半坪ビオトープの日記

 
県庁北のもみじ山公園には福島城址と板倉神社がある。福島城は、治承4年(1180)頃には信夫庄司佐藤基治の家臣杉妻行長の居城であり、杉妻城と呼ばれていた。大仏城という異称は、伊達氏支配時代に杉目大仏を祀っていたことに由来する。豊臣秀吉により奥羽仕置により会津蒲生氏郷が入ると、その家臣である木村吉清が大森城の城下町を大仏城周辺に移すとともに、城の名を福島城と改めた。
これが福島という地名の由来とされる。江戸時代には本田氏、堀田氏、板倉氏による支配が続いた。

板倉神社には城主板倉氏の藩祖である板倉重昌が祀られ、拝殿内には歴代藩主が奉納した絵馬がある。神社の後ろには県庁が少し見える。

板倉神社の右、福島城跡には福島城鎮護の杉妻稲荷神社がある。祭神として稲倉魂命を祀っている。元は杉妻城(福島城)の艮(うしとら)の守りとして城の東北に鎮座していた産土神だった。建物は天保11年(1840)の再建で、明治の初めに現在地に移築された。享保21年(1736)には神祇管領から正一位を贈られている。小堂ながら、中には画家・一明斎の絵馬や、文人・金沢椿山の書などが奉納されている。

福島城跡は現在、紅葉山公園となっているが、昔は二の丸御外庭と呼ばれる庭園だった。池を中心に下したケヤキの大樹は当時の面影を残すものである。近くには大仏城址出土宝塔もある。

紅葉山公園は阿武隈川沿いにあり、南を見れば天神橋と弁天山が望める。

東には大仏橋が近くに見える。大仏橋(おさらぎばし)の名は福島城の別名、大仏城(だいぶつじょう)にちなむが、「おさらぎ」城の呼び名が福島で一般的になったために「おさらぎばし」と名付けられたそうだ。
これで急ぎ足の福島の旅は終わった。