半坪ビオトープの日記

和歌山

根来寺

和歌山県一周の旅の最後に、紀ノ川沿いの根来寺を訪ねた。根来寺は、大伝法堂を中心とする諸伽藍からなる大伝法院をいい、新義真言宗の総本山であり、一乗山大伝法院と号する。元は高野山内にあったもので、根来寺の開祖・覚鑁(かくばん)上人(興教大師)…

奥の院、御廟

やがて武将たちの墓石群が終わる頃、参道正面に御廟の橋が現れる。右手の杉木立ちの向こうには、帰りに立ち寄る護摩堂や御供所を垣間見ることができる。 御廟の橋は、36枚の石の橋板と橋全体を1枚として37枚と数え、金剛界37尊を表しているといわれ、橋板の…

奥の院、墓石群

奥の院は、承和2年(835)に入定したとされる空海の御廟を中心とする高野山の聖域である。11世紀に祈親の高野山復興によって、大師信仰の聖地として整備された。後世、一の橋から御廟に至る18町(約2km)の参詣道周辺の墓石群を含むようになり、およそ20…

壇上伽藍、中門

金堂の正面手前の一段低い所に中門(ちゅうもん)が建っている。創建年代は不明だが、最初の再建は永久3年(1115)年。壇上伽藍はかつて、天保14年(1843)の大火により、西塔のみを残してことごとく焼き尽くされた。昨年、高野山開創1200年記念の一環で、1…

壇上伽藍、金堂

根本大塔の西に進むと御影堂(みえどう)が建っている。元は空海の持仏堂で、空海没後にその弟子実恵が真如法親王筆の弘法大師御影像を安置したため御影堂と呼ばれる。現在の建物は嘉永元年(1848)の再建で、3間4面の桧皮葺・宝形造。堂内外陣には空海の…

壇上伽藍、根本大塔

金剛峯寺を出て壇上伽藍に向かう。伽藍とは梵語のサンガ・アーラーマの音訳で、本来僧侶が集い修行をする閑静清浄な所という意味である。空海は高野山の造営にあたり、壇上伽藍からはじめ、密教思想に基づく金堂、大塔、西塔などの建立に務めた。根本道場大…

金剛峯寺主殿、蟠龍庭

小玄関の右手に参拝者入り口があり、拝観料を払う。金剛峯寺だけなら500円だが、大塔、金堂など6カ所で1500円の共通内拝券を購入したら、「3時間以上かかりますが大丈夫ですか」と念を押されたが、「そのつもりです」と答えて、主殿に上がり込んだ。 大広…

高野山、金剛峯寺

最後の日は高野龍神スカイライン(国道371号線)を走って高野山まで行く予定だが、3月下旬までは積雪・路面凍結の恐れがあるというのでチェーン携行の交通規制があった。和歌山県と奈良県の県境の標高1000メートル前後の高野龍神スカイラインは、最高峰の護…

高原熊野神社、龍神温泉

世界遺産の熊野古道で一躍脚光をあびるようになった中辺路に沿って、本宮大社から西に進み高原熊野神社に向かった。古来より多くの参詣者が歩いた中辺路は、熊野の山里をたどる山岳道で、途中から国道311号線と付かず離れず並行するけれども、数ある九十九王…

本宮大社、證誠殿、大斎原

熊野本宮大社の創祀は不詳だが本宮大社では次のようにいう。古代、熊野の地を治めた熊野国造家の祖神・天火明命(あめのほあかりのみこと)の子である高倉下は神武東征に際し、熊野で神武天皇に天剣「布都御魂(ふつのみたま)を献じた。時を併せて高御産巣…

熊野本宮大社、結宮

新宮の神社を後にして熊野本宮に向かう。本宮に着く前に、熊野川の河畔で昼食をとった。幅広い河原が続くが、この先の上流に本宮大社がある。本宮大社は明治22年(1889)の大洪水まで大斎原という熊野川の中洲にあったというが、これだけの幅広い河原をもつ…

神倉神社

熊野速玉大社の南西、千穂ヶ岳(権現山、253m)の南端に位置する神倉山(199m)の山頂より少し下ったところに神倉神社が鎮座している。太鼓橋の傍らに古めかしい下馬標石が建っている。これは寛文12年(1672)に奥州の大銀与兵衛盛道が、熊野三山に7度参…

手力男神社・八咫烏神社

速玉大社の神門を出て大鳥居までの参道を歩いていく。すぐ右手にある大禮殿は、鉄筋コンクリート瓦葺入母屋造である。 左手には、野口雨情の詩碑がある。「国のまもりか 速魂さまの 御庭前まで 神さびる」 その先右手に後白河法皇御撰梁塵秘抄所載の歌碑が建…

速玉大社、上三殿・八社殿

参集殿の左手背後の山は千穂ヶ峯で、二つのピークのうち高いほうが北の権現山(253m)で、左手の低いほうが神倉山(199m)である。この神倉山の頂上直下に熊野速玉大社の摂社で元宮とされる神倉神社がある。 熊野速玉祭は熊野速玉大社の例大祭で、例年10月…

熊野速玉大社、結宮・速玉宮

丹鶴城跡の1kmほど西の熊野川淵に熊野速玉大社がある。境内右手の駐車場から神門に向かうとすぐ右に小さな熊野稲荷神社がある。境内末社の稲荷神社では、2月に初午祭が行われる。 横から参道に出るとすぐ前に麗しい佇まいの神門が建っている。神門には巨大…

徐福公園

阿須賀神社から南に300mほどの所、新宮駅のすぐ東に徐福公園がある。元来この地には徐福のものとする墓があったが、平成6年(1994)にその墓を中心にきらびやかな中国風の楼門を設置するなどして公園として整備された。楼門の瓦は台湾で製造されたものを使…

阿須賀神社

翌朝早く、新宮市内の速玉大社に行く前に、熊野発祥の地ともいわれる阿須賀(あすか)神社に立ち寄った。高さ48mの蓬莱山の南麓に鎮座するが、蓬莱山は元来、熊野川河口にある小さな島で、古代より神の降臨する神奈備型の霊山として崇拝されてきた。 社伝に…

補陀洛山寺、熊野三所大神社

夏は海水浴客で賑わう那智の浜の前方に広がる熊野灘は、観音菩薩が住む浄土に続く海として信仰されてきた。この海を崇拝する場所として古くから信仰を集めてきたのが、那智の浜近くにある補陀洛山寺(ふだらくさんじ)と熊野三所大神社(浜の宮王子社)であ…

妙法山阿弥陀寺  

熊野那智大社から旧那智山スカイラインを車で10分ほど上ったところに妙法山阿弥陀寺がある。那智三峯の一つ妙法山(749m)の山頂近くに建つ寺で、駐車場前から眼下に熊野灘の大海原が望まれる。真下左手には那智湾と那智勝浦のリアス式海岸が、その右手には…

三重塔、那智の滝

三重塔に向かって進むと、ミツマタの花が満開に咲いていた。 ジンチョウゲ科に属すミツマタ(Edgeworthia chrysantha)は、中国中南部・ヒマラヤ地方が原産地とされる落葉低木で、3月から4月にかけて、三つ又に分かれた枝先に黄色い花を咲かせる。三椏、三…

青岸渡寺

那智大社のすぐ右隣に青岸渡寺がある。天台宗の寺院で山号は那智山。熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であるが、那智大社及び青岸渡寺の創建時期は不詳である。伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺から渡来した裸形上人の…

熊野那智大社

熊野那智大社へ行くには、石畳が美しい苔むした大門坂の熊野古道をゆっくり歩いて登っていくこともできるが、車でバスターミナル脇駐車場まで行っても、やはり石段の参道を上らなければならない。 土産物屋が立ち並ぶ表参道を10分ほど上っていくと、左手に大…

橋杭岩、太地の鯨

串本町の紀伊大島に面した海岸に、橋杭岩という奇石群があり、国の天然記念物に指定されている。海岸から南西方面へ大小約40の岩が、約850mにわたって連続してそそり立ち、橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれる。あまりにも横に長く連なっているの…

樫野埼、トルコ記念館

鯨の尾のような形をした陸繋島の潮岬の東側に紀伊大島が横たわり、串本本土とつなぐ串本大橋が平成11年に開通した。290mのアーチ橋と、苗我島に架かる386mのループ橋からなる。民謡「串本節」で知られる紀伊大島は、東西約8km、南北約2.5km、周囲約26k…

潮岬、望楼の芝

串本町の太平洋に面する潮岬は陸繋島であり、本州とは串本市街が位置する砂州で結ばれている。潮岬の先端は、約10万平方メートルの大芝生が広がる。昔、海軍の望楼(物見櫓)があったところで、望楼の芝と呼ばれる。ここを見下ろすように潮岬観光タワーが建…

三段壁、千畳敷、円月島

白浜町にはいくつか自然景勝地があるが、断崖絶壁の名勝と知られるのが三段壁である。その入口左手に牟婁山文殊堂、徳風地蔵尊、西国三十三ヶ所霊場がある。文殊堂は昭和初期、上富田町で生まれた魯山和尚が中国にある文殊菩薩の総本山五台山から授かり、白…

アドベンチャーワールド

3月中旬に和歌山県の白浜、熊野三山から高野山まで旅した。初日は和歌山駅前で湯浅醤油味の和歌山ラーメンを食べた後、高速道路で白浜まで直行し、パンダを見るためアドベンチャーワールドに立ち寄った。アドベンチャーワールドは動物園、水族館、遊園地が…