宝満神社から西に、種子島の最南端にある門倉岬に向かうとまもなく、インギー鶏を飼育している花峰小学校があり、その先に下中八幡神社(真所八幡宮)がある。種子島では下中八幡神社と茎永宝満神社だけに、今もお田植え祭りが伝承されている。
町指定文化財「下中八幡神社お田植祭」は、毎年3月に行われ、夜明け前の社人(しゃにん)によるシュエイ(潮井)取りから始まる。その後、神社で神事が行われ、お田植えとなる。お田植えは神社の南方に広がる田んぼの中にある「森山」に隣接する御新田(オセマチ)で行われる。
下中八幡神社お田植祭の特徴は、ガマオイジョウと呼ばれる老人が歌う田植え歌に合わせて社人オイジョウがお田植舞を奉納するところにある。
お田植えが終わると、森山の端の平らな場所で直会(ナオライ)と呼ばれる祝宴となり、めでた節が歌われる。この付近の字が「市ノ坪」であることや、周辺に弥生時代の遺跡が広がることから、この地は古くから稲作と深い関係があった場所といわれている
八幡神社の鰐口は、県の文化財に指定されている。鰐口は社殿前の軒下に吊るされる礼拝用の楽器の一種で、参拝者は綱を振り動かして鳴らす。今は代わりに鈴が吊るされている。室町時代、西之村の地頭であった徳永祐氶(すけひろ)は、下中八幡神社の社殿を新しく建て直し、応永33年(1426)に鰐口を奉納した。この鰐口は青銅製で、直径は30cm、厚さ8cm、重さ7.4kg、県内最大級の鰐口であり、南種子町民俗資料館に保存されている。拝殿の中、前方に祭壇がある。
八幡神社から南下すると種子島の最南端に位置する門倉岬に着く。門倉岬には、天文12年(1543)に漂着した明国船に乗船していたポルトガル人によって、日本に火縄銃が伝えられたことを示す、鉄砲伝来紀功碑が建てられている。岬内は公園化されていて、御崎神社や展望台などもある。公園の入り口に火縄銃を構えた銅像が建てられている。
御崎神社の鳥居を潜って進むと、参道の左手にはガジュマルの林が並ぶ。ガジュマル(Ficus microcarpa、我樹丸)は、亜熱帯から熱帯に分布するクワ科イチジク属の常緑高木。枝から多数の気根を出す「締め殺しの木」の一種としても知られる。日本では種子島、屋久島以南、主に南西諸島に分布する。台湾、東南アジア、インド、オーストラリアにも分布する。
色々な石碑が立ち並ぶ先の高台に南蛮船の形状を模した展望台がある。展望台の手前にいくつも石碑が建っているが、もっと手前の左手に「鉄砲伝来紀功碑」がある。天文12年(1543)8月25日、西村の小浦(現在の前之浜)に見慣れぬ異国船が漂着した。その船に赴かんとするに先方より鉄砲を撃ち放ち、その轟音に村人は驚き騒然とした。小船にて数人が浜に下り、西之村の地頭・西村織部丞が明国の五峰と名乗るものと砂上にて筆談し、ようやく意を通じた。台風で漂着した、と。織部丞は赤尾木(西之表)の島主に早馬で知らせ、異国戦は赤尾木へ曳かれた。乗組員一行は半年間種子島に滞在し、その中のポルトガル人によって鉄砲が伝えられたのである。大正10年(1921)に鉄砲伝来紀功碑が建てられている。