半坪ビオトープの日記

宮崎

高千穂峡、阿蘇神社、湯布院

翌朝は早く出かけて高千穂峡のボート遊覧を楽しむ。五ヶ瀬川にかかる高千穂峡は、国の名勝、天然記念物に指定されていて、五箇瀬川峡谷とも呼ばれる。阿蘇カルデラをつくった約12万年前と約9万年前の火山活動による火砕流堆積物が五ヶ瀬川の峡谷にも流れ下…

天岩戸神社、高千穂神楽

去年の7月中旬の連休に、知人の退職記念旅行を企画・引率し、大人数で高千穂峡と国東半島を訪ねた。熊本空港から高千穂へ向かう途中、阿蘇の外輪山の山麓で昼食となった。1年前の熊本地震の影響でまだ復旧の遅れているところが何箇所か残っていたが、その…

五ヶ所高原、三秀台

神話の国、日向国(宮崎県)は、鵜戸神宮や宮崎神宮、都萬神社や都農神社、高千穂神社に天岩戸神社と、いたるところに大きな神社があり、史跡巡りはさながら神社巡りとなった。寺院もいくつかあることはあるのだが、訪れる時間は割けなかった。熊本県の阿蘇…

天岩戸神社、天安河原

天岩戸は日本神話に登場する洞窟で、天戸、天岩屋、天岩屋戸ともいい、太陽神である天照大神が隠れ、世界が真っ暗になった岩戸隠れの伝説の舞台である。天上界の出来事であるが、ここが天岩戸という場所はいくつも存在する。しかし、高千穂の天岩戸が最も有…

天岩戸神社、西本宮

高千穂町中心部から東北の山間、岩戸川を挟んで天岩戸神社の東本宮、西本宮がある。岩戸川の西側にある西本宮の駐車場は満杯で、東本宮のさらに東の臨時駐車場に案内された。そこから東本宮前を通り、岩戸橋を渡る時、右手に岩戸川の上流側が見下ろせる。谷…

荒立神社、天真名井

槵触の峯の北に荒立神社が鎮座している。昔は神呂木(かむろぎ)山を神山とし、神呂木=興梠(こうろぎ)の里と呼ばれている。興梠とは高千穂独特の姓で、現在の宮司の姓も興梠である。 荒立神社は、国津神の猿田彦命と天津神の天鈿女命の2柱を主祭神とし、…

槵觸神社、四皇子峰

高千穂町役場の東にある槵触山の中腹に、槵觸(くしふる)神社が鎮座している。天孫降臨の地といわれる「くしふるの峰」とはいうものの槵触山とか槵触岳の名が地図に載っているわけではなく、槵觸神社の低い裏山を槵触山と呼んでいるだけのようだ。 古くは「…

高千穂神社

高千穂町の中心部から高千穂峡に向かう途中の交差点の右手に、高千穂神社が鎮座している。大きな青銅製明神鳥居の扁額には、「高千穂宮」とある。 高千穂神社は、古来「十社大明神」や「十社宮」などと称され、明治4年(1871)に「三田井神社」と改称、明治…

高千穂峡、遊覧ボート

遊覧ボート乗り場は、崖に作られた仮設の階段を下りていく。途中、湿った岩壁にイワタバコ(Conandron ramondioides)の薄紫色の花が咲いていた。本州以南および台湾に分布するイワタバコ科の多年草で、花茎の先に散形花序をつけ8月頃に開花する。花が美し…

高千穂峡、遊歩道

宮崎県北端にある高千穂は、天孫降臨の神話の里として知られる。古くは宮崎県西臼杵郡(上高千穂)のみならず、隣接する熊本県の阿蘇外輪山一帯(下高千穂)までを含む、祖母山(宮崎・熊本・大分県の境)とその周辺を高千穂と呼んだことを、日向国風土記、…

日知屋城趾・鵜戸神社

大御神社神門の左向かいに日知屋城趾及び鵜戸神社への入り口がある。日知屋城は、塩見城と門川城とともに「日向三城」と呼ばれ、伊勢ケ浜の南にある半島に築かれ、三方を日向灘の荒波が打ち寄せる要害の城である。現在、城跡は伊勢ケ浜公園として整備され、…

大御神社

延岡の南約15kmの日向市伊勢ケ浜のすぐ南に大御(おおみ)神社が鎮座している。創祀は不詳だが、社名は天照皇大御神の「大御」をとったといわれ、日向のお伊勢さまとして慕われている。 鳥居をくぐって進むと、海岸に面して右側に大御神社があり、左側には鵜…

都農神社、本殿

都農神社の創祀は不詳だが、社伝によれば、神武天皇即位の6年前、天皇が東征に向かう際に鎮祭したことに始まるという。また神功皇后が三韓征伐に際して舟の守護神として「吐乃大明神」を勧請したとの『塵添壒囊抄』の記事を引用して、皇后が凱旋後に社殿を…

都農神社、神楽殿

宮崎県の中部、宮崎市と延岡市のほぼ中間に位置する都農(つの)町に、都農神社がある。西参道の鳥居が国道10号線近くに建っている。 都農神社は、日向国一宮として、地元では「一の宮様」と呼ばれ、明治以前は「宮崎社」「宮崎宮」とも称していた。駐車場か…

西都原古墳群

日向国の中央にあって、九州最大規模を誇る西都原古墳群は、国の特別史跡にしてされているが、昭和41年(1966)、その中心部は全国に先駆けて史跡公園「風土記の丘」第1号に指定された。そこに平成16年(2004)、県立西都原考古博物館が開館した。古墳時代…

都萬神社

西都原古墳群に向かって、西都市の中心地妻の市街地を北に抜けると、都萬神社の森が見える。近くに屯倉設置の推定地や日向国の国府跡もあり、古代の中心地で日向国総社ともされる。なお、本居宣長以来古くから、当地の地名「妻」を『魏志倭人伝』に見える「…

巨田神社

宮崎市の最北部、佐土原から西都市に向かう途中、静かな農村の外れの森に囲まれた一角にポツンと巨田(こた)神社が鎮座している。 巨田神社の創祀は不詳だが、天長8年(831)に飛箟原に白羽の矢1対が飛来したため、そこに祠を建てたのが創祀と伝える。初…

宮崎神宮

宮崎神宮の駐車場から参道に出るとすぐに大きな三の鳥居が建っている。単純明快な形の神明鳥居である。正面突き当たりには、大きな神門が見える。神武天皇を祀る宮崎神宮は昔、神武天皇宮または神武天皇社といわれていたので、地元では今でも「神武さま」と…

青島神社

宮崎県南部から都井岬に至る国道は日南フェニックス道路と呼ばれるが、その最北部に青島海岸が位置する。陸繋島になりつつある青島の対岸に当たる青島海岸は、海水浴場としても知られる。 青島は、周囲860m、面積約4.4ha、高さ約6mの島で、青島海岸から弥生…

鵜戸神宮、本殿

本殿がある岩窟は、東西38m、南北29m、高さ8.5mの海食洞で、参拝するには崖に沿った石段を降りる必要があり、神社としては珍しい「下り宮」の形となっている。 中世以後、鵜戸大権現は伊東氏や島津氏などの在地領主の崇敬を受け、永禄3年(1560)に伊東義祐…

鵜戸神宮、楼門

油津から北東に10kmほど日南海岸を進むと、鵜戸神宮のある鵜戸崎の海岸には、鵜戸千畳敷奇岩がある。宮崎県南部の海岸によくある鬼の洗濯板だが、ここの洗濯板は典型的な波状岩で、その広さから県指定天然記念物になっている。 駐車場脇の参道入口に、剣法発…

駒宮(平山)神社

吾平津神社の2kmほど北の平山に、駒宮神社がある。祭神として神武天皇を祀り、『記紀』の伝承に由縁をもっている。平山にあるので平山神社とも呼ばれるが、地元では「駒宮さん」の名で親しまれている。一の鳥居には駒宮神社の扁額が掲げられている。 駒宮神…

油津、吾平津神社

かつては江戸時代の名産品・飫肥杉の出荷港として栄え、昭和初期には東洋一のマグロ漁港として賑わった油津は、古くは油之津とも呼ばれていた。宮崎市田野町甲の天建神社縁起書に、百済の王が油津に漂着した伝説が記載されている。遣唐使の時代から日本と中…

飫肥城跡

都城の南東に進むと、日南市の飫肥(おび)に至る。日南の小京都と呼ばれる飫肥城下町は、重要伝統的建造物群保存地区に九州で初めて国の選定を受けた町並みである。大手門通りの突き当たり手前右側には、小村記念館がある。日露戦争後のポーツマス条約の締…

都城島津邸

霧島神宮から南東に進むと、宮崎県の都城に至る。都城市は平安時代、国内最大級の荘園、島津荘の中心地であった。源頼朝から三州(日向・薩摩・大隈)守護職に任命された惟宗(これむね)忠久は、建久7年(1196)島津荘地頭職を兼ねて荘政所に赴任し、島津…