半坪ビオトープの日記


白浜神社から下田へ帰る途中、柿崎の交差点を南東に折れて進むと左に三島神社がある。バス停は柿崎神社前となっている。

宝暦3年(1753)再建で、祭神は大国主命ということだが、創祀年代や由緒については今ひとつはっきりしない。三島市三嶋大社とどんな関係があるのかもわからない。
古来から産土神といい、住吉を配祀しているそうだ。拝殿にかけられている幕には三つ巴の紋が染め抜かれている。

拝殿の左には厄神社があり、その右には三つの小さな祠がある。一番左の赤鳥居があるものは、お稲荷様だろうか。

境内の左手には公民館があり、その手前に鈴木仙蔵翁の碑が立っている。安政元年生まれの翁は、柿崎農業補修学校を設立するなど村の発展に尽力したという。

三島神社の左手の崖には、地層が水流により斜めに削られたものが繰り返し堆積してできた偽層理が見られ、県の天然記念物に指定されている。

その右には吉田松陰の像が立っている。安政元年(1854)ここ柿崎より下田湾内の米艦に塔乗して渡航を計るも断られた松陰は、柿崎村の名主平右衛門方に自首した。渡航前に隠れたのは神社の向かいの海辺にある弁天島である。この像は、昭和17年加茂郡教育会が建設したものであり、保田龍門の作である。