半坪ビオトープの日記

大鰐温泉、大円寺


岩木山麓から弘前市を南下し、すぐ南にある大鰐温泉に泊まる。大鰐温泉は、約800年前に高伯寺の円智によって発見されたという。高伯寺は東北自動車道の北側、神岡山中腹のリンゴ園に礎石を残す。慶安3年(1650)現在地に移り、明治時代初期の神仏分離の際、弘前の銅屋町より移転してきた大円寺に合寺した。
通りに面して朱塗りの色鮮やかな山門が建っている。堂々とした二層の仁王門である。普通、神社に掲げられる魔除けの注連縄が張られている。仁王門も魔除けだが、神宮寺ならともかく寺院には珍しい。

境内に入るとすぐ左手に、きらびやかな大日堂が建っている。大円寺は、未・申(ひつじ・さる)年の一代様。津軽一円で「大鰐の大日様」として親しく信仰されてきた大円寺には、本尊の木造阿弥陀如来座像が安置されている。古くから大日如来と呼ばれ、鎌倉時代初期に製作された仏師・定朝様式の寄木造りで、津軽地方最古の仏像として貴重なものであり、国の重文に指定されている。座像の高さは、4.85mある。

大日堂の左に建っているのが本堂である。大円寺高野山真言宗の寺で、山号は神岡山(じんごうさん)。前身である高伯寺があった神岡の地名は神々が住む丘という意味で、古い時代から信仰の地であった。高伯寺は天平13年(741)、聖武天皇が全国66ヶ所に建立した国分寺の一つ、大安国寺が始まりとされる。阿闍羅山にあったが、建久2年(1191)円智上人が神岡山に移し高伯寺と改め、大日如来を祀り天台密教の「三諦圓融の教え」を広めた。ちなみに大鰐の地名の由来は、大安国寺がなまって「おおあんじ→おおあね→おおわに」になったとも、大きな阿弥陀如来→大阿弥と変化したとも、いくつかの説がある。

本堂内にも仏像がたくさん安置されている。

大日堂の右隣には、旧大日堂が建っている。以前はここに本尊の木造阿弥陀如来座像(大日如来)が安置されていたという。左手前には弘法大師の立像が安置されている。

旧大日堂には、「不動明王・観世音菩薩・弘法大師」と書かれた扁額が掲げられていて、左右にぼけ厄除不動尊弘法大師座像が安置されている。
車で見にくいが扁額の下入口左右に、1対の牛の石像が安置されている。大鰐温泉では無病息災を祈願する「大鰐温泉丑湯祭り」が開催される。丑湯祭りは、約800年前、東国を行脚していた円智上人が夢枕に立った童子に「土用丑の日、丑の刻に温泉に入ると病が治る」とお告げを受け、同町蔵館に温泉を発見したという故事に由来する。祭りでは、大日如来を背中に乗せた牛が「ご神体」となり、温泉の祈祷式を行うという。

本堂の向かいには、金毘羅大権現堂が建っている。屋根は覆い屋根で、その下に茅葺きの屋根がある。

金毘羅大権現堂の隣には、鐘楼堂が建っている。その背後には西国三十三観音像が並んでいる。

大鰐温泉は、歴代弘前藩主も御仮屋を建てて湯治するなど、古くから湯治場として栄えてきた。平川沿いに温泉街が広がり、共同浴場もたくさん残っている。

泉質は、ナトリウム・カルシウム―塩化物・硫酸塩泉で、源泉温度は67℃ほどである。温泉は町が集中管理している。