半坪ビオトープの日記

日知屋城趾・鵜戸神社


大御神社神門の左向かいに日知屋城趾及び鵜戸神社への入り口がある。日知屋城は、塩見城と門川城とともに「日向三城」と呼ばれ、伊勢ケ浜の南にある半島に築かれ、三方を日向灘の荒波が打ち寄せる要害の城である。現在、城跡は伊勢ケ浜公園として整備され、本丸の石垣、東の曲輪の土塁など遺構が確認されている。

森の中を進むと、鵜戸神社の石柱と鳥居があり、そのすぐ先に休憩所がある。

その先に木々の合間から右手に海が見えるところがあり、亀の姿の岩が見下ろせる。これが子亀であろうか。

またもや鳥居が現れ、いよいよ洞窟に向かって下るようだ。道端には小さな龍宮の標識もある。

崖に沿って石段をゆっくり下って行くと、荒波にえぐれてできたと思われる洞窟の中に、赤い鳥居が見える。ここが日向市の鵜戸神宮である。

高さ約20m、幅約8m、奥行き約40mの洞窟の奥に、小さな社が鎮座している。

創祀は不詳だが、祭神として、鵜葺草葺不合命彦火瓊瓊杵命彦火火出見命豊玉姫命塩筒大神の五柱を祀っている。

ここは龍宮として知られ、奥から振り返ってみると細く白く見える隙間が、白龍が天に昇る姿に見える場所があるという。

洞窟を出て小さな入江を眺めると、昔はここから舟で上陸してお参りしたのだろうと思われた。

帰りは二股の分かれ道を右手に取り、下の鳥居脇にある駐車場に出ると、そこに日知屋城趾の石碑と案内図があった。日知屋城は鎌倉時代末から室町時代半ばまでの間に、当地の地頭職であった伊東氏により築かれ、天正年間まで同氏の居城であった。伊東氏は祐国、伊祐の時代から飫肥城の攻防を巡って島津氏と確執が続いた。その戦いで祐国が戦死した時、弟の日知屋城主・祐邑は大友氏と組んで伊東家の安泰を図り、島津氏にあたるべく画策したが、かえって一族の誤解を受けてこの城内で暗殺された。知勇兼備の名将として慕われた祐邑の死を悼む、多くの伝説が語り継がれているという。