半坪ビオトープの日記

鏡忍寺、祖師堂


本堂の左に続く、妻入の庫裡の玄関も風情がある。

本堂の右には、日蓮に縁のある清政公を祀る清政公堂が建っている。間口三間の入母屋造瓦葺で、妻入りに建てられている。加藤清正は熱心な日蓮宗の信徒であり、日蓮宗の寺を数多く創設している。

清政公堂の右には、鬼子母神堂が建っている。間口三間の入母屋造だが、平入りに建てられている。日蓮法華曼荼羅鬼子母神の号を連ね、法華信奉者の守護神としている。東京の入谷鬼子母神(真源寺:法華宗)や雑司ヶ谷鬼子母神(法明寺鬼子母神堂:日蓮宗)などと同様である。

鬼子母神堂の向拝にある火炎に龍の彫刻は、五代伊八武志伊八郎信月の作である。

祖師堂の手前には、小さな法難堂が建っている。小松原法難のとき鏡忍坊を埋めて松の木を植えた場所で、明治35年に台風で倒れた松の木で刻んだ日蓮像を祀って堂を建てた。その後改築されている。

近年建て替えられた祖師堂は、日蓮聖人を祀る堂宇で、本堂とは別に建てられる場合が多い。旧祖師堂は、明和2年(1765)に建立された。棟に反りを持たせた入母屋造に大きな千鳥破風を付け、向拝は唐破風と堂々としている。

祖師堂の入口に掲げられた「刀杖難趾」との額の裏に梁と梁の間を支える蟇股が22面巡っているのだが、この龍・犀・麒麟・牡丹などの蟇股が、明和7年(1770)頃、初代波の伊八武志伊八郎信由の作で、19歳頃の最も初期の作品であることが改築の際に判明したという。

祖師堂の堂内欄間にある七福神は、初代伊八武志伊八郎信由の作である。
中央欄間の右には琵琶を奏でる弁財天、その左で踊る恵比寿、さらに左に寿老人がいる。右の欄間には、布袋と福禄寿がいるのだが残念ながらよく見えない。

左の欄間には、大黒天と毘沙門天がいるのだが見分けにくい。
鏡忍寺は波の伊八として名高い武志家の菩提寺で、祖師堂裏の墓地には、初代伊八信由から五代伊八信光までの墓があるという。