半坪ビオトープの日記

太祝詞神社、金田城跡

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加志から見る白嶽

対馬下島の北部、美津島町厳原町との境に屹立する白嶽(519m)は、古来より霊山として崇められた対馬のシンボル的存在で、大陸系植物と日本系植物が混生する国内最大の独自の生態系をもつ洲藻白嶽原生林として、国の天然記念物に指定されている。洲藻は白岳の東山麓にある集落で、白嶽登山口や白嶽神社があるが、北山麓にある加志の集落を過ぎて太祝詞神社へ向かう道からも白嶽の秀麗な山容が望める。

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太祝詞神社の鳥居

人家もない原生林の中を進むと右手にひっそりと佇む太祝詞神社の境内が現れる。参道には石造、木造の鳥居がいくつも立ち並んでいる。

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太祝詞神社の社殿

原生林の中だから鹿が出没するせいか、参道を除いた境内は柵で囲まれている。社殿は意外と大きく、拝殿は最近全面的に改装した様子である。祭神として太祝詞神(天児屋命)及びイカツオミ(雷大臣)を祀る。豆酘の雷神社のところでも述べたように、神功皇后の外征を支えたイカツオミ(雷大臣)は皇后の凱旋後に対馬に留まり、古代の占いの技術である亀卜を伝えたとされ、津島直の祖神とされる。イカツオミはまず豆酘に住み、次に阿連に移り、加志で生涯を終え、加志の太祝詞神社の境内に墳墓(中世の宝篋印塔)がある。

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太祝詞神社の拝殿

律令時代(7世紀後半)には、国家の吉兆を占う手法として亀卜が採用され、伊豆五人、壱岐五人、対馬十人の三国卜部が占いの職能集団として朝廷に仕え、重視された。豆酘には最近まで亀卜が残り、国の無形文化財に指定されている。阿連にはイカツオミの痕跡が色濃く残されている。阿連・加志の宮司はその子孫とされる橘氏で、対馬卜部の本流といわれている。

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流造の本殿

拝殿の後方には流造の本殿がある。加志の太祝詞神社式内社名神大社であり、延喜式京中、大詔戸命神の本社にあたり、両部神道の時代には加志大明神、賀志宮とも称していたが、明治初年に社号を改めた。

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金田城(かなたのき)の山道

金田城(かなたのき)は、浅芽湾南岸、美津島町黒瀬にある古代山城の一つである。天然の地形を利用した山城だが、日露戦争時に要塞化され、山頂近くまで軍道がつけられている。登山口から山頂まで往復90分ほどかかるので、途中で引き返すことにして山道を歩き出す。

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金田城から浅芽湾を見る

660年、百済が唐・新羅の連合軍により滅亡した。百済救援のために送られた倭国軍も663年の白村江の戦いで大敗。倭国は西日本各地に古代山城(朝鮮式山城)を築き、唐・新羅の侵攻に備えた。667年、浅芽湾南岸の城山(じょうやま、276m)に金田城(かなたのき)が築かれ(日本書紀)、東国から招集された防人たちが城山山頂から朝鮮半島を睨み続けたといわれる。当時の対馬は国防の最前線であり、極度の軍事的緊張が漂う国境の島だった。

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東南角の石塁

それから1000年以上の時が流れ、忘れられていた金田城は日露戦争前夜という国際情勢の中、再び要塞として整備され、巨大な砲台が据え付けられた。1300年前に防人が築いた古代山城と、100年前に旧日本陸軍が建設した近代要塞が併存する城山は、国の特別史跡に指定され、今もその数奇な歴史を語り続けている。

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石塁と建物跡

城山は浅芽湾に突き出した石英斑岩の巨大な岩塊であり、金田城は周囲を石壁で固めて外敵の侵入を阻んだ。人為的な城壁と天然の断崖の総延長は2.9kmに及ぶ。城の内部と外部を結ぶ城戸(きど)の遺構が三つあり、水門も当時の姿をとどめている。最も高い石垣は、6.7m(三の城戸)。東側に防人の住居が発見されているほか、城山の鎮守である大吉戸(おおきど)神社が北側にある。ここは東南角の石塁で、左側には建物跡が認められる。眼下の浅芽湾の深い入江は、1300年前に防人が見たのと同じように人跡未到の原生林に囲まれているように見える。

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ウラジロ

城山の森の中で見かけたシダの群生が鮮やかな姿を見せていた。ウラジロウラジロ属のウラジロGleichenia japonica)。本州福島県以南から沖縄にかけて、暖地の林内に生育する常緑の多年草。高さ2mになる大型のシダで、暖地の湿潤な場所では、何年にもわたって成長を繰り返し、何段にもなる。葉が正月飾りに使われ、注連縄、ダイダイの下に垂れ下げられる。ただし、その由来は「裏が白い=共に白毛が生えるまで」とよく解釈されているが、葉柄の先端に左右向き合って葉が出るため夫婦和合の意味との説もあり、実際は不明である。