半坪ビオトープの日記

史跡

御客神社、平神社古墳

御客神社 そろそろ旅の終わりを迎える。昔は島後の中心だったと思われる北西部の五箇を見て回った後、現在の隠岐の中心地、南の西郷地区に戻る。最後に見ておこうと選んだのは、御客神社と平神社である。西郷地区の奥、銚子地区にあるこの御客神社は、宗教の…

油井の池、五箇創生館、郷土館

油井の池 カタクリの里から西に進むと那久の集落に出る。那久川の上流には壇鏡神社と光山寺跡という史跡があるのだが、残念ながら途中の道路が崩壊していて通行禁止だった。光山寺の創建は宝亀年間(770-780)といわれ、平安時代に遠流となった小野篁が過ご…

賀茂那備神社、都万の舟小屋

冠島 菱浦港からレインボージェットに乗って島後の西郷港に向かう。左手には西ノ島の北端の岬の先に繋がる冠島が見える。 西郷岬 船は島後の南岸沿いを東に進み、西郷岬を左に急旋回する。左に見える崖上の西郷岬灯台は、隠岐の島の海の玄関口西郷港に入港す…

後鳥羽上皇行在所跡、隠岐神社

後鳥羽上皇行在所跡 時間がないので残念ながら海士町役場近くに戻り、隠岐神社に寄る。海士町には縄文時代の郡山遺跡、三田遺跡、北分遺跡などがあり、産出されない黒曜石や石器類が数多く出土している。弥生式土器とともに出雲と同種の銅剣が竹田遺跡から出…

中ノ島、三郎岩、宇受賀命神社、明屋海岸

中ノ島、三郎岩 知夫里島で昼食後、隠岐4島目の中ノ島に向かう。海士町の菱浦港に着くとすぐに島巡り。といっても時間が限られているので北部を時計回りする。菱浦の東の諏訪湾に沿って北へ向かい、東に折れる辺りで海が見える。手前に三郎岩、向こうに西ノ…

赤壁展望台

赤壁展望台より神島 赤禿山展望台から南に下って、知夫里島の西端にある赤壁という名勝を見に行く。駐車場から展望台へと遊歩道を北西方向に向かうのだが、振り返ると南東方向の海の向こうに小さな島が見える。神島という島で、知夫里島の一宮神社の神が最初…

知夫里島、赤禿山展望台

知夫里島、赤禿山展望台から赤灘の瀬戸を見る 隠岐3島目は知夫村の知夫里島。本土から最も近い島で、約40km離れている。古代には知夫利、智夫、中世には千波とも表記された。島北の来居港からすぐ南回りに島を巡り、島西の赤禿山展望台に着いた。西北には…

見附島、美田八幡宮、知夫里島へ

見附島 別府港の正面に見える、こんもりと緑に覆われた無人島は見附島という。西ノ島に配流となった後醍醐天皇を隠岐守護・佐々木清高の警護兵が見張る武士の屯所があったという。見付とは警護兵が見張りをする場所を指す。江戸時代には立山(藩有林)として…

黒木神社、西ノ島ふるさと館

後醍醐天皇行在所跡 別府港から北東へ海岸沿いに歩くと黒木神社の神門があり、すぐ左手に、後醍醐天皇行在所跡、後醍醐天皇に関する資料を展示する碧風館がある。 碧風館 碧風館には、中世の文書、地名「黒木」に関する宇野家家譜、美田村神社之縁起集、伝後…

鬼舞展望所、通天橋、観音岩

鬼舞展望所 西ノ島の最南端の尾根は、島前カルデラの外輪山の尾根筋で、鬼舞スカイラインの終点に鬼舞展望所がある。駐車場から牧草地の柵に沿って10分ほど登っていく。 鬼舞展望所から西を見る 南東には赤灘の瀬戸を挟んで知夫里島の赤ハゲ山へ続くが、西に…

玉若酢命神社

億岐家住宅 隠岐の島町(島後)の東半分を一周して中心地の西郷に戻る。玉若酢命神社のすぐ左手に億岐家住宅がある。玉若酢命神社の宮司を務める億岐氏の住宅で、享和元年(1801)に建てられたもの。建築年代のわかるものでは隠岐最古の社家住宅である。身分…

浄土ヶ浦海岸、大山神社、黒島

浄土ヶ浦海岸 布施集落の北側に浄土ヶ浦海岸がある。1kmに及ぶ複雑な海岸は島礁の数が多く、多島海岸風景は風光明媚な景勝地で知られる。 浄土ヶ浦海岸 浄土ヶ浦海岸は大きく4つの入江に分かれ、この一番左の入江は最もおとなしい白砂の海岸である。 ヤブ…

中村海岸、一之森神社、八王子神社

中村海岸の妖怪像「さざえ鬼」 「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる漫画家水木しげるの故郷、境港の「水木しげるロード」にはたくさんの妖怪像が設置されているが、白島海岸の東、中村地区「武良郷」は、本名の姓「武良」から水木氏のルーツとされている。隠岐の島…

白島展望台

白島と沖ノ島灯台 隠岐島後の北端に伸びる白島崎と、その沖に浮かぶ白島、沖ノ島、松島、小白島を合わせて白島と呼ぶ。遠くに見える灯台は沖ノ島灯台という。 タチツボスミレ 紫色の小さなスミレが道端に咲いていた。スミレの仲間はよく似ていて、いつも同定…

白沙八幡神社

白沙八幡神社の巨大な鳥居 壱岐空港および壱岐随一のビーチ筒城浜の近くに、白沙八幡神社がある。巨大な鳥居の扁額の上部には、八幡神の使いである鳩が鎮座している。ブラジルに移住した人々によって奉献されたという。 二の鳥居 道路の海側には目新しい巨大…

壱岐神社、はらほげ地蔵、小島神社

壱岐神社の大鳥居 壱岐の東の玄関口、芦辺港を囲む湾の入口にある少弐公園の手前に壱岐神社が建っている。少弐公園には、元寇の遺跡や当時の壱岐守護代少弐資時の墓や狼煙台などがある。 壱岐神社の拝殿 壱岐神社の祭神として、弘安の役にて19歳で戦死した少…

猿岩、太郎磯・次郎礫

猿岩 翌朝も快晴。湯本湾を囲む黒崎半島の先端に、壱岐のシンボルともいうべき「猿岩」がある。壱岐島が誕生する謂れとして、「壱岐は生きた島なので流されないようにと八本の柱を立てて繋いだが、その柱は折れのこり、今も岩となって残っている」という言い…

元寇千人塚、壱岐風土記の丘、塞神社

元寇「新城の千人塚」 新城神社のすぐ東に元寇「新城の千人塚」がある。千人塚は、「少弐の千人塚」(弘安の役・瀬戸浦古戦場)、「浦海海岸の千人塚」(文永の役の戦死者を葬った場所)など、壱岐島内に6ヶ所確認されているが、この文永の役新城古戦場の千…

曽良の墓、印鑰神社、新城神社

諏訪大社の御柱 辰ノ島周遊のあと勝本浦に戻って史跡散歩を続ける。曽良の墓があると聞いて、城山公園に向かった。蕉門十哲の一人である河合曽良の終焉の地である勝本町は、曽良翁の生誕地である長野県諏訪市と平成6年(1994)友好都市の提携を行った。その…

辰ノ島上陸

辰ノ島上陸 いよいよ辰ノ島に上陸する。渡し船の発着所から波打ち際に遊歩道が整備されている。低潮線保全区域に指定されている石波止という浅瀬の入江全体がネットで囲まれて辰ノ島海水浴場となっている。 キキョウ エメラルドブルーの海の色を味わいながら…

天手長男神社、聖母宮

天手長男神社 郷ノ浦の中心部より北、国道382号線の東、鉢形山の麓に天手長男(あめのたながお)神社の鳥居があり、階段を上るとまた鳥居があって境内に建つ社殿が見える。『延喜式神名帳』に載る式内名神大社で、壱岐国一宮の天手長男神社に比定されている…

岳ノ辻、見上神社、鬼の足跡

岳ノ辻展望台 壱岐島の南部に、島内最高峰の岳ノ辻がある。山頂付近に設けられた展望台からは、玄界灘に囲まれた島全体がぐるりと見渡せる。西の展望台からは、右手に郷ノ浦港が見下ろせる。港の北側の元居浦(白いアーチ型の橋のすぐ向こう)には、安政6年…

鏡岳神社、初瀬の岩脈

鏡岳神社、遥拝所 志々岐神社の後、壱岐島南端にある鏡岳神社を目指して、全く人気のない道路を小一時間ほど進んだ。小さな初瀬漁港の東にある豊かな緑に覆われた小山が鏡岳。標高50mほど、316段の石段で知られる神社で一の鳥居の脇には新しい遥拝所が設け…

碧雲荘、志々岐神社

原の辻・石田地区 原の辻・石田地区マップをみると、壱岐南東部の石田地区には、壱岐空港やフェリー発着の印通寺港、海水浴場など現在も賑やかな観光地となっているのがわかる。松永安左エ門記念館も後で立ち寄ることにする。その裏に碧雲荘がある。 碧雲荘…

原の辻遺跡=一支国王都復元公園

原の辻遺跡見取り図 公園内には駐車場がなく、公園もかなり広いので見取り図があって助かる。手前の遺跡範囲に10数棟の復元建物が建てられている。一支国博物館への道も示されている。近くには人面石の出土地点もあるようだ。 原の辻遺跡=原の辻一支国王…

一支博:広重展、原の辻ガイダンス

歌川広重肖像画 ちょうどこの夏、一支博では特別企画の広重展が開催されていた。広重の代表作「東海道五十三次」全55枚を中心に、壱岐を描いた「六十余州名所図会 壱岐志作」他が展示されている。歌川広重(寛政9年〜安政5年、1797-1858)は、江戸時代末…

一支国博物館2

壱岐国分寺跡 初日の國片主神社のすぐ西にあった壱岐国分寺跡は、別名・壱岐嶋分寺跡という。奈良時代、聖武天皇は全国に国分寺を建てるよう指示した。壱岐国では新たに建てず、統治者・壱岐直が建てた寺を壱岐国分寺に昇格させたと「延喜式」に記されている…

一支国博物館1

一支国博物館、『魏志倭人伝』 壱岐島の東南部の平原が、中国の史書に記されている倭国の一支国の跡に比定されている。『魏志倭人伝』では、「一大國」と記されるが、他の史書(魏略逸文、梁書や隋書・北史など)では「一支國」とされ、対馬國から末盧國の道…

壱岐イルカパーク、壱岐の土台石

壱岐イルカパーク 壱岐最北端の港町、勝本港は壱岐最大の漁師町である。『古事記』や『日本書紀』に記された神功皇后ゆかりの史跡や江戸時代の朝鮮通信使関連施設など、古代から近世まで日本と中国・朝鮮半島を結ぶ通行の要衝だった。それらの史跡巡りや、辰…

顎掛け石・へそ石、鬼窟古墳、双六古墳、掛木古墳

顎掛け石 國片主神社のすぐ西に史跡「顎掛け石と六面十二菩薩」がある。伝説では、渡良左エ門という大男が海岸で拾った柱状の石柱をここまで担いで運び、自分の顎が乗せられる高さに立てたという。現在、顎掛け石の上には、理由はわからないが六面十二菩薩の…