半坪ビオトープの日記

脇野沢、悦心院


薬研温泉に泊まった翌日は、津軽海峡の大畑に下り、そこから時計回りに下北半島を一周する。むつ市街地は翌日回しにして、半島をほぼ半周し、下北半島の南西端にある脇野沢まで直行した。
脇野沢の集落は陸奥のまた再奥のどんづまりで、津軽半島蟹田からフェリーが着くけれども、人影はまばらである。そこに浄土宗の悦心院という寺院がある。

悦心院は、脇野沢の寺院で最も古く、延宝3年(1675)の草創とされ、集落の中心部にある故か、中寺と通称されている。開基は能登出身の廻船問屋・大場清兵衛で、後に角屋松村家が大檀那となった。角屋は脇野沢で唯一、千石船を持つ大商人だった。明治の神仏分離の時、八幡宮にあった観音がここに移されている。(斎藤博之「菅江真澄の歩いた下北」)

その観音に関連するのかわからないが、門前の右手前には幾つかの石造観音が安置されていて、「三十三観世音菩薩建立記念碑」なる石碑も建てられている。

悦心院には応永12年(1405)の鰐口があるが、それは脇野沢瀬野の寺屋敷から発掘されたものとされる。また、脇野沢には江戸時代、アイヌが住んでいたとの伝説があり、とくに発府羅という首長が陸奥湾岸のアイヌを統率していたとされる。悦心院にはアイヌの名を記した過去帳と、本堂裏にアイヌの墓標があるというが、それらしきものは見つからなかった。

後で調べたところ、その墓標も今では屋内に保管しているそうだ。墓地には恐山で見かけたような傘付きの太くて背の高い角材でできた卒塔婆が立てられていた。

脇野沢の集落から大間崎まで約50kmを一路北上したのだが、山に入るとすぐに脇野沢野猿公園があった。下北半島に棲むニホンザルは、世界で最も北に生息する野生猿として国際的にも有名で、国の天然記念物にも指定されている。けれども時間の都合で野猿公園は省略して、山道を進むとすぐに、道端の木に登っている猿を見つけた。

トチノキの大きな葉っぱに隠れて見分けにくかったが、顔が赤いので、まぎれもなく野生のニホンザルである。ここから仏ヶ浦観光船の出る佐井村まで向かう道は、ナビも避けてしまうほど上下に振幅のある悪路なので、ほとんど車が走っていない。冬には雪が降り風も強いとされる人里離れた秘境に生き続ける下北のニホンザルは、さながら仙人のような風格を備えていると感じてしまう。