半坪ビオトープの日記

静岡

松原公園

土肥金山から近い海岸沿いの松原公園に入る。松林の中に地元彫刻家による野外彫塑群や幾つかの歌碑があり、遊歩道が巡っている。 松原公園には大きな花時計が設けられている。直径31m、長針の長さ12.5m、短針の長さ8.8mというギネスブックにも認定されて…

土肥金山

土肥金山は、建徳・文中・天授(1370年代)の時代、足利幕府直轄の金山奉行が土肥を支配し、盛んに金を掘ったのが始まりと伝えられる。天正5年(1577)土肥の大横谷、日向洞、横山、柿山、鍛冶山の五箇所を開発、この頃より土肥の金山が本格的に採掘される…

土肥温泉、龕附天正金鉱

2月中旬にいつもの遊び仲間と伊豆半島の土肥温泉に出かけた。土肥温泉は土肥金山があったことで知られるが、その金山開発中の慶長16年(1611)に、安楽寺境内の坑口から温泉が湧出したのが始まりであり、この源泉は発見者の間部彦平に因んでまぶ湯と名付け…

この週末に友と連れ立って熱海のMOA美術館に行った。熱海駅前からバスに乗って急坂を上り詰めた処にある美術館には、尾形光琳の「紅白梅図屏風」や野々村仁清の「色絵藤花文茶壺」、手鑑「翰墨城」の国宝3点、重要文化財65点を含む日本美術の名品たる絵画…

時間があったので日帰り温泉を探し、蓮台寺に向かう。下田駅前には黒船サスケハナ号の模型があり、観光客を出迎えている。 こちらが下田港で見かけた観光船のサスケハナ号である。 蓮台寺には和風の老舗旅館や古い造りの家並みが多く残っている。蓮台寺駅の…

下田港に注ぐ稲生沢川河口にはたくさんの金目船が停泊している。金目鯛の水揚げが日本一の下田市内には金目鯛料理専門店も多い。 この「網元きんめせん曻龍」は、店名の通り、以前は金目船を所有していた網元だったが、今では専門店を切り盛りしている。 ガ…

弁天島から下田港の西岸に位置する下田公園が見える。今は城跡となった下田城は、鵜島城とも呼ばれ戦国時代には北条氏の出城であった。天正16年(1588)北条氏直は豊臣軍の侵攻に備え、清水康秀を城主として守備を命じた。天正18年、豊臣軍は一万の軍勢…

下田の海に突き出た弁天島は、鷺島とも呼ばれる。今は陸続きになっているが、昔は小島だったという。 この岩山の入口には、松陰遺墨七生説の碑と金子重輔の顕彰碑がある。松陰は生前、自分の碑よりも重輔の碑を建てたい、との話をしていたとのことで、重輔の…

本堂の右にはハリス記念館があり、ハリスが領事館当時愛用の遺品や、柿崎村名主浜田与平治の日記、吉田松陰の遺品、通訳官ヒュースケンに仕えたおふくの遺品、ロシア・ディアナ号将校モジャイスキー撮影の日本最古の銀盤写真など幕末開国時代の資料がたくさ…

三島神社の先を左に入ると、曹洞宗瑞龍山玉泉寺がある。 以前は真言宗の草庵だったのを、天正の初め(1580年代)開山一嶺俊栄和尚により曹洞宗に改宗された古刹である。 嘉永元年(1848)翠岩眉毛和尚の代に本堂が落成している。本尊は釈迦如来である。この…

白浜神社から下田へ帰る途中、柿崎の交差点を南東に折れて進むと左に三島神社がある。バス停は柿崎神社前となっている。 宝暦3年(1753)再建で、祭神は大国主命ということだが、創祀年代や由緒については今ひとつはっきりしない。三島市の三嶋大社とどんな…

白浜神社の裏には白浜海岸があり、伊豆半島最大の白浜大浜海水浴場が右手(南)に続いていて、冬でもサーファーが集まっている。 砂浜の左手は岩場となっていてクロマツが海風に耐えて突っ立っている。大きな大明神磐(岩)の上には鳥居が立ち、岬の先端との…

境内の左手奥に本殿へ通じる参道がある。拝殿の後方、丘の上に本殿があり、拝殿から一直線に上る神官用の階段もあるが、参拝客は鳥居をくぐって左の参道を上る。 参道の途中に青桐の自生地がある。アオギリの自生群落の北限に当たり、国の天然記念物に指定さ…

10年ほど前に歌手の西城秀樹が神前結婚式を挙げたという白浜神社には、年二回行われると思われる茅の輪が設えられていた。 白浜神社の拝殿は、万延元年(1860)造営の正面6間、側面5間の瓦葺総欅造入母屋造で向拝が付く。堅い欅を多く使っているが、神社が…

下田駅から北東4kmにある白浜海岸は、長い砂浜が広がり、夏には多くの海水浴客でにぎわう。その海岸を二つに分ける杜に、式内大社の伊古奈比咩命神社がある。伊豆国最古の宮で、鎮座地に因み白浜神社と通称される。朱色の神橋と一の鳥居が鮮やかである。 三…

天馬駒神社の神木の所から、湯の華小路の東の奥にある曹洞宗の広台寺を眺めることができる。 広台寺の創立年代は不明だが、言い伝えによると創建当時は桂昌庵と称す小庵で、蓮台寺の郊外、那岐里山にあったそうだ。 慶長17年(1612)当寺開山格雄宗逸和尚…

湯の華小路を東に広台寺に向かって進むと天馬駒神社入口の標識がある。階段を上がった左手の高台に天馬駒(てんぱく)神社が鎮座している。 この辺りでは最古の神社で、およそ2000年前、神津島から遷座され、この地に祀られたといわれている。 この天馬駒(…

湯の華小路を抜け出た118号線沿いの公会堂の脇に天神神社がある。117段の長い急な階段を気合いを入れて上っていく。 旧下田村名主、加畑屋が江戸期以前に寄進したといわれる階段を、赤い手すりを伝って上り詰めると鳥居がある。 鳥居の右脇に磐を抱くように…

下田駅の一つ手前に蓮台寺駅があり、稲生沢川と蓮台寺川に沿った閑静な山間に蓮台寺温泉がある。蓮台寺とは750年頃、行基によって創建された寺で、真言密教の修験道場や宿坊として、1220年頃までこの地にあったと伝えられているが、場所は特定できず地名…

海善寺のさらに駅寄りに稲田寺(とうでんじ)があるが、通りからかなり奥まったところにある。 浄土宗の敷根山稲田寺は文正元年(1466)法蓮社本誉により創立された。 幕末開港時には、ロシア使節プチャーチンとの交渉に当たった応接掛川路聖(としあきら)…

八幡神社の駅寄りに八幡山宝福寺がある。永禄2年(1559)信長の圧迫を逃れ、本願寺第十一代顕如並びに法孫釈了善が真言宗から浄土真宗に改め開基となる。 嘉永7年(安政元年 1854)に締結された日米和親条約により下田開港となり、ここ宝福寺は仮奉行所と…

さて、また年末に出かけた下田の町に戻って続けよう。大安寺の北、市民文化会館の横に八幡神社がある。 参道入口には神橋が架かり、その左には「迎神の松」が見事な枝振りを見せている。 正応年間(1288~93)の創建といわれ、下田奉行も着任寺に最初に参詣し…

ペリーロードを戻り、町の西に位置する大安寺に向かう。途中、了仙寺の向かいあたりに「欠乏所跡」という石碑があった。 安政元年に締結された日米和親条約により、開港場となった下田では、薪・水・食料・石炭など欠乏品を入港してくる外国船に供給すること…

了仙寺の入口脇に小さな御獅子神社がある。将軍家光の時代に伊勢よりこの地に移り住んだ伊勢屋五兵衛が、許可を得て伊勢神宮の神楽製作の残木で獅子2体を作らせて下田に持ち帰り、弥治川町に祠を建てて町内の守護神として安置したのが由来という。 了仙寺か…

鍋田口からトンネルをくぐり市内に向かって数分戻ると、下田開国博物館がある。昔ながらのなまこ壁が何やら仰々しい。入館料が高い(1000)のも気になるがとりあえず入ってみると、下田太鼓祭りを再現した人形達のコーナーでも撮影禁止となっていた。 それで…

年末に南伊豆フリー乗車券を使って、下田を旅した。 まずは昼食だが、「何を食べても美味しい下田の隠れ家ビストロ」と口コミで評判の、ビストロド・マーニに向かった。 下田から歩くと1.4kmの町外れにあるので、鍋田口までバスに乗って下車後2分だ。 ち…

さらに左に進んでいくと、木々に囲まれて大歳御祖(おおとしみおや)神社がある。浅間神社と神部神社が東面する同一社殿に祀られているのに対し、こちらは南面する独立の社殿に祀られている。この三社を総称して静岡浅間神社という。 延喜式内社で、「総国風…

本社の左側に境内社の八千戈(やちほこ)神社が鎮座している。造営は本社に次いで行われ、本殿中・両社本殿に次ぐ大きさである。入母屋造銅瓦葺で、朱塗極彩色を施す。 主祭神として、八千戈命(神部神社大己貴命=大国主の命)を祀る。相殿神として、明治6…

舞殿の後ろにある大拝殿(国の重文)は、浅間神社・神部神社2社同殿の二階拝殿で、文化2年起工、同11年(1814)竣工の楼閣造りで、いわゆる浅間造の代表的なものである。高さは25mあり、殿内は132畳敷きの広さがある。天井は十間の合天井となり、その各…

賤機山丘陵の南端にある駿河国総社の静岡浅間(せんげん)神社は、「おせんげんさん」の愛称で市民に親しまれている。正式には神部神社・浅間(あさま)神社・大歳御祖(おおとしみおや)神社の3本社と4つの境内社を総称した呼び方である。 この石鳥居は、…