女嶽神社の先、壱岐島の鬼門・男岳山(168m)の山頂付近に男嶽(おんだけ)神社がある。明治時代まで山全体が神体とされ、一般人の入山が禁止されていた霊山という。
鳥居の脇には展望台があり、壱岐の島の様子を見渡すことができる。
鳥居の少し手前の参道脇に、イスノキの巨樹がある。最大幹周りは3.16m、樹高は約19mで、壱岐の銘木に指定されている。この男岳山の森には、イスノキ・ヤブニッケイ・ヤブツバキ・ホルトノキ・アラガシ・バリバリノキ・カカツガエなどの珍しい植物が多く自生している。中でもイスノキ(別名、サルフウノキ)が多く、壱岐の中でもここだけと言われている。
現在の祭神は、猿田彦命とされるが、拝殿裏に神体とされる岩があり、古代より山全体が神体とされていたという。前回の箱崎八幡神社の際にも触れたように、吉野氏(壱岐氏の裔)文書によれば、原初オンダケ山に鎮座し、その後山を下りて上里の東屋敷、下里の辻、新庄村の宮地山と遷座し、元禄13年(1700)現在地、箱崎村根低(もとかぶ)山へ落ち着いた。オンダケ山は男岳山と書かれ、現在猿田彦を祀る男嶽神社がある。また、イヲトリ(五百鳩)山、磯山とも呼ばれ、『和漢三才図会』には、当社は「磯山権現 磯山にある。祭神一座 竜神 聖武天皇の神亀年中に現れる」と記されている。
つまり、神話の中で、壱岐島が生まれた時の最初の神であり、伊伎嶋(壱岐)の別名である天一柱神=天比登都柱神や、月読命が壱岐に降臨したのが男嶽神社と古事記に記録があり、その二神を導いた猿田彦が祭神とされて鎮座しているのも、男嶽神社の古さを示すものといえよう。壱岐の海岸にある猿岩と呼ばれる巨岩も、この猿田彦が二神を導いた時にできたという話もあるそうだ。
拝殿脇には、祭神の猿田彦に因み、300体を超える石猿がずらりと並んで奉納されている。
拝殿の右後ろのさらに右にそれる道を進むと稲荷社に行き着く。
拝殿の後ろに回り込むと、神体とされる岩が祀られている。