半坪ビオトープの日記

2010-01-01から1年間の記事一覧

天候が良くすっかり晴れ渡り、山頂からは富士山、丹沢山地、遠くは南アルプスや八ヶ岳まで望めるが、残念なことに富士山に少し雲がかかり始めていた。 南の方角、仙石高原の彼方、神山の右には、芦ノ湖がかなり見えている。 西の方角には、この金時山から続…

尾根道を上っていくと左に箱根外輪山の山並みが見えてくる。長尾峠や黒岳などは見晴らし台になっている。手前には仙石原高原やゴルフ場が見える。 なおも左には、台ヶ岳(1044m)の裾野に仙石すすきの原が見え、台ヶ岳の左上には箱根第一位の神山(1438m)…

有志の忘年会で箱根に出かけた。寒さが厳しくなってきたが、箱根外輪山の金時山に登った。 仙石バス停で降り、道祖神を見ながら登山口に向かう。 金時山といえば、とがった山頂部が特異な形をしているので遠くからでも見分けがつくが、間近に下から見上げる…

三嶋大社を出て、「本町うなよし」でうな丼定食を食べ、御殿川に沿って歩き、搗屋のみちを進む。 三島市内にはこの御殿川のほかにも、桜川、源兵衛川、蓮沼川、四ノ宮川 など富士山の伏流水がいくつも湧き水となって流れていて、爽やかな散歩が楽しめる。 こ…

三嶋大社の宝物館には、三嶋大社所蔵の宝物・文化財と宮司矢田部家に伝来した文化財が数多く展示されている。 北条政子奉納と伝えられる梅蒔絵手箱一式が国宝であり、重要文化財では、明治天皇奉納の鎌倉時代初期の太刀(銘:宗忠)や源頼家筆の般若心経、源…

本殿の左に若宮社(若宮神社)がある。祭神として、三嶋大神の子神・物忌奈乃命、誉田別命(応神天皇)と五十鈴姫命が祀られている。 かつては若宮八幡宮とも呼ばれ、三嶋大社が東伊豆の白浜から当地に遷座した当時、先に鎮座していて、次のような伝説がある…

この神門は、1867年に再建された唐破風造りの門で、この内側が神域となっている。風格があり、三島市の指定文化財である。 黒漆塗りの木製の神馬は、1868年に完成した。古くから、毎朝神様を乗せて箱根山に登るという伝説がある。神馬社は戦後に造ら…

次に下田街道を北上して三嶋大社に向かった。三嶋大社の創建の年代は不明だが、古くより三島の地に鎮座し、三嶋大明神と称せられ、元の官弊大社である。 三嶋はもともと「御島」の意で、富士火山帯の根元の神、伊豆の国魂の神、国土開発の神として朝野の信仰…

三島市街地の南部にある佐野美術館は、昭和41年に開館した。創立者佐野隆一は三島生まれの実業家で、化学工業の先駆者として活躍し、私財を投じて日本庭園とともに美術館を築造した。 収蔵品は、国宝の薙刀をはじめ日本刀や東洋の古美術を中心に3000点…

帰りがけに三島市内を散歩した。三島市街地の南部に位置する佐野美術館の隣に、湧水の御殿川の流れを取り込んだ回遊式庭園と伝統的日本家屋が配された隆泉苑がある。 昭和初期に建てられた建物とこの表門は、国の登録文化財に指定されている。 この庭園は佐…

先週、中伊豆の大仁温泉に出かけた。伊豆長岡と修善寺に挟まれた地味な温泉地で、高台にある「大仁ホテル」を除くと小ぢんまりした湯宿が点在するだけの静かな環境にある。 狩野川でアユ釣りをするか、狩野川べりにそそり立つ城山(343m)のハイキング(…

目白3丁目には三葉葵の紋のついた門と高い塀に囲まれた、徳川黎明会という表札が掲げられた一角がある。徳川黎明会とは、尾張徳川家第19代当主の徳川義親侯爵が、徳川家伝来品や蒐集資料を美学・史学に資するため、保管・公開を目的として昭和6年に設立…

西武池袋線椎名町駅のすぐ近くに長崎神社がある。創建年代は不詳だが、元来、櫛名田比売命を祀り、武州豊島郡長崎村の鎮守として信仰を集めていた。 江戸時代中期には十羅刹女社とも称せられていた。明治7年(1872)に須佐之男命を合祀して長崎神社と改称し…

史跡巡りの数日前に、乗蓮寺(東京大仏)の裏にある板橋区立赤塚植物園に行った。本園と万葉・薬用園からなり、本園は四季の道、野草の道、針葉樹の森などのコーナーに分けて植えてある。 入り口には大きなユリノキ(チューリップノキ)が植えてあり、6月ご…

以前から竹林があったところに新たに鳳凰竹、金明竹など13種類の竹を植えて、竹の子公園として整備されている。 今は高島平駅の北にある、この弁天塚の碑と呼ばれる扁額には「徳丸原遺跡」と徳富蘇峰の篆筆で刻まれている。碑文には、高島秋帆が徳丸が原で…

こちらは赤塚諏訪神社の朱塗りの随身門。諏訪神社の祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)。創建は文明年間(1469〜1487)といわれ、赤塚城主千葉自胤が信州の諏訪大社の分霊を勧請してここに祀り、赤塚城の鬼門除けにしたと伝えられる。 諏訪神社には、…

この神社は、旧上赤塚村の鎮守で氷川神社という。祭神は素盞嗚命(すさのおのみこと)と藤原広継命(不比等の子)で、素盞嗚命は赤塚城主、千葉自胤が武蔵国一の宮の氷川神社から勧請したと伝えられるが、広継の祭祀の由緒は不明という。 広継は朝廷内の政争…

赤塚溜池公園に面して板橋区立郷土資料館がある。1972年の開設で、区内で出土した化石や土器、農具、古文書のほか、レンズ製作などの区内産業の資料も展示されている。 裏手には古民家など移設された建物のほか、庚申塔などの石造物もみられる。 この徳…

乗蓮寺に入る道の向い側には不動の滝がある。どんな旱魃のときでも枯れなかったといわれるこの不動の滝の名は、滝口の崖上に2体の不動尊石像が祀られていることに由来する。 江戸時代の中頃から流行した大山詣りや富士詣りの人々が滝水に打たれ心身を清め、…

乗蓮寺境内、東京大仏の手前右に「忘れまい天保の大飢饉」と書かれた立札があり、「南無阿弥陀佛」の名号が刻まれた供養塔が建っている。 天保4年から始まった飢饉だが、天保8年(1837)には、幕府が新宿、品川、千寿、板橋の4宿に救助小屋を設けて救済し…

松月院の脇の坂を下りていくと左手に乗蓮寺がある。浄土宗の寺院で赤塚山慶学院と号し、以前は芝増上寺の末寺であったが現在は別格本山である。 正門や山門の扉には徳川家を意味する葵の紋が掲げられている。 正門右には閻魔堂があり、閻魔大王と奪衣婆(脱…

松月院の近くに松月院が管理している赤塚大堂がある。大堂は古墳上に建てられた阿弥陀堂で、板橋区内最古の寺といわれる。 「新編武蔵風土記稿」によると、南北朝時代の建武延元頃(1334頃)には七堂伽藍を備えた大寺院で、真福寺、泉福寺を擁していたため大…

松月院の境内には高島秋帆顕彰碑が建てられている(大正12)。1841年に徳丸が原で大規模な砲術演習を行った高島秋帆は、その後讒言にあい永牢に繋がれた。 11年後に幽閉を解かれた秋帆は、幕府や諸藩の洋式軍事技術普及に貢献した。顕彰碑の中心には…

先週、毎年恒例の史跡巡りで、板橋区北部の赤塚から高島平地域を散策した。 赤塚でよく知られた寺院として、萬吉山宝持寺松月院がある。曹洞(禅)宗に属し、本尊は釈迦牟尼如来を祀る。 創建は不明だが、下総の豪族、千葉自胤(よりたね)が1456年に赤…

アセビやドウダンツツジに似た白い筒型の花と橙色や赤色の実がなっているこの木は、ツツジ科アルブツス属のヒメイチゴの木(姫苺の木、Arbutus unedo 'Compacta') という園芸品種である。。 南ヨーロッパ原産の樹高3m以上になる耐寒性常緑中低木だが、矮性…

ようやく都内も紅葉の盛りになってきたので、近くの目白庭園に紅葉狩りに行った。 9月にも見た回遊式の小さな日本庭園だが、池の周囲には六角浮き見堂や、石塔、滝の流れなどがあり、変化に富んでいて見物客が多い。 庭の奥の築山から水が滝となって流れて…

ミヤマシキミによく似たこの木は、ミカン科ミヤマシキミ属のツルシキミ(蔓樒、Skimmia japonica var.intermedia f. repens) という。ミヤマシキミの変種で、北海道、本州の日本海側の多雪地帯に適応している。関東以西、四国、九州の山地の冷温帯にも自生す…

光沢のある黄色の花冠が鮮やかなこの花は、キントラノオ科トリステラテイア属のコウシュンカズラ(恒春カズラ、Tristellateia australasiae) という。沖縄、熱帯アジア、オーストラリアに分布する常緑つる性低木で、高さは2〜3mになる。 熱帯、亜熱帯では…

この風変わりな花は、イワタバコ科マツムラソウ属のマツムラソウ(Titanotrichum oldhamii) という。 沖縄の石垣、西表島、台湾、中国南部の常緑樹林内の湿った岩場に自生する、草丈15〜30cmの多年草。 花期は7〜10月。花冠は黄橙色で、筒状漏斗形…

高尾山ではセキヤノアキチョウジを見かけたが、こちらは岐阜県以西の本州、四国、九州に自生する、アキチョウジ(秋丁字、Plectranthus longitubus) という。和名は、秋に丁字形の花を咲かせることによる。 花期は8〜10月。山地の木陰に生える、高さ60…