半坪ビオトープの日記

本宮大社、證誠殿、大斎原


熊野本宮大社の創祀は不詳だが本宮大社では次のようにいう。古代、熊野の地を治めた熊野国造家の祖神・天火明命(あめのほあかりのみこと)の子である高倉下は神武東征に際し、熊野で神武天皇に天剣「布都御魂(ふつのみたま)を献じた。時を併せて高御産巣日神は天より八咫烏を遣わし、神武天皇を大和の橿原まで導いた。第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原の櫟(いちい)の巨木に三体の月が降臨した。天火明命の孫にあたる熊野連はこれを不思議に思い「どうしてこんな低いところに降りてこられたのか」と月に尋ねた。すると真ん中の月が「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って斎き祀れ」と答えた。この神勅により大斎原に社殿が創建されたという。第一殿・第二殿の結宮の右手に第三殿の證誠殿(証誠殿)、さらに右手に第四殿の若宮が並んでいる。

真ん中の證誠殿には、熊野本宮大社主祭神、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、家津御子大神=素戔嗚尊)が祀られている。熊野坐大神とも熊野加武呂乃命とも呼ばれる。造船術を伝えたことから船玉大明神とも称し、古くから船頭・水主たちから崇敬されている。参拝順序は、證誠殿(第三殿)、結宮(第二殿、第一殿)、若宮(第四殿)の順とされる。證誠殿は文化7年(1810)の建立で妻入り、正面は切妻造庇付き、背面は入母屋造の特異な形式とする。桁行(側面)2間、梁間は正面が1間、背面は中央に柱が立ち2間とする。
一番右の若宮には、天照大神が祀られている。若宮は享和2年(1802)の建立で、構造は證誠殿と同規模同形式である。第一殿から第四殿までの社殿は明治22年の洪水では流出を免れて現社地に移築され、国の重文に指定されている。

境内の一角には苔むした五輪塔の「和泉式部祈願塔」がある。案内板には以下の通り。(平安朝の宮廷歌人和泉式部が)熊野へ詣でたりけるに女身のさわりありて、奉幣かなはざりければ「晴れやらぬ身に浮雲のたなびきて 月の障りとなるぞかなしき」その夜、熊野権現霊夢ありて「もろともに塵にまじはる神ならば 月の障りも何かくるしき」かくて、身を祓い清めて、多年あこがれの熊野詣でを無事すませしと云う。

境内には後白河上皇の歌碑がある。『源平盛衰記』によると熊野本宮を34回訪れている。
「咲きにほふ花のけしきを見るからに 神のこころぞそらにしらるる」

こちらの小さな社は、八百万の神を祀る満山社である。明治22年の大洪水で流されたが、2年後に大斎原に社殿が現在の高台に移築された際、満山社だけが建立されなかった。それが平成20年にようやく再建された。

神門に向かって左手前の境内に拝殿が建っている。神門の中に拝殿があるのが普通だが、参拝する順路に拝殿が外されているのは珍しい。拝殿の両側には「挑」と「成」の大筆書きの一文字が掲げられていた。九鬼家隆宮司が毎年書き上げる新年の大筆書きは、今年は「気」のはずで、「成」は昨年、「挑」は一昨年の一文字である。順次、取り替えながら掲げているのだと思われる。

拝殿の右手前には亀石がある。どんないわれがあるのか書かれていないが、一説には亀石に触れると長寿になるという。蓋のついた甕の形をしているので、亀石というよりは甕石だったのではないかと思う。

拝殿の左手前には大黒石がある。これも一説には触ると金運に御利益があるという。

3月中旬なので、ピンク色が鮮やかなアケボノアセビ(Pieris japonica f.rosea)が満開に咲いていた。本州以南の山地に自生する常緑低木のアセビの紅色品種で、色が濃いものはベニバナアセビという。アセビは有毒植物で馬が葉を食べれば「酔う」がごとくに毒にあたるため「馬酔木」と書く。別名あしび、あせぼとも呼ぶ。

神門の手前右側に宝物殿がひっそりと建っている。熊野本宮大社は千数百年の歴史を誇るものの、室町時代の文明年間、戦国時代の永禄年間の大火災、明治22年の大洪水と大災害に見舞われて多くの宝物を失った。神殿に祭神として祀られている木造家津御子大神坐像、木造速玉大神坐像、木造夫須美大神坐像、附木造天照大神坐像の4対の神像(10世紀末作、国重文)を除く宝物の多くが収蔵されている。三角縁神獣鏡など奉納鏡16面、平清盛奉納紺紙泥経、源頼朝奉納鉄湯釜(建久8年、国重文)、南北朝時代の絹本著色熊野本宮八葉曼荼羅などがある。

宝物館の入り口に白いミヤマシキミ(Skimmia japonica)の花が咲いていた。本州の関東以西、四国、九州の林下に生える常緑低木で、高さは1m前後になる。光沢のある葉は枝先に集まって互生し、枝先の円錐花序に白い小花を密につける。

熊野三山への参詣道を熊野古道というが、中辺路・小辺路小雲取越えなどが本宮大社に集まる。その熊野古道の一部が現在の本宮大社の境内を突き抜けている。本宮大社参道の西側に並行して、磨り減った石段の古道がかなり急坂で続いているので、帰りがけに少しだけ歩いてみることができる。「祈りの道」と名付けられている。

本宮大社参道入り口の南500mほどの旧社地に、大斎原の大鳥居が建っているのが見える。大洪水の跡地には、流失して再建されていない中四社・下四社を祀る石造の小祠が建てられている。高さ約34m、幅約42mの大鳥居は、平成12年(2000)に建てられた鉄筋コンクリート造で、日本一の高さを誇る。