半坪ビオトープの日記


松月院の境内には高島秋帆顕彰碑が建てられている(大正12)。1841年に徳丸が原で大規模な砲術演習を行った高島秋帆は、その後讒言にあい永牢に繋がれた。
11年後に幽閉を解かれた秋帆は、幕府や諸藩の洋式軍事技術普及に貢献した。顕彰碑の中心には1857年製のカノン砲が立てられ、火炎砲弾4発が配されている。

墓地には赤塚城主、千葉自胤一族の墓がある。中央3基の右が自胤(一説に自秀)、真中が奥方龍興院殿、左の宝篋印塔型が元徳元年(1329)比丘尼了雲の銘がある区内最古の墓である。

同じ墓地内には、赤塚地域の風物を愛したという「次郎物語」の作者下村湖人の墓もある。

墓地の中央には、代々の住職(和尚)の墓がずらりと並んでいる。