壱岐
ステゴドン象の復元模型 豪ノ浦町にある壱岐文化ホールの中庭に、ステゴドン象の復元模型が展示されている。このステゴドンは鮮新世後期から更新世にかけて(約100万年〜500万年前)アジアに広く分布していて、大陸から渡ってきて小型化している。1971年に勝…
創作会席料理の先付 壱岐島での最後の晩餐は、湯の本温泉発祥の地といわれる平山旅館の創作会席料理。先付は、チーズ豆腐、新もずく、活赤雲丹。どれも美味しい。 お造り盛り合わせ お造り盛り合わせには、メインのキジハタに、鯛、鰹のたたき、栄螺の刺身と…
白沙八幡神社の巨大な鳥居 壱岐空港および壱岐随一のビーチ筒城浜の近くに、白沙八幡神社がある。巨大な鳥居の扁額の上部には、八幡神の使いである鳩が鎮座している。ブラジルに移住した人々によって奉献されたという。 二の鳥居 道路の海側には目新しい巨大…
壱岐神社の大鳥居 壱岐の東の玄関口、芦辺港を囲む湾の入口にある少弐公園の手前に壱岐神社が建っている。少弐公園には、元寇の遺跡や当時の壱岐守護代少弐資時の墓や狼煙台などがある。 壱岐神社の拝殿 壱岐神社の祭神として、弘安の役にて19歳で戦死した少…
男嶽神社 女嶽神社の先、壱岐島の鬼門・男岳山(168m)の山頂付近に男嶽(おんだけ)神社がある。明治時代まで山全体が神体とされ、一般人の入山が禁止されていた霊山という。 男嶽神社の鳥居 鳥居の脇には展望台があり、壱岐の島の様子を見渡すことができ…
箱崎八幡神社 次に向かったのは、壱岐の北東部、芦辺町の箱崎にある箱崎八幡神社。道路に面してがっしりした一の鳥居が建つ。 二の鳥居 40段ほど石段を上ると少し広くなって、二の鳥居の先にまた石段が続く。苔も草も多い。 三の鳥居と社殿 石段を上り詰めた…
「夫婦楠」 住吉神社の二の鳥居 壱岐風土記の丘のすぐ南、壱岐島のほぼ中央に住吉神社がある。平戸藩主により寄進された、苔むした大きな二の鳥居の奥、参道の先に一段高くなったところに社殿が見える。 竹生島神社と稲荷神社 境内に入りすぐ左にある神池の…
猿岩 翌朝も快晴。湯本湾を囲む黒崎半島の先端に、壱岐のシンボルともいうべき「猿岩」がある。壱岐島が誕生する謂れとして、「壱岐は生きた島なので流されないようにと八本の柱を立てて繋いだが、その柱は折れのこり、今も岩となって残っている」という言い…
元寇「新城の千人塚」 新城神社のすぐ東に元寇「新城の千人塚」がある。千人塚は、「少弐の千人塚」(弘安の役・瀬戸浦古戦場)、「浦海海岸の千人塚」(文永の役の戦死者を葬った場所)など、壱岐島内に6ヶ所確認されているが、この文永の役新城古戦場の千…
諏訪大社の御柱 辰ノ島周遊のあと勝本浦に戻って史跡散歩を続ける。曽良の墓があると聞いて、城山公園に向かった。蕉門十哲の一人である河合曽良の終焉の地である勝本町は、曽良翁の生誕地である長野県諏訪市と平成6年(1994)友好都市の提携を行った。その…
辰ノ島上陸 いよいよ辰ノ島に上陸する。渡し船の発着所から波打ち際に遊歩道が整備されている。低潮線保全区域に指定されている石波止という浅瀬の入江全体がネットで囲まれて辰ノ島海水浴場となっている。 キキョウ エメラルドブルーの海の色を味わいながら…
辰ノ島クルーズ出航、串山半島 いよいよ、壱岐の最北端に浮かぶ小さな無人島、辰ノ島クルーズに出かける。遊覧船に乗って勝本港を出てまず北に向かう。右手には深緑の串山半島と名鳥島が重なって見え、正面の若宮島との間の仲瀬戸が開けて玄界灘が垣間見える…
天手長男神社 郷ノ浦の中心部より北、国道382号線の東、鉢形山の麓に天手長男(あめのたながお)神社の鳥居があり、階段を上るとまた鳥居があって境内に建つ社殿が見える。『延喜式神名帳』に載る式内名神大社で、壱岐国一宮の天手長男神社に比定されている…
国津意加美神社 壱岐島の西南に位置する郷ノ浦は、壱岐の表玄関として多くの観光客が訪れる島の中心地である。その中心にある壱岐市役所すぐ近くの道路に面して、国津意加美(くにつおがみ)神社がある。石段の上に鎮座する一対の狛犬は壱岐の明光として知ら…
岳ノ辻展望台 壱岐島の南部に、島内最高峰の岳ノ辻がある。山頂付近に設けられた展望台からは、玄界灘に囲まれた島全体がぐるりと見渡せる。西の展望台からは、右手に郷ノ浦港が見下ろせる。港の北側の元居浦(白いアーチ型の橋のすぐ向こう)には、安政6年…
鏡岳神社、遥拝所 志々岐神社の後、壱岐島南端にある鏡岳神社を目指して、全く人気のない道路を小一時間ほど進んだ。小さな初瀬漁港の東にある豊かな緑に覆われた小山が鏡岳。標高50mほど、316段の石段で知られる神社で一の鳥居の脇には新しい遥拝所が設け…
原の辻・石田地区 原の辻・石田地区マップをみると、壱岐南東部の石田地区には、壱岐空港やフェリー発着の印通寺港、海水浴場など現在も賑やかな観光地となっているのがわかる。松永安左エ門記念館も後で立ち寄ることにする。その裏に碧雲荘がある。 碧雲荘…
原の辻遺跡見取り図 公園内には駐車場がなく、公園もかなり広いので見取り図があって助かる。手前の遺跡範囲に10数棟の復元建物が建てられている。一支国博物館への道も示されている。近くには人面石の出土地点もあるようだ。 原の辻遺跡=原の辻一支国王…
歌川広重肖像画 ちょうどこの夏、一支博では特別企画の広重展が開催されていた。広重の代表作「東海道五十三次」全55枚を中心に、壱岐を描いた「六十余州名所図会 壱岐志作」他が展示されている。歌川広重(寛政9年〜安政5年、1797-1858)は、江戸時代末…
壱岐国分寺跡 初日の國片主神社のすぐ西にあった壱岐国分寺跡は、別名・壱岐嶋分寺跡という。奈良時代、聖武天皇は全国に国分寺を建てるよう指示した。壱岐国では新たに建てず、統治者・壱岐直が建てた寺を壱岐国分寺に昇格させたと「延喜式」に記されている…
一支国博物館、『魏志倭人伝』 壱岐島の東南部の平原が、中国の史書に記されている倭国の一支国の跡に比定されている。『魏志倭人伝』では、「一大國」と記されるが、他の史書(魏略逸文、梁書や隋書・北史など)では「一支國」とされ、対馬國から末盧國の道…
壱岐イルカパーク 壱岐最北端の港町、勝本港は壱岐最大の漁師町である。『古事記』や『日本書紀』に記された神功皇后ゆかりの史跡や江戸時代の朝鮮通信使関連施設など、古代から近世まで日本と中国・朝鮮半島を結ぶ通行の要衝だった。それらの史跡巡りや、辰…
顎掛け石 國片主神社のすぐ西に史跡「顎掛け石と六面十二菩薩」がある。伝説では、渡良左エ門という大男が海岸で拾った柱状の石柱をここまで担いで運び、自分の顎が乗せられる高さに立てたという。現在、顎掛け石の上には、理由はわからないが六面十二菩薩の…
壱岐島、月讀神社 昨夏の対馬に続き、今夏は8月上旬に壱岐の島を巡った。魏志倭人伝に「一支國」と記された壱岐には、弥生時代の遺跡や古墳、神社など、歴史的な史跡が多い。博多からフェリーで着いた東の芦辺港で車を借り、一周約40kmの壱岐の島を西へ向…