半坪ビオトープの日記

清澄寺、大堂


また境内中央に戻ると北の高台に祖師堂や大堂、鐘楼が建ちならび、そこへ上る石段の手前に観音堂がある。十一面観音を祀り、安房国札観音霊場の第十七番札所になっている。建物は明治13年に再興されたものである。

石段の上の右手にある鐘楼堂は、平成7年の完成で比較的新しい。

高台の境内左手にある祖師堂は、宗祖生誕750年記念で昭和48年に建立された。

堂内に安置されている日蓮聖人像は、徳川家康の側室であったお万の方の奉納と伝えられている。

高台の境内正面には、本堂ともいえる大堂が建っている。天和2年(1682)の完成で、摩尼殿とも称する。

江戸時代には、徳川幕府より十万石の格式を賜り、京都醍醐三宝院の関東別院となり、寺紋は菊と五七の桐になった。堂内中央宮殿には、曼荼羅本尊が勧請され、その前に天瑞和尚作の能満虚空蔵菩薩像を安置しているという。

大堂より右手に進むと、宝物館入口と庫裡へ通じる中門がある。正保4年(1647)の建立で、天保8年(1837)に改修されている。1門1戸の四脚門で、屋根は茅葺の切妻造、彫刻などの装飾が少なく簡素な造りである。

中門をくぐると右手に梵鐘がある。総高123.2cmで、明徳3年(1392)の紀年銘があり、作者名道禅、寄進者武州塚田(現寄居町)源朝臣清貞卿の名が刻まれていて、千葉県の有形文化財に指定されている。

左手には宝篋印塔がある。高さ1.57m、房州産の嶺岡石で造られ、大日如来像や各如来の種字が刻まれている。応永14年(1407)の紀年銘があり、千葉県の有形文化財に指定されている。

宝物館の左脇に大クスが立っている。樹高15m、幹廻りは7.7mあり、大杉とともに神木になっている。

宝物館はしまっていて、その右の庫裡は工事中であった。正保4年(1647)建立の庫裡には、十万石の格式の大玄関と土間がある。江戸時代、罪人特赦の地であり、土間に罪人が入ると無罪となることから「駆け込みの土間」といわれていた。ただし、一生この寺で働くことが義務づけられていたという。