半坪ビオトープの日記


先週、毎年恒例の史跡巡りで、板橋区北部の赤塚から高島平地域を散策した。
赤塚でよく知られた寺院として、萬吉山宝持寺松月院がある。曹洞(禅)宗に属し、本尊は釈迦牟尼如来を祀る。
創建は不明だが、下総の豪族、千葉自胤(よりたね)が1456年に赤塚城に移り、ここを本拠に勢力を挽回した後、近くにあった真言宗宝持寺を曹洞宗に改宗させ、寺号を松月院と改めさせて千葉氏の菩提寺とし、寺領を寄進し自ら中興開基となっている(1492)。

開山は、後に大本山永平寺十世となって永平寺再興に力を尽くした高僧、曇英慧應(どんえいえおう)である。この本堂は1754年の再建である。

松月院徳川家康より1591年に御朱印40石の寄進を受けた古刹で、以後歴代将軍はこれを踏襲したため、現在この家光朱印状を含め12通が残されている。

江戸時代末の1841年には兵学高島秋帆により、徳丸が原で大規模な砲術演習が行われ、その際陣屋となった松月院には演習関係の遺品が多く所蔵されている。これは砲術調練図である。

陳列館としての松宝閣には、ほかにも開基千葉氏の遺品、高島秋帆や代々住職の書、この釈迦涅槃図や十六羅漢図などの江戸時代の仏画も展示されている。