半坪ビオトープの日記

東京

旧岩崎邸庭園

御茶ノ水から上野公園に向かって歩いていたら、不忍池の近くで旧岩崎邸庭園の標識を見つけたので立ち寄ってみた。 門を入ってから敷地内の長い道をゆっくり進んで行くと、道端には色鮮やかなアジサイの花が咲いていた。これほど紫色の濃いアジサイは珍しい。…

羽黒三田神社、奥氷川神社

これだけ色々な花が咲いていると、奥多摩むかし道もさぞ混んでいると思いきや、半分のコースで早帰りを決め込んでいるせいか、あまり人と会わなかった。それでも奥多摩駅に近づくと、駅から奥多摩湖へ向かうハイカーの群れとすれ違うようになった。道端には…

奥多摩のスミレ

春に咲く小さな花の代表格ともいえるスミレの花の種類は多く、世界には約400種、日本には約50種あるといわれるが、さらに非常に多くの変異や品種が知られていて、学名が与えられているスミレの種類は200にも達する。日本は「スミレ王国」とさえいわれ、奥多…

奥多摩むかし道

4月中旬に軽くウォーキングしたくなり「奥多摩むかし道」に出かけた。奥多摩駅から奥多摩湖までの旧青梅街道だった歴史ある道を歩くファミリーコースだが、昼には奥多摩駅手前の日帰り温泉に戻りたいので、途中の梅久保までバスで行き、下りの道を半分だけ…

三頭山ハイキング

4月中旬にいつもの遊び仲間と、東京都奥多摩の三頭山ハイキングに出かけた。都内とはいえ、新宿を朝早く出ても武蔵五日市からバスに乗り換え、終点の都民の森に着くまで2時間半以上かかった。桧原村数馬の集落の先にある都民の森のバス停から、拠点となる…

明治神宮の花菖蒲

6月中旬にいつもの遊び仲間と連れ立って、明治神宮御苑の花菖蒲を見に出かけた。原宿駅から神宮橋を渡ると、南参道の入口に大きな一ノ鳥居が立っている。北参道と合流するところに立つ二の鳥居は、高さ12m、柱の径1.2mと檜造の明神鳥居では日本一だが、こ…

小石川植物園

先週末、遅ればせながら友と連れ立ち花見に出かけた。場所は東京の文京区の小石川植物園。 途中、播磨坂という桜並木があったが、残念ながら既にほとんど花が散っていた。 小石川植物園は、東京大学大学院理学系研究科附属の植物園で、約330年前の貞享元年(…

数馬峡、もえぎの湯

数馬峡橋を渡って迂回路を終了し、多摩川東岸(右岸)の数馬峡遊歩道に入る。 橋の上から下流を眺めると、まだ川幅が広く白丸湖となっている西岸(左岸)に、カヌーが数隻集まっているのが見えた。この上流あたりで毎年、奥多摩カヌーフェスティバルが開催さ…

鳩ノ巣渓谷、白丸ダム

6月下旬、小雨の降る中を、いつもの友人達と奥多摩の鳩ノ巣渓谷から数馬峡を歩き、もえぎの湯につかってきた。 鳩ノ巣駅を下車して多摩川に向い、双龍の滝を上から眺めてから鳩ノ巣小橋に向うと、道の右手に水神宮の石碑が立っていた。 その左横には小さな社…

鳩ノ巣渓谷、双龍の滝

松の木尾根を下ると車道に出る。分岐を左へ下って行くと多摩川に架かる雲仙橋があり、橋の上からは、新緑の間に鳩ノ巣渓谷が涼しげに見える。 雲仙橋を渡ったら左に進んでいく。周辺案内図に従って細い道に入ると、崖の正面に双竜の滝が見える。二筋に分かれ…

鳩の巣渓谷、古里附橋

4月下旬に東京奥多摩の鳩の巣渓谷に行き、新緑を見ながら散策した。無人の古里駅の北口を出て北の高台に向うと、曹洞宗の西光山丹叟院の本堂がある。本堂の右手にあるという寄棟造瓦葺きの阿弥陀堂は、大永年間(1521-28)の建築といわれる。 丹叟院のすぐ…

薬師堂、淡島堂

影向堂の斜向いに、薬師堂が建っている。慶安2年(1649)徳川家光の再建による3間四方のこのお堂は、観音堂の北西、堀の橋のたもとに建てられたので、家光自身が「橋本薬師堂」と名付けた。薬師如来のほか、薬師の十二の大願に応じて現れた分身「十二神将…

影向堂、六角堂

浅草寺本堂の左手(西)に影向堂、薬師堂、淡島堂などのお堂と境内社、石碑等が集まっている。影向堂(ようごうどう)では、聖観音菩薩像を中心に十二支生まれ年の守り本尊八体の像(影向衆)を祀っている。影向とは、影が形に従い、響きが音に応ずるように…

二天門、浅草神社

宝蔵門の右手(東)奥に小高い丘があり、そこに弁天堂が建っている。弁天様は白髪のため「老女弁財天」と呼ばれ、藤沢市の「江ノ島」、千葉県柏市の「布施」とともに、関東三弁天の一つに数えられる。現在の弁天堂は、鉄筋コンクリ―ト造で、昭和58年の再建で…

五重塔、本堂

宝蔵門をくぐって左の浅草寺の五重塔は、天慶5年(942)平公雅が本堂と共に建立した。その後数度、倒壊・炎上に遭ったが、その都度再建された。再建前の塔は、慶安元年(1648)の建立で、本堂と同様関東大震災では倒壊しなかったが、東京大空襲で焼失した。…

浅草寺、雷門

浅草寺表参道入口の総門は、切妻造の八脚門で、向かって右に風神像、左に雷神像を安置することから、正式には風雷神門というが、雷門と通称される。天慶5年(942)武蔵守平公雅により創建されたのが始まりで、現在の門は慶応元年(1865)の大火で炎上した門…

どぜう飯田屋

浅草寺は初詣客でたいへん混雑していたので後回しにして、合羽橋の「どぜう飯田屋」でゆっくり昼食をとった。早めにきたせいか十人ほどしか並んでいなかった。明治開業の老舗らしく下足番がいて、履物を預けて木札をもらう。その木札が座席で回収されて勘定…

三囲神社

スカイツリー駅から線路沿いを隅田公園まで歩く。公園の裏手には、「二峯先生の碑」という大きな石碑が立っている。高林二峯は、上州出身の幕末から明治の書家で、古法帖を研究し独学で一家を成した。石碑上部の篆額は、勝安房とあり勝海舟の揮毫である。 隅…

すみだ水族館

今年の初詣は友と連れ立って浅草寺に行くことにしたが、その前に東京スカイツリータウンにあるすみだ水族館に寄った。いずれ展望台に上る機会は来るだろうと思いながら、水族館の手前からスカイツリーを見上げる。 朝早いせいか水族館は空いていてゆっくり見…

この鳥はカルガモと思われる。今時はよく親子連れの微笑ましい姿が見られるのだが、夫婦つがいだけのカルガモである。 堀切の花菖蒲の様子は「江戸百景」に数えられ、鈴木春信・安藤広重など著名な浮世絵画家によっても描かれている。 明治には「東京遊行期(…

この地に初めて花菖蒲が伝来したのはいつの頃か明らかではないが、一説によると、室町時代堀切村の地頭久保寺胤夫が家臣の宮田将監に命じて、奥州郡山の安積沼から花菖蒲を取り寄せたのが培養の始まりとも、文化年間(1804~17)堀切村の百姓小高伊佐衛門が本…

先週、友と連れ立って堀切菖蒲園に出かけた。駅から裏通りを歩いていくと、十二支の像が並んでいた。 堀切十二支神の像で、無理して立ち上がっているところが面白い。 さらに進むと今度は、しょうぶ七福神の大きな像が並んでいる。先ほどの像と合わせてどち…

つつじ苑の右には乙女稲荷神社があり、入口が3ヶ所あってそれぞれに鳥居がある。これは根津神社の西門に近い中央の鳥居である。 つつじ苑に沿って続く参道が一番長く、千本鳥居というほど多くの奉納された朱の鳥居が立ち並ぶ。 池を見下ろす舞台造りの社殿…

根津神社つつじ苑のつつじは、早咲きから遅咲きまで各種揃っていて、長期間つつじを楽しむことができる。 しかし今はもうつつじまつりも終わりで、遅咲きも咲き終わっているものが多い。 この花は、「小城の踊り唐子」という、小振りのくるめつつじの園芸品…

つつじ苑は、徳川綱重が庭につつじを植えたことに始まり、7000坪の神苑は世につつじヶ岡と呼ばれる府内の名勝だった。 現在は約2000坪の苑内に、約50種3000株が咲き乱れる。 入口脇に大きな石が積み重ねてある徳川家宣胞衣塚がある。この境内…

総漆塗りの権現造社殿は、江戸神社建築として最大規模を誇る。権現造りとは、日光東照宮を代表とする関東地方に多く見られるもので、社殿を拝殿・幣殿・本殿の順にエの字型に一体的に配置した様式である。社殿の回りを唐門と透かし塀で囲み、その前に格調高…

一昨日、友人と連れ立って根津神社のつつじまつりに出かけた。 根津神社は、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、東京十社の一つに数えられている。文明年間(1469~87)には、江戸城を築城した武将として有名な太田道灌が社殿を奉建している…

この「墨堤植桜之碑」は、明治16年、成島柳北たちが墨堤に千本余りの桜を植えたのを記念して明治20年に建てられた。 墨堤の桜は4代将軍家綱が植えさせたのが最初で、8代将軍吉宗が100株を植えて、その後、幕末までに地元の人々や有志により植え増し…

弘福寺のすぐ北に天台宗の宝樹山遍照院長命寺がある。創建年代は不詳だが、古くは宝寿山常泉寺と号していたという。寛永年間に三代将軍家光が鷹狩りを行った際、急に病を催し、ここで休憩をとり、境内の井戸水で薬を服用したところ、たちまち快癒したので、…

三囲神社から見番通りを北に少し行くと黄檗宗の牛頭山弘福寺がある。かつて隅田村香盛島(高森島)にあった小庵を、延宝6年(1673)黄檗宗の寺として、江戸氏一族の牛島殿の城址に寺地を受け、ここに移し現在に至っていると伝えている。 開山は鉄牛道機禅師…