半坪ビオトープの日記

昇仙峡、金櫻神社

丹波山村
昨年の11月に昇仙峡など甲府周辺を巡った。中央高速ではなく青梅街道(大菩薩ライン)をのんびり通って紅葉を見ようとしたが、丹波山村辺りでも、残念ながらすでに散っているのか紅葉が少ないのか、期待通りの紅葉には巡り会えなかった。

鳳凰三山北岳甲斐駒ヶ岳
 
山梨県立博物館は撮影禁止だったが、敷地内から南アルプス前衛の山並みを見ることができた。欅の後ろには鳳凰三山、左手に辻山(2585m)、その左奥に日本第2位の北岳3193m)、欅の右手離れた所に甲斐駒ヶ岳が確認できる。

夕陽に染まる富士山
この日は甲府駅の北西にある神の湯温泉に泊まり、夕陽に染まる富士山を眺めることができた。

甲斐駒ヶ岳鳳凰三山
宿からも北西方向に南アルプスの山々がはっきりと見えた。いちばん右に甲斐駒ヶ岳2967m)、その左に一段と高く見えるのが鳳凰三山地蔵岳2764m・観音岳2841m・薬師岳2780m)。地蔵岳山頂のオベリスクがニョキっと突き出ているのがなんとか確認できる。この鳳凰三山は、高校生の時に級友たちと登った思い出深い山である。穴山駅から地蔵岳山頂まで標高差2300mを1日で登ったのは私の最高記録である。

日本第2位の北岳

鉄塔の右奥に見える、南アルプスの主峰・北岳(3193m)に登ったのは40年前の10月中旬。予想してなかった雪が20cmも降り積もって驚いたのを思い出す。

八ヶ岳
北北西方向、遠くには八ヶ岳も見えた。右手の一番高い山が主峰・赤岳(2899m)。その右が横岳(2829m)、赤岳の左手奥が阿弥陀岳2805m)、その左が権現岳2715m)と編笠山2524m)が確認できる。甲府盆地からは若かりし頃の思い出が詰まった山々が四方に眺められて懐かしい限りである。それにしても雲ひとつない快晴は珍しい。

御岳昇仙峡、覚円峰
御岳昇仙峡は甲府市北部に位置する渓谷で、「全国観光地百選渓谷の部第一位」の観光地として知られ、国の特別名勝に指定されている。この覚円峰は、昇仙峡のシンボルともいえる岩山で、高さは約180m、花崗岩が風化水食を受けてできたものである。昔、僧侶の覚円が畳を数枚敷くことのできる頂上で座禅を組んだことからその名が付いたという。

仙娥滝
昇仙峡の水は「平成の水百選」に選ばれている。仙娥滝は高さ約30mの大滝で、地殻変動により生じたものとされている。「仙娥」とは中国神話に登場する月に行った女性の名前「嫦娥」に由来しており、月のような優しさを持った滝という意味とされる。

金櫻神社
甲府の名勝・昇仙峡の奥に建つ金櫻(かなざくら)神社は、昇仙峡を上り詰めた地に鎮座する金峰山2595m)の五丈岩(高さ20m)を御神体とする神社である。

金櫻神社、拝殿
金櫻神社は、第10崇神天皇の御代に疫病退散と万民息災の祈願のため、金峰山山頂に祭神である少彦名命を祀ったのが起源とされ、奥宮は山頂にあり、金櫻神社は里宮にあたる。延喜式神名帳にも記載される。社記によれば、景行天皇40年、日本武尊が東征の途上、金峰山上に詣で、須佐之男尊大己貴命の二神を合祀したので祭神は三柱となった。天武天皇2年(674)に大和国吉野郡金峯山の蔵王権現を合祀して神仏両部となり蔵王権現と呼ばれた。明治に至り神仏分離した。

本殿
社宝として「火の玉、水の玉」の水晶が祀られ、当社の名前の由来となった御神木の「金櫻(鬱金桜)」は、古くから民謡にうたわれ、「金の成る木の金櫻」として崇められている。本殿は三間社流造、屋根は檜皮葺。
 

本殿の昇竜降竜

昭和30年に大火により社殿及び伝左甚五郎作の昇竜降竜は焼失したが、昭和34年(1959)に再建された。

境内から富士山
神社境内から10分ほど上がると富士山遥拝所があり金峰山も望めるが、境内からも富士山だけなら眺めることができる。