半坪ビオトープの日記

鯛の浦


元禄地震(1703)の際に、小湊海岸は陥没して当時の誕生寺前庭は海中に没し、現在の鯛の浦が現出したという。誕生寺は鯛の浦と縁のある寺院だけあって、祖師堂の屋根の鯛、鯛の絵柄がついた絵馬、鯛の供養をする鯛塚など鯛に因んだものが多く見受けられる。

小湊海岸は、明応地震や元禄地震津波によって激しく変化したため、日蓮宗門の僧が妙法蓮華経の五字を使い、「妙の浦」「法が台」「蓮華が淵」「経巻掘」と各地名を名付けたといわれ、ここも地名としては妙の浦と呼ぶ。
鯛の浦の名は、日蓮が誕生した際、小湊には鯛が飛び跳ね、蓮の花が咲き乱れたという言い伝えから、地元民はこの海域を「鯛の浦」と名付けて漁を禁じたことに由来するとされる。

鯛の浦は、真鯛が群泳することで古来より名物とされ、手漕ぎの和船で鯛見物をさせていた。真鯛は本来、比較的深い層を回遊する魚であるが、このように水深の浅い海域に根付きになることはないので、国の特別天然記念物に指定されている。今では鯛の浦遊覧船が運行され、入道が崎手前の大弁天島辺りまで巡ってくる。大弁天島には赤い鳥居が見える。

弁天島の右手の岩礁にはウミウがたくさん羽を休めている。

鯛の浦海岸と祓山を結ぶ遊歩道の崎に昭和天皇行幸記念碑が建っている。小弁天島の前には五色砂の砂浜、蓮華が淵が現れ、引き潮時には大弁天、小弁天に渡ることもできるという。

大弁天沖でUターンして内浦湾に戻り始めると、安房鴨川に続くいくつかの岬が見える。

ようやく真鯛の群れる様子を見るために船が止まると、えさをもらいに真鯛が海面に現れる。伝承では、日蓮が両親の供養に小舟で訪れた際、海に題目を唱えると、海面に題目の文字が現れ、次いで現れた鯛の群れが題目を食べ尽くしたという。

ここの鯛は日蓮の化身とされて、地元ではここの鯛を食せず、漁網にかかっても生きていれば放し、死んでいたら冷凍庫で保存し一定数になると誕生寺境内の鯛塚に埋葬するという。