半坪ビオトープの日記

浜田海水浴場、千座の岩屋、古市家住宅、大ソテツ

浜田海水浴場
このだだっ広い浜田海水浴場は、遠浅できめ細かな白砂が美しいビーチで、夏場は海水浴客で賑わう。右手に見える島は、竹島と高島が重なり、その左に浜島がある。

千座の岩屋
象の水飲みのあった竹崎海岸も美しい景観に恵まれた砂浜で、風向きによって強い波が立つのでサーファーが多く集まる。一方、この浜田海水浴場は沖に浮かぶ小島・奇岩の景色が印象的である。右手の断崖が海に突き刺さるあたりに穴が見える。千座(ちくら)の岩屋という海蝕洞である。

千座の岩屋
この千座の岩屋は、波に削られてできた種子島唯一の海蝕洞というが、中種子町の海岸にも馬立の岩屋がある。ここは千人もの人が座れるほどの広さがあるので千座の岩屋という名がついたという。

千座の岩屋
洞窟内は枝分かれしており、干潮ならば歩いて中を回ることができる。干潮のように見えるが、波が洞窟の入口に打ち寄せ始めているので、もはや入れないと諦めた。中から海と小島を眺めると幻想的だという。

浜田海水浴場
千座の岩屋と反対の北側を眺めると、こちらも広い浜田海水浴場が見渡せる。海は熊野浦といい、その向こうには熊野漁港がある。

古市家住宅
中種子町南部にある古市家住宅は、江戸時代末期の弘化3年(1846)、当時坂井村の郷士庄屋・横目)を務めていた古市源助が建てた庄屋宅である。

古市家住宅
種子島に現存する最古の建築として国の重要文化財に指定されている。平成14年に保存修理され、江戸末期当時の姿に修復された。建物は座敷部と土間部からなり、正面入母屋造、背面切妻造、桟瓦葺、平面はL字型をしている。和釘(角釘)が使用され、瓦葺の下地の土居葺には竹釘が使われた。柱・梁は手斧仕上げで、雨戸は本実(ほんざね)造りと相杓造りとなっているなど、江戸時代の建築技術が濃厚に残されている。住宅から北側へ約50m離れた古市家の墓地に立つ墓碑には、永禄年中(1558-1570)に種子島家に招かれ河内国古市郡より来島し、家老清三を祖先とするとあるが、「種子島家譜」には記載がなく詳細不明とされる。

古市家住宅、雛人形
簡素にまとまった中規模な住宅ではあるが、一般農民の住宅に比べれば豪華かつ丁寧な造りであった。ちょうどひな祭りの時期だったので、屋敷内には雛人形がずらりと並べられていて、華やかだった。

 
坂井豊受神社の大ソテツ
古市家住宅近くの坂井豊受神社に、日本一といわれる「わざい坂井の大ソテツ」がある。「わざい」とは種子島の方言で「すごい」の意味である。

大ソテツ
雌株の大ソテツは、樹高7m、枝張り10m、根回り2m以上あり、樹齢は600年を越すと推定されていて、高さが日本一とされる。

大ソテツ
すぐ近くの展望台から大ソテツの全景を見ることができる。

坂井豊受神社
坂井豊受神社は、文明9年(1477)第12代島主・種子島忠時に坂井村の地頭が神社創建の請願をし、日蓮宗浄光寺境内に社殿を設け、五穀の神・豊受大神を祀ったところ、近郷の住民も篤く崇敬したといわれる。明治2年の廃仏毀釈により浄光寺が廃寺となり、社殿も改築されて現在に至る。秋の大祭では安城踊りが盛大に奉納されていたという。

アコウの大木
坂井豊受神社境内入り口には、参道を守るようにアコウの大木がある。

矢止め石
坂井豊受神社入口の近くに矢止め石がある。弘法殉難の日典上人の遺業を継ぐために来島した法弟日良上人は、忍弘通の上、領主時氏以下全島民を法華宗に改宗せしめた。しかし律宗を頑なに信教していた坂井村の領主・日高左京之進が法華経を広める日良上人に敵意を抱き、射殺そうと目掛けて放った矢が上人には当たらず、全てこの石に当たるばかりで、遂に一族あげて法華経に信順したと伝えられている。