半坪ビオトープの日記

壱岐神社、はらほげ地蔵、小島神社

壱岐神社の大鳥居
壱岐の東の玄関口、芦辺港を囲む湾の入口にある少弐公園の手前に壱岐神社が建っている。少弐公園には、元寇の遺跡や当時の壱岐守護代少弐資時の墓や狼煙台などがある。

壱岐神社の拝殿
壱岐神社の祭神として、弘安の役にて19歳で戦死した少弐資時のほか、元寇の役の際に国家安泰を祈願した亀山天皇後宇多天皇も祀っている。

拝殿内
文永の役1274)では、3万数千人の元・高麗軍が博多に来襲し、激戦になったが夜に前代未聞の暴風雨が博多湾を襲い、翌日、元軍の姿は消えていたという。弘安の役1281)で元軍は、太宰府を落とすために最も便利な良港であった、ここ瀬戸浦を占領せんと襲ってきた。壱岐の守護を勤めていた少弐資時は一軍の将として勇敢に戦ったが、激戦の末、壱岐の守備隊は全滅した。その後、またもや暴風雨が博多湾を襲い、元軍は壊滅した。

元寇碇石
拝殿内に元寇碇石が保存展示されている。芦辺港周辺だけで5本の碇石が確認されているという。

本殿
昭和19年(1944)に本殿が建設された。壱岐で一番新しい神社である。

左京鼻

芦辺港の南を東に向かい、壱岐の島東部に突き出た八幡半島の先端に左京鼻がある。玄界灘の荒波に削られた断崖と草原が約1kmにわたり続き、沖には玄武岩の柱状節理の石柱を束ねたような奇岩が聳り立つ。海の向こうには男岳や女岳、魚釣崎などの壱岐島北東部が眺められる。

玄武岩の柱状節理
ここも猿岩と並ぶ、壱岐の八本柱(折柱)の一つである。観音岩や夫婦岩とも呼ばれる。左京鼻という名の由来にはいくつか説があるという。江戸時代前期に旱魃が続き、陰陽師の後藤左京らがこの場所で雨乞いを行うと大雨が降り出し、村人が救われたという伝説が残っている。

はらほげ地蔵
八幡半島の付け根の南側、海女漁で知られる八幡浦に面して、「はらほげ地蔵」と呼ばれる六地蔵が祀られている。胸に丸い穴が空いていることからこの名で呼ばれる。潮が満ちると頭まで海中に没してしまう。

金刀比羅神社
内海湾に浮かぶ青嶋に架かる青嶋大橋の付け根に小さな金刀比羅神社がある。別名、箱島金刀比羅宮とも呼ばれる。祭神は不詳だが、大物主命と推定される。

青島神社
全長315m、壱岐最長の青嶋大橋を渡ると、青嶋公園があり、そこに小さな青島神社がある。祭神など詳細はわからない。

小島神社
干潮時には海が割れ、約150mの砂浜の参道が姿を表す、トンボロ現象で知られる小島に、島全体が神域の小島神社がある。内海湾(うちめわん)は、『魏志倭人伝』に記載される「一支国」の王都・原の辻を訪れる古代船が往来した玄関口である。内海湾に入港した古代船は、小島にある船着場で小舟に荷を積み替えて、幡鉾川を通って原の辻へと向かったと考えられている。文久元年(1861)の『壱岐名勝図誌』にも内海湾の様子が挿絵で描かれ、内海湾に多くの船が往来していたことが記録されている。

小島神社
小島神社の社殿へは、鳥居の裏側から参道を回り込んで山頂に着く。祭神は素盞嗚尊(スサノオノミコト)。内海湾には清浄な山の水が注がれ、美味しい牡蠣が養殖されている。ここにはカブトガニが棲み、アマモも自生している。小島神社は野鳥の楽園としても知られていて、この島の別名は「カラス島」という。