半坪ビオトープの日記


三島神社の先を左に入ると、曹洞宗瑞龍山玉泉寺がある。

以前は真言宗の草庵だったのを、天正の初め(1580年代)開山一嶺俊栄和尚により曹洞宗に改宗された古刹である。

嘉永元年(1848)翠岩眉毛和尚の代に本堂が落成している。本尊は釈迦如来である。この本堂に、ハリスと秘書官ヒュースケンの使用した部屋がある。

嘉永7年日米和親条約の締結により下田が開港され、下田条約が結ばれると玉泉寺は米人の休息所、埋葬所に指定された。
安政3年(1856)タウンゼント・ハリス総領事は通訳官ヒュースケンを伴い、米艦サンジャシント号で下田に着任した。
ハリスは、玉泉寺を日本最初の総領事館として開設した。以来2年10ヶ月、ここ玉泉寺が幕末開国の歴史の舞台となる。それ以前に日露和親条約の交渉の場となり、ロシア・ディアナ号高官の滞在やドイツ商人ルドルフの半年に及ぶ滞在等、貴重な寺歴がある。
総領事館開設時に庭前に星条旗が掲げられたのを記念して、昭和2年(1927)にハリス記念碑が建てられた。

昭和54年(1979)には、アメリカのカーター大統領が家族を連れて来訪し、ハリス記念碑や本堂を見学し、ペリー艦隊将兵墓地のお参りもした。

本堂に向かって右に牛乳発祥の碑がある。安政5年(1858)総領事ハリスは政務多忙のため病床にあった。侍女お吉はハリスが牛乳を欲するのを知り禁を犯して下田近在から和牛の乳を集め、ハリスに毎日与えたという。そのときハリスが15日間に飲んだ九合八勺の牛乳の代価は、一両三分八十八文で米三俵分に相当したという。これが日本における牛乳売買の初めとされ、ここを牛乳発祥の地という。
森永乳業は大正8年(1919)に下田に東洋練乳という会社を設立し、後に森永乳業となった。この碑は1962年、当時の森永乳業の大野社長が建てたものである。