半坪ビオトープの日記

旧岩崎邸庭園


御茶ノ水から上野公園に向かって歩いていたら、不忍池の近くで旧岩崎邸庭園の標識を見つけたので立ち寄ってみた。

門を入ってから敷地内の長い道をゆっくり進んで行くと、道端には色鮮やかなアジサイの花が咲いていた。これほど紫色の濃いアジサイは珍しい。アジサイの別名に「七変化」があるが、アジサイの花色の変化は昔からあまねく知られていて、花言葉は「移り気」である。花色の変化の原因は大きく分けて二つあり、鮮やかな花色がくすんだ色や赤色に変わっていくのは色素が分解されていく老化現象である。もう一つ土の酸度(pH)による変化である。アジサイの花色はアントシアニン系色素が働いて青色やピンク色が発色する。青色は土中のアルミニウムが吸収され、色素と結合して発色する。逆にアルミニウムが吸収されないとピンク色となる。アルミニウムは酸性土壌でよく溶けるので、土を酸性にすれば青花となり、中性やアルカリ性土壌ではピンク色になる。青花系品種を中性からアルカリ性の土壌に植えると赤みを帯びた紫色になり、ピンク花系品種を酸性土壌にすると青みを帯びた紫色になる。という理屈を知らないでも、赤や青、紫色の花を愛でることはできるので、アジサイの色は自分なりに味わうのがよい。

道の右脇には大きな百合の花が咲いていた。ヤマユリから育成された大輪のオリエンタルハイブリッド系と呼ばれるタイプで、ユリの王様といわれる「カサブランカ」という品種がよく知られている。白花にほんのりとピンクが浮き出て奥ゆかしい。

旧岩崎邸庭園は、明治29年(1896)に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として作られた。往時は約15,000坪の敷地に20棟もの建物が並んでいたが、現在は1/3の敷地に洋館・撞球室・和館大広間の3棟が残る。木造2階建の洋館は、鹿鳴館の設計者として知られる英国人ジョサイア・コンドルの設計で、近代日本建築を代表する西洋木造建築である。

洋館1階南側ベランダ床に敷き詰められているタイルは、英国ミントン社製のタイルである。当時世界でも贅沢品といわれたミントンのタイルは、ロンドンのウェストミンスター大寺院やイギリスの国会議事堂にも使用されている。

ベランダに面した客室には暖炉が設けられ、奥の大食堂はビデオシアターとなっている。

婦人客室の天井には、花鳥文様のシルクのペルシャ刺繍が施され、コーナーにはイスラム風のアーチがある。

建設当時は多くの部屋や廊下の壁面に金唐革紙が貼られていたが、現在は失われているため、平成の修復に際して2階の2部屋だけが復元されている。金唐革紙とは、和紙に金属箔を貼り、版木に当てて凹凸文様を打ち出し、彩色を施して全てを手作りで製作する高級壁紙で、金属箔の光沢と華麗な色彩が建物の室内を豪華絢爛に飾る、日本の伝統工芸品である。

各部屋ごとに暖炉のデザインも様々で、イスラム風など趣向を凝らしている。

2階へ上がる大階段前のホールに設えられた、大きな暖炉の床にもミントンのタイルが使われている。

洋館の南西に続く和館は、書院造りを基調とした和風建築で、迎賓館としての洋館に対し生活の場として和館が使用された。完成当時は550坪に達する大邸宅であったが、今では大広間、次の間、三の間と茶室くらいしか残っていない。庭から洋館を垣間見ることができる。

洋館南面には1階、2階とも列柱のある大きなベランダが設けられ、コンドルが得意としたコロニアル様式がよく表れている。

洋館の北東にやや離れて別棟として、コンドル設計の撞球室(ビリヤード場)が建てられている。ジャコビアン様式の洋館とは異なり、スイスの山小屋風の造りである。校倉造り風の壁、刻みの入った柱、軒を深く差し出した大屋根など、アメリカの木造ゴシックの流れをくむデザインである。