半坪ビオトープの日記

高千穂峡、遊歩道


宮崎県北端にある高千穂は、天孫降臨の神話の里として知られる。古くは宮崎県西臼杵郡(上高千穂)のみならず、隣接する熊本県阿蘇外輪山一帯(下高千穂)までを含む、祖母山(宮崎・熊本・大分県の境)とその周辺を高千穂と呼んだことを、日向国風土記阿蘇神社縁起、宇佐八幡御神託集などが伝える。高千穂町三田井にある五ヶ瀬川にかかる峡谷・高千穂峡は、溶結凝灰岩が浸食によってV字峡谷になったもので、高さ80〜100mにも達する断崖が7kmに渡って続いている。峡谷観光にはボート遊覧が面白いので朝早く7時に出かけたが、ボート乗り場近くの御塩井駐車場はすでに満杯で、神橋脇のあららぎ駐車場に案内された。神橋から御橋まで峡谷に沿って遊歩道が整備されているので、早速歩き始めた。五ヶ瀬川に注ぐ支流をまたぐところで甌穴が見られた。甌穴は水流によりできたくぼみの中に小石が入り、水流がその小石を回転させて円形の穴を大きくするものである。かめ穴とかポットホールともいう。流れが激しすぎて甌穴が確認しにくい。

すぐ先の左側に「神硯(みすずり)の岩」という四角い窪みのある岩がある。振り返ると3つのアーチ橋が眺められる。古びた石橋が昭和時代の神橋、そのうえの鋼鉄製の橋が昭和時代の「高千穂大橋」、その下遠くに見えるコンクリート製の橋が平成時代の「神都高千穂大橋」であり、まとめて「高千穂三段橋」と呼んでいる。3種のアーチ橋が一望できるのは全国的にも珍しい。

やがて五ヶ瀬川の中でも最も川幅の狭い「槍飛」となる。天正19年(1591)県(あがた)の領主(現、延岡)高橋元種に高千穂が攻められ、三田井城が落ちた際、城を抜け出した家来たちがここまで逃げたが、橋がないので槍の柄を手前の岸についたものは飛び渡り、向こう岸についたものは川の中に転落したと伝えられており、ここを槍飛というようになったという。

槍飛橋の上から眺めると、渡った先には岩だらけの広い河原が開け、右岸には巨大な断崖が聳え立っている。この断崖は柱状節理でできており、「仙人の屏風岩」と呼ばれている。50〜100mの断崖で、その姿は圧巻である。向かいの左岸には大きな岩があり、「鬼八の力石」という。

「鬼八の力石」は重量約200トンといわれる。高千穂神社の祭神・三毛入野命は弟の神武天皇とともに大和に行くが、伝説では再び帰り、高千穂郷一帯で悪行をはたらいていた鬼八を退治し、この地を治めたという。この時、鬼八が三毛入野命に投げつけ、力自慢をした石といわれている。

広い河原を回り込んで、「仙人の屏風岩」を目前に上がっていくと、展望台に至る。ここから真名井の滝を眺める高千穂峡は、遊歩道沿いで最も代表的な景観として人気がある。

上流を振り返っても柱状節理の断崖を縫って流れてくる五ヶ瀬川の姿が美しい。

展望台の先端まで進むと、真名井の滝に向かう遊覧ボートの姿が見える。

真名井の滝の上まで登りつめると、広々とした崖上の自然公園に、日本庭園風の「おのころ池」がある。池の中には、『記紀神話』で伊奘諾尊と伊奘冉尊により生み出された「おのころ島」が浮かび、小さな祠が置かれている。昔、この池には桜川神社(滝津の妙見社)があり、鵜の島はこの社に使える神聖な霊鳥であったと伝えられている。高千穂神社の春祭では、御神幸のお神輿がこの池を三度回って禊をすることになっている。現在、おのころ池にはコイやチョウザメが泳いでいる。チョウザメは姿がサメに似て、背中の鱗が蝶に似ることから名付けられた淡水魚で、シーラカンスと同じく古代魚とされ、生きた化石と呼ばれている。

おのころ池の北にある崖からは岩清水が湧き出し、いく筋もの玉垂の滝となって流れ落ちている。この清水がおのころ池に注ぎ、そこから真名井の滝となって五ヶ瀬川に流れ落ちる。

おのころ池から御橋(みはし)に向かう途中に、小さな神橋久太郎水神という水神が祀られている。古くより、五ヶ瀬川流域の要地五ヶ所に、鵜葺草葺不合命の御子・五瀬命に五人の兄弟水神が命じられた。その一人、神橋久太郎水神がこの地、三田井・御塩井に中央守護のため配され、鎮座されたのが始まりという。

御橋を渡った御塩井駐車場脇に遊覧ボート乗り場がある。橋の上から真名井の滝が見下ろせるが、紅葉の時にはさぞや美しかろうと思う。