半坪ビオトープの日記

2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧

マンリョウ、ヤブコウジ、カラタチバナなど正月に向けて縁起の良い赤い実のなる鉢物が店頭に並ぶようになった。 以前にも取り上げたことがあるカラタチバナ(唐橘、Ardisia crispa)であるが、白色の実もある紅白揃いの鉢が珍しい。白実のものは、シロミノカ…

11月に近くで見かけた花を紹介する。花期が11〜5月とされるスベリヒユ科のレウィシア(Lewisia cotyledon)が出回っていた。北アメリカ北西部原産の耐寒性のある宿根草で、山岳地帯に自生する。属名は、18世紀のアメリカ人探検家のメリウェザー・ルイ…

霊廟左列手前には、家光の側室で五代将軍綱吉の生母桂昌院ほか、歴代将軍の夫人や子女の多数が埋葬されている合祀塔がある。 宝塔は六代家宣の側室・月光院輝子のものである。 旧徳川将軍家霊廟の入口の前に、四菩薩像がある。右から普賢菩薩、地蔵菩薩、虚…

旧徳川将軍家霊廟は御霊屋と呼ばれ、増上寺大殿の南北(左右)に立ち並んでいて戦前はいずれも国宝に指定されていたが、戦災で96棟が焼失して残った建物も国宝の指定が解除された。その後、荒廃していた御霊屋群を昭和33年から調査、改葬されて現在のよ…

増上寺は徳川家の菩提寺であり、遺言により家康の葬儀が行われた寺でもあり、徳川将軍家の霊廟がある。 二代将軍秀忠など6人の将軍、同将軍御台所崇源院、皇女和宮など5人の正室、三代家光側室桂昌院など5人の側室や将軍の子女多数が埋葬されている。 霊…

増上寺の最初の鐘楼堂は寛永10年(1633)に建立されたが、現在の鐘楼堂は戦後に再建されたものである。 東日本最大級、江戸三大名鐘の一つという梵鐘は、延宝元年(1673)の鋳造で、高さ一丈(約3m)、重さ四千貫(約15t)もある。 四代将軍・家綱の命…

先月中旬、芝増上寺を見てきた。浄土宗鎮西派、三縁山広度院増上寺は、明徳4年(1393)酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人により開かれた。 場所は武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地と伝えられている。開山から戦国時代にかけて…

県庁北のもみじ山公園には福島城址と板倉神社がある。福島城は、治承4年(1180)頃には信夫庄司佐藤基治の家臣杉妻行長の居城であり、杉妻城と呼ばれていた。大仏城という異称は、伊達氏支配時代に杉目大仏を祀っていたことに由来する。豊臣秀吉により奥羽…

福島県庁南にある御倉邸は、旧日本銀行福島支店長役宅として、昭和2年に建てられた瓦葺き平屋の純和風建築である。 福島の市街地には古い建物が少なく、平成12年に市が取得し整備して一般に開放している。 建物には応接室、洋室、和室など10室ほどあり…

信夫山の東端の中腹に岩谷観音がある。創建年代は明らかではないが、平安時代末期、周辺の信夫郡一体を支配した佐藤庄司基治の叔父と伝える伊賀良目七郎高重は、ここ五十辺に館を構えていた。その子孫である尾形四郎憲春(宥海法印)が、応永23年(1416)…

福島市のシンボル的存在である信夫山は、市街地北部にある標高275mの山で、西の羽山(湯殿山)、中の羽黒山(谷山)、東の熊野山(金華山)の信夫三山の総称であり、青葉山、御山の別名もある。古代から山岳信仰で栄え、羽黒神社には日本一の大わらじが奉納…

吾妻小富士からの下り道から浄土平湿原の彼方に東吾妻山が見渡せる。秋の山草はほとんど枯れて、ヤマハハコの白い花だけが盛りを過ぎて咲き残っていた。いくつかの木々が赤く色づき初めていた。 浄土平湿原も散策してみたが、枯れ野原となっている。振り返る…

磐梯吾妻スカイラインは、高湯温泉から土湯峠に至る山岳道路であり、吾妻連峰を縦断する29kmの道のりは、日本の道100選にも選ばれている。作家の井上靖が「吾妻八景」を選んでいる。「白樺の峰」の次の「つばくろ谷」は、はるか80m下に見下ろす切り立…

奥州三高湯の一つ、高湯温泉の開湯は慶長12年で、400年の歴史を誇る。江戸時代から「一切のなりものを禁ず」という申し合わせを守り通して歓楽的な開発をせずに、秘湯・湯治場として山間の温泉宿を受け継いできた。 高湯温泉は全国で8番目に、東北で初…

中野不動尊は、800年以上前に恵明道人が不動明王を祀ったのが始まりという。大阪富田林の瀧谷不動尊、成田不動とともに、日本三大不動尊の一つというが、数え方には異説が多い。 境内には厄除・眼守・三ヶ月の三不動明王が祀られ、日本に置ける六三除けの祈…

飯坂町鎮守八幡神社は創建が古く、祭神は誉田別命、息長足姫命、玉依姫命である。社伝によれば、天喜4年(1056)後三年の役で奥州に出陣した源義家が、この地で長くたなびく八条の雲を見て必勝祈願のため八幡神社を勧請したという。 その後の養和年間(1181…

飯坂温泉街にある旧堀切邸は、江戸時代から続く豪農・豪商の旧家で、福島市が観光スポットとして整備し、近年、無料開放された。 堀切家は、天正6年(1578)に梅山太郎左衛門が若狭から移り住んだのが始まりという。現在の主屋は、明治14年再建の近代和風…

飯坂温泉の北西、摺上川岸にある穴原温泉(天王寺温泉)に近い、臨済宗香積山天王寺は、日本四天王寺の一つといわれる古刹で、第31代用明天皇の開基と伝えられる。用命2年(587)厩戸皇子(聖徳太子)が物部守屋を討った後、仏の道を修める道場の一つとし…

杉並木の参道の突き当たりに薬師堂がある。薬師如来を祀り、鯖野の薬師と呼ばれ親しまれている。薬師如来は別名を大医王仏とも呼ばれ、医王寺の名の由来ともなっている。 薬師堂の左奥、大きな奉讃碑の左に乙和の椿と呼ばれる古木がある。義経の忠臣佐藤継信…

飯坂温泉の少し手前に真言宗豊山派の瑠璃光山医王寺がある。石柱には医王密寺と彫られている。山門の右手には貴船神社がある。 医王寺は、天長3年(826)空海作の薬師如来像を祀り、草堂を建てたことに始まると伝えられる。平安時代末に信夫郡を支配した佐…

阿武隈川の崖に向かって赤い虚空蔵堂が立っている。寺蹟「虚空蔵堂記」によると弘仁2年(811)の創建というが、これは元禄16年に死んだ元道和尚の書き残したものを更に「山の記録」としたものによるので、不確かとされる。下って上杉景勝の時代、西根堰の…

福島駅の南4kmほどの所に臨済宗の満願寺(黒岩虚空蔵尊)がある。 山門は宝暦2年(1752)建立である。 山門の向かいには本堂らしきものがあるが、案内図によると客殿となっている。 客殿の前には旧大蔵寺門前の古碑がある。先ほど参観した小倉寺大蔵寺が往…

昨年の秋に開店したばかりだが、予約をしないと入れないという、南福島に近い人気のイタリア料理店、オステリア・デッレ・ジョイエ(Osteria delle Gioie)に予約をしてから寄った。 案の定、12時前でも予約なしで断られて帰る人がいた。カウンター席を入…