋の観音」として再建し、元亀2年(1571)千徳大和守政が社殿を改築した。慶長2年(1597)浅石城落城とともに廃社となり荒廃したが、寛永4年(1627)袋村住民が産土神として再興し、袋の観音堂と称せられた。明治4…

落合温泉のある袋集落の西はずれに白山姫神社がある。延暦年間(728~806)に、征夷大将軍・坂上田村麿が蝦夷を鎮めたとき、当地に滞陣し、勢至観音の御影を袋に入れて大木の枝にかけ、戦勝を祈願したところ、たちどころに御加護があらわれて強敵を西方に敗走…

黒石温泉郷には、津軽系こけしの発祥地の温湯・落合・板留温泉があり、落合温泉には津軽こけし館と伝承工芸館、津軽三味線じょんから劇場がある。津軽こけし館には、純金こけしと純銀こけしのほか、東北各地の伝統こけしが4000点も展示されている。 つい最近…

中野神社は、延暦14年(795)坂上田村麿が建立、更に軍が東夷を討ち帰洛の後、当国の守護神として社殿を創建したと伝えられる。御神体の不動尊は、推古帝18年(610)唐僧円智上人の作で、一木より三体を彫刻し一体は古懸山国上寺に、一体は長谷沢の東光…

不動橋を渡るとき、右手に不動滝が見える。それほど大きくはないが、紅葉の季節にはアクセントになって美しいという。 モミの木も堂々としているが、随身門も豪壮である。 五の両部鳥居の手前には狛犬ではなく珍しく鶏の神使(しんし)が並んでいる。左は鶏…

五所川原から浪岡ICで東北自動車道を経由して「こけしの里」と呼ばれる黒石温泉郷に行く。 黒石市から南東に十和田湖に向かい、東へ八甲田へ行く道が分かれるあたりが黒石温泉郷で、温湯・落合・板留温泉がある。 落合温泉の向かいに紅葉の名所として有名な…

五所川原には立佞武多(たちねぷた)の館があり、高さ22mの立佞武多が常時展示されている。2009年作のねぷたの題は「無幻破邪」という。鬼を押さえ込む鍾馗様に、自己中心的な邪心をなぎ払い、明るく優しい未来を築きたいという思いが込められているという…

太宰治はこの豪邸の建築の2年後に生まれた。太宰はこの家を「苦悩の年鑑」の中で、「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」と書いている。斜陽館の2階に上がると大きな洋間とその控え室がある。 2階には和室が6部屋…

津軽半島のほぼ中心に位置する五所川原市金木町は、太宰治(本名 津島修治)の故郷でもあり、津軽三味線の発祥地としても有名である。 旧津島家住宅・斜陽館(重文)は、太宰の父・源右衛門が金木銀行の店舗兼住宅として改築し、明治40年に竣工したほぼ総…

さて、中断していた青森・津軽の旅の続きを再開しよう。 津軽の亀ヶ岡といえば、縄文晩期の遮光器土偶(重文)の出土で有名である。国史跡の亀ヶ岡遺跡の手前に木造(きづくり)亀ヶ岡考古資料室があり、その中の縄文館にレプリカが展示されている。左足が欠…

鯵ヶ沢から北へ十三湖までの海岸は七里長浜といい、内側の砂丘と丘陵地帯を屏風山という。開発以前は不毛地帯だったが、江戸時代に津軽藩主が積極的に防砂・防風林を植林した。その後、天明・天保の大飢饉でほとんど伐採されたが、再度、植林が続けられた。…

白神山地の西麓に広がるブナの森の中に点在する大小33の湖沼を総称して十二湖と呼ぶ。これらの湖は、宝永元年(1704)の能代地震による崩山の崩壊で塞き止められた川からできたと推定されている。十二湖の名称は、大崩から見ると12の湖沼が見えることに…