2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧
鴨川市役所の向いに郷土資料館がある。鴨川市は、安房鴨川駅を中心に東の誕生寺・清澄寺から西の大山寺まで神社仏閣が非常に多く、波の伊八の作品も各所にたくさんあって興味深い。 この郷土資料館は、民俗資料も多く展示されているが、鴨川出身の宮彫師「波…
本堂の左に続く、妻入の庫裡の玄関も風情がある。 本堂の右には、日蓮に縁のある清政公を祀る清政公堂が建っている。間口三間の入母屋造瓦葺で、妻入りに建てられている。加藤清正は熱心な日蓮宗の信徒であり、日蓮宗の寺を数多く創設している。 清政公堂の…
安房鴨川駅の北1kmほどの所に、日蓮の小松原法難で名高い鏡忍寺がある。文永元年(1264)11月、日蓮は、信者であった天津城主工藤吉隆のもとへ説法にでかけた帰り、他宗批判を繰り返す日蓮に反感を持つ、浄土宗信者であった地頭の東条景信に襲われ負傷した…
また境内中央に戻ると北の高台に祖師堂や大堂、鐘楼が建ちならび、そこへ上る石段の手前に観音堂がある。十一面観音を祀り、安房国札観音霊場の第十七番札所になっている。建物は明治13年に再興されたものである。 石段の上の右手にある鐘楼堂は、平成7年の…
外房線安房天津駅から北上すると、清澄山の標高310m付近に日蓮宗の清澄寺(せいちょうじ)がある。寺伝によると、宝亀2年(771)不思議法師が当地を訪れ、虚空蔵菩薩を祀る一寺を建立し山岳信仰の霊場になったという。山頂近くに古い柏の木があり怪しく千光…
元禄地震(1703)の際に、小湊海岸は陥没して当時の誕生寺前庭は海中に没し、現在の鯛の浦が現出したという。誕生寺は鯛の浦と縁のある寺院だけあって、祖師堂の屋根の鯛、鯛の絵柄がついた絵馬、鯛の供養をする鯛塚など鯛に因んだものが多く見受けられる。 …
境内左手の一角に日蓮聖人の幼像が建っている。善日麿12歳の稚児姿である。昭和10年京都の仏師瑞岑の作という。この幼少像も戦時供出されたが運良く溶かされずに、両国駅構内で発見されて、誕生寺に無事帰還したという。 幼少像の先には浄行菩薩が祀られてい…
鴨川市の東はずれ小湊に、日蓮宗の大本山、小湊山誕生寺がある。建治2年(1276)日蓮(1222-82)の弟子の日家が日蓮の生家跡に、まだ存命中の日蓮聖人を開山に迎えて、高光山日蓮誕生寺として建立した。その後、二度の大地震、大津波に遭い、現在地に移転さ…
勝浦駅の南東、市立図書館の隣に、浄土宗の覚翁寺がある。代々徳川家の幕臣であった植村家の菩提寺である。山門は昭和55年に修復されている。 初代植村泰忠は出家し、還俗後より3000石を受け、勝浦城を建てた。今でも続いている日本三大朝市の一つである、勝…
飯縄寺は、正式には天台宗明王山無動院飯縄寺(はんじょうじ)という。地元では「いづなさん」と呼ばれ、パンフでは「いづなでら」と記されている。寺の縁起によると、大同3年(808)慈覚大師により開山、元は満蔵寺と号したが、戦国の世に飯縄大権現を祀り…
外房の最も東に突き出た太東崎の近くに飯縄寺がある。一年前に大改修されたばかりの仁王門は、正徳4年(1714)に建てられたもので、室町期様式の茅葺屋根が美しい。 仁王門脇間の金剛柵と花頭窓の上には、サーファーから「波乗り天狗」と呼ばれている珍しい…
延暦年間(782-806)に最澄がこの地を訪れ草庵を結んで十一面観世音菩薩を安置し、大同2年(807)慈覚大師円仁がこの地を訪れ千手観世音菩薩を刻んで安置し、その後、坂上田村麻呂が堂宇を建立したと伝えられている。 8間四面、昭和49年に銅板葺に葺き替え…
外房線長者町駅から西4kmほどのいすみ市岬町に、坂東三十三観音霊場第32番札所の清水寺がある。 仁王門は、老朽化のため平成5年に再建立された。銅板葺きである。 堂々たる四天門は、文化14年(1817)に再建され、昭和54年に銅板葺きに改修された。重層入…
大多喜駅の北西2kmほどの水田の脇に六所神社がある。目の前に目立つ仁王門が建っているが、その左に進むと六所神社の鳥居がひそかに建っている。薄暗い石段の奥にかすかに社殿が見える。 昼猶暗き参道を上り詰めると、境内の奥に拝殿が見える。六所神社の草…
徳川四天王の一人・本多忠勝が大多喜藩初代藩主として造り上げた城下町の面影が、大多喜町には今でも色濃く残っている。町中には国の重文を含む歴史的な建物が数多く保存されている。 明治7年に建てられたこの庄屋造りの建物は、国の登録有形文化財に指定さ…
大多喜駅の南西、夷隅川中流の屈曲部に張り出した丘陵上に、大多喜城本丸跡がある。中世の大多喜は資料上、小田喜(おたき)とあるので、当時は小田喜城と呼ばれていたと考えられている。 駐車場から城跡へ上っていく途中に、大多喜水道の水路跡がある。城下…
本堂の前の左手には、大きな三つ穴灯籠があるが、水盤の近くにも小さな灯籠がある。そちらは亮雲大僧正の石灯籠という。行元寺は多くの学僧を輩出したが、なかでも天海大僧正の弟子である亮雲大僧正(厳海)は、家康や大多喜城主本多忠朝との信頼厚く、上野…
今回の史跡巡りは、房総東部の社寺を巡って、江戸時代に「波の伊八」と呼ばれた彫物大工、初代伊八の作品を観てまわることを主な目的としている。まず最初に「波の伊八」の代表作と、幻の名工「高松又八」の遺作が残っている、いすみ市の行元寺にわくわくし…
社殿の左、西側にマキの大樹に囲まれて芭蕉の句碑がある。 たかき屋にの御製の有難を今も猶 叡慮にて賑ふたみや庭かまど はせを の芭蕉の句に、 名にしおはゞ名取草より社宮哉 金波 を発句とする表十句が刻んである。この碑は上総千町村(現茂原市千町)の俳…
上総一ノ宮駅のすぐ西に玉前(たまさき)神社がある。延喜式内名神大社として、また上総国一之宮として古来より地域の信仰を集めてきた。朱色の一の鳥居はとても鮮やかである。真東の九十九里浜に向いていて、春分・秋分の日にはその真東から太陽が昇る。そ…
笠森観音は、正式名称を天台宗別格大本山大悲山笠森寺と称し、延暦3年(784)伝教大師最澄上人が楠の霊木で十一面観世音菩薩を刻み山上に安置し、開基されたと伝えられている。 観音堂は、長元元年(1028)後一条天皇の勅願により建立され、その建築様式は6…
3月中旬に、房総半島東部を視察巡りするため一泊で出かけた。最初は茂原市の西南にある長生郡長南町の笠森観音を訪れた。緑深い周辺の山々は「県立笠森鶴舞自然公園」に指定されており、特に中心の観音山は、国の天然記念物に指定されて保護されている。 駐…
先日、近所であまり見慣れない花を見かけた。フリティラリア・インペリアリス(Fritillaria imperialis)というバイモ属の花で、和名はヨウラクユリ、あるいは王冠ユリ、英名は Crown imperial(皇帝の冠)という。トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタ…
例年なら今頃、アカガエルの澄んだ鳴き声が微かに聞こえてくるのだが、3年前の春を最後に聞いていない。カエル池を造り直して、昨秋ニホンアカガエル2匹を放したが、まだ1年目の小さなカエルなので、鳴くことができないだろう。そろそろ冬眠から覚めて姿…
ブリをごま油で焼いて、香味野菜たっぷりのタレをかけるレシピを見つけた(4人分)。 ① ブリ4切れをそれぞれ半分に切り、フライパンにごま油大1.5を熱し、ブリをこんがりと焼く。 ② 両面いい色に焼けたら、取り出して皿に盛りつける。 ③ 同じフライパンに…
野菜も肉もたっぷり入ったプルコギに挑戦した(4人前)。 ① タマネギ2個を繊維に沿って縦に細切りする。ピーマン3個、シイタケ3個、ニンジン小1本も細切りする。もやし1/2袋も洗っておく。 ② 大き目のボールに、おろしニンニク2片分、醤油大4.5、酒…
スズキのポアレを作ろうとしたが、売り切れだったのでメダイで代用し、シイタケもエノキダケで代用した(3人分)。 ① 長ネギ3cmを6個、タマネギ1/2とエノキダケ1/2束、ニンニク1片をみじん切りにしておく。ジャガイモ2個を半分に切り、ラップに包みレン…
最後に潮来市役所近くの二十三夜尊堂を訪ねた。 この堂宇は、茨城県の学校の始祖として偉容を誇った、旧延方郷校の聖堂で、文化4年(1807)に水戸藩主徳川斉昭が延方内田山に自ら篆書した「至聖先師孔子神位」の木牌を祀った建物だったが、明治5年(1872)…
前日訪れた潮来市の長勝寺より北の高台に上っていくと、真言宗の瑠璃光山観音寺がある。 大同2年(807)に、筑波山別当であった法相宗の徳一大師により開創された。当初は現在地の西方、尾ノ詰に建立されたが、数度の大火により移転を余儀なくされ、観応2…
香取市佐原に戻って昼食を済ませた後、利根川を渡って茨城県の潮来市に入り、さらに行方市にある麻生藩家老屋敷記念館を訪ねた。霞ヶ浦南端に近い北岸に、江戸時代、麻生藩陣屋があり、周囲に藩士の屋敷が並んでいた。藩の家老職を勤めた畑家の屋敷が記念館…