半坪ビオトープの日記

長野

仁科神明宮宝物庫、穂高神社本宮

仁科神明宮歴史展示館 仁科神明宮三の鳥居の手前左手には宝物収蔵庫、右手には無料の歴史展示館が建っている。平安時代後期、現在の大町市社には伊勢神宮の荘園である仁科御厨(みくりや)があった。御厨を支配していた御厨の司が仁科氏で、伊勢神宮内宮を勧…

仁科神明宮

仁科神明宮 大町市の東南部の仁科の森に日本最古の神明造を誇る国宝・仁科神明宮が鎮座している。仁科神明宮の一の鳥居を潜って200mほど参道を進んだ傍に駐車場があり、社号標の先の境内に入ると、かなり先の手水舎の左手前に三本杉が見える。さらにその手…

安曇野、小谷温泉、白馬大出

安曇野市豊科郷土博物館 栂池高原の前後にも安曇野や白馬、小谷など長野県北西部を訪ねた。最初は安曇野市豊科郷土博物館。安曇野は西に北アルプスの山が聳え、東には犀川が流れる自然豊かな地域で、大昔から人が住み約400ヶ所もの遺跡が知られている。約500…

栂池高原自然園

栂池高原自然園 さらに右手を眺めると、自然園から白馬大池方面の尾根が見えるが、おおかた雲に覆われていた。 オヤマリンドウ この青紫色の花は、日本特産種のオヤマリンドウ(Gentiana makinoi)。中部地方以北の亜高山帯や湿原、草地に生える多年草。茎の…

栂池高原自然園

栂池高原自然園、タマガワホトトギス 今年は春に佐渡、初夏に五島列島に出掛け、8月初旬には長野県の栂池高原を散策した。麓の栂池高原駅(839m)からゴンドラリフトで栂の森駅(1582m)に行き、ロープウェイに乗り換えて自然園駅(1829m)まで上がる。…

湯の丸高原、池の平湿原

湯の丸高原 一昨日、久しぶりに、湯の丸高原と池の平湿原を散策してきた。湯の丸高原は浅間連峰の西側に位置し、標高1800〜2000mの高原地帯である。その名の通り丸く穏やかな山容を見せている湯ノ丸山(2101m)の山肌にも、6月下旬にはレンゲツツジの朱色…

光前寺

光前寺、仁王門 乗鞍高原から駒ヶ根高原に移動した日に駒ヶ根にある名刹、光前寺を訪ねた。光前寺は天台宗の別格本山の寺院で、正式には宝積山無動院光前寺という。貞観2年(860)創建とされ、天台宗信濃五山(他は戸隠山の顕光寺、善光寺、更科八幡神宮寺…

千畳敷遊歩道を剣ヶ池へ

ミヤマリンドウ 八丁坂を下り終え、千畳敷カールの遊歩道に合流し、剣ヶ池に向かう。足元に咲くこの可憐な花は、リンドウ属のミヤマリンドウ(Gentiana nipponica)という日本固有種。北海道と本州中部以北の高山帯の湿原や湿り気のあるところに自生する多年…

まだ八丁坂下山中

千畳敷カールの遊歩道 かなり八丁坂を下ってきて、千畳敷カールを一周する遊歩道もよく見えるようになった。 モミジカラマツ この白い花は、モミジカラマツ属のモミジカラマツ(Trautvetteria caroliniensis)という宿根性多年草。北海道および中部以北の高…

乗越浄土から下山開始

乗越浄土より千畳敷駅 いよいよ乗越浄土から下山開始する。膝の具合が悪く踏ん張りが効かないので、上りより下りの方が不安だ。千畳敷カールの向こうにロープウェイの千畳敷駅が見えるが、霧が湧き上がってきた。両手にストックを握りしめてゆっくり歩き出す…

乗越浄土

乗越浄土 ようやく急斜面の八丁坂を登りつめて、宝剣岳と伊那前岳との鞍部である乗越浄土(2,858m)にたどり着いた。ここまでくると、木曽駒ヶ岳の手前に構える中岳が見える。 中岳 北を向くと、中岳(2,925m)の手前には赤い屋根の天狗荘があり、中岳の背…

木曽駒ケ岳、八丁坂

木曽駒ケ岳のロープウェイ 奥飛騨から安曇野のわさび農場などを見物しながら木曽谷に入り、駒ヶ根の早太郎温泉に泊まって木曽駒ケ岳を目指した。中央アルプスの主峰、木曽駒ケ岳のロープウェイは、昭和42年、しらび平駅(1,662m)から宝剣岳直下の千畳敷駅…

香福寺

蓮華寺から東に200mほど進むと、真言宗の医王山三学院香福寺が建っている。境内の入り口に咳の地蔵堂があり、6体の地蔵菩薩が並んでいる。堂内の版木に享和2年(1802)願主・蛙鳴の説明文がある。「当山は天平の末より大同の始めに至り、行基菩薩、弘法大…

蓮華寺

満光寺から北東に300m進むと、日蓮宗の妙法山蓮華寺が建っている。 駐車場左の石段を上り詰めると山門が構えている。1間1戸の四脚門で、屋根は切妻造の本瓦葺である。 開山は身延山5世の鏡円阿闍梨日台上人で、開基は妙顕寺3世の大覚大僧正妙実上人。延…

満光寺

建福寺から東に300m進むと浄土宗の親縁山満光寺が建っている。古めかしい四脚門の山門の手前、右側には赤い屋根で覆われた小さな秋葉神社が祀られていた。 山門をくぐるとすぐ右手に閻魔堂が建っている。堂の右手前には庚申塔や二十三夜塔が並んでいた。 正…

建福寺

高遠市街地の中心、高遠駅バス停の北に鉾持神社があり、その東(右)、城山の麓に臨済宗の建福寺が建っている。山門は四脚門である。 寺伝によれば、大宝山建福寺は安元2年(1176)文覚上人が本堂裏手にある「独鈷の池」付近に開創したのが始まりという。そ…

高遠城址公園

高遠美術館に近い南ゲートから高遠城址公園に入ることができる。高遠城は、三峰川と藤沢川に削られた河岸段丘上の突端に位置している。段丘上から見ると平城のように見えるが、他の三方から見ると川岸から80mもの高い丘の上にある山城の姿をしているため平…

高遠そば、高遠美術館

いよいよ分杭峠(1424m)を越えて伊那市に入る。峠の名は、高遠藩が他領との境界に杭を立てたことに由来し、峠には「従是北高遠領」の石碑がある。峠の高遠側に粟沢駐車場があり、分杭峠周辺の散策拠点となっている。近年、ゼロ磁場などと騒がれ観光客も多…

市場神社

大河原地区から再び北に向かって鹿塩地区に戻り、大鹿村の最後に市場神社を訪れた。鹿塩温泉に向かう塩川の分岐点にある市場神社は、小さな塩河公会堂の脇の石段を上っていく。 塩河公会堂の裏には、いわくありげな古びた小さな社が祀られていた。屋根はほと…

中央構造線博物館

ろくべん館のすぐ手前には、大鹿村中央構造線博物館が建っている。建物のほぼ真下を通っている中央構造線と呼ばれる大断層と、大鹿村の岩石標本の展示を中心に、地震と地殻変動、地盤・土砂災害と地形の出来方などを紹介している。 正面の小渋川を北にたどっ…

ろくべん館

御所平から大河原中心部に戻り、小渋川の河原に面したろくべん館に寄ってみた。橋の向こうには大鹿小学校が見え、その裏に大磧神社があり、右手奥に福徳寺がある上蔵地区がある。 ろくべん館とは大鹿村郷土資料館のことで、その名「ろくべん」とは大鹿村に古…

宇佐八幡神社

野々宮神社から信濃宮の下を抜けて東南に続く細い山道を進むと、すぐに小渋温泉を右に分けますます山深くなっていく。渓谷から離れて上っていくと、小渋川の前方に南アルプスの山並みが見えてくる。11月中旬なので既に雪も積もっている。赤石岳(3120m)であ…

福徳寺、野々宮神社

鹿塩川を下り、小渋川に合流する直前に左に曲がって橋を渡ると、左手に村役場があり、右手には小渋川に沿って渓谷が伊那谷に向かっている。 大鹿村南部の大河原地区は、南北朝時代には秋葉街道を経由して、遠江から奈良・吉野の南朝勢力と結びついており、後…

鹿塩温泉

残りの飯田市内観光はまたの機会に譲って、飯田市の北東にある信州で2番目に山奥の村と呼ばれる大鹿村に向かう。古くは諏訪上下社領であったとみられ、南北朝時代には宗良親王が暮らし、後に武田信玄の所領となった。江戸時代には大河原村・鹿塩村の2ヶ村…

元善光寺

下伊那地方は東西交通の要路として歴史を刻み、中心には小京都と呼ばれた城下町の飯田の街並みがある。室町時代に領主の坂西氏が城を築き、安土桃山時代には城下町の原型が出来上がり、以来、中馬街道の宿場としても栄えた。明治時代には日本画家の菱田春草…

小笠原資料館

旧小笠原家の敷地内に小笠原資料館が建っている。金沢21世紀美術館などの作品で知られる、日本の建築家ユニットSANAA(サナア)が設計し、平成11年(1999)に竣工したユニークな建物である。設計者の一人・妹島和世氏の母が小笠原家出身の関係による。SANAA…

旧小笠原家書院

天竜峡から北西に三遠南信自動車道ができて中央自動車道につながったが、それを使わず北西に少し行った飯田市伊豆木に旧小笠原家書院がある。伊豆木小笠原家は、伊那地方で中世以来の名家である松尾小笠原家の一族で、天正18年(1590)本庄に移っていたのを…

伊豆神社、瑞光院

雪祭りとは別に、新野の盆踊りは8月中旬に3晩、夜を徹して行われる。鳴り物を使わずに、唄と手拍子だけで粛々と踊り、最後に旧村境における神送りの儀礼を伴う。それが日本の盆踊りの原型などといわれている。 下伊那南部には、新野の盆踊りと同じように古…

阿南町新野の雪祭り

東栄町から天竜川右岸(西側)に沿って北上し、新野(にいの)峠を越えて長野県下伊那郡阿南町新野に着く。阿南町新野は千石平とも呼ばれた丘陵状の盆地であり、盆地を取り囲む峠は塞の神のいるところだと信じられた。新野は雪祭りが有名で、阿南町や周辺の…

松本へ

前日割安にしてくれたタクシーをチャーターして、畳平から松本市内まで直行する。するとすぐ道路脇に、コマクサ(Dicentra peregrina)が咲いていた。北海道と本州中部地方以北の高山の砂礫地に生える多年草で、高さは5~15cmになる。葉は細かくパセリのよう…