半坪ビオトープの日記

2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

彦根城、天守閣へ

7月中旬に滋賀県の琵琶湖周辺を旅行した。あいにく雨が降る中、まず最初は彦根城に向かう。表門の手前の木橋を渡り、内濠を越えて城内に入る。 表門を入ると右手に彦根城博物館がある。表御殿跡地に表御殿や奥座敷、能舞台などが復元され、彦根藩主・井伊家…

豚肉のネギ塩生姜焼き

豚肩ロース肉を使って、ネギ塩生姜焼きにした(3人前)。 ① 長ネギ1.5本をみじん切りにし、生姜1片をおろしておく。 ② ①に酒大3、酢大1.5、ゴマ油大3/4、白ゴマ大1、砂糖小1、鶏ガラスープの素小1.5、黒胡椒小3/4、塩小1/2を加えて、ネギ塩生姜タレを作…

マグロのカマのハーブ焼き

マグロの大きなカマがあまりにも安く、ついつい買ってしまったのでハーブ焼きにした(2人前)。 ① マグロのカマ(1kg)に白ワイン少々をふり、塩胡椒を満遍なくふりかけ、ニンニク1片のスライスとローズマリー少々をのせて、冷蔵庫で1時間ほどなじませる…

御薬園、松平氏庭園

前述したように御薬園の起こりは、室町時代に霊泉の湧き出したこの地に永享4年(1432)蘆名盛久が別荘を建てたのが始まりといわれる。その後寛文10年(1670)会津藩2代藩主保科正経が領民を疫病から救うために園内に薬草園を作り、3代藩主松平正容が貞享…

御薬園、薬草標本園

土湯で泊まった翌日、会津若松市にある御薬園を見学した。会津松平氏庭園として国の名勝に指定されている。 御薬園の起こりは、室町時代に霊泉の湧き出したこの地に、永享4年(1432)蘆名盛久が別荘を建てたのが始まりといわれる。敷地は約1.7haあり、中央…

土湯温泉

岳温泉から宿泊地の土湯温泉に向かう。土湯の地名は、「突き湯」から変化したといわれる。その開湯伝説は二つある。国造りの神・大穴貴命が陸奥の国に下る際、荒川のほとりを鉾で突いたところ、そこから湯が湧き出たという。また、用明2年(587)聖徳太子の…

安達太良山、薬師岳展望台

安達太良山山頂からは、北の稜線を牛の背まで進み、右に折れてくろがね小屋に向かい、勢至平を下ってゴンドラ麓駅に戻るのが一般的なルートだが、膝が心配なため今登って来た最短コースを戻ることにする。 ハイマツ帯に入ると小さなイソツツジ(Ledum palust…

安達太良山、山頂

やがてナナカマドなどの木々の彼方に、安達太良山の山頂が望まれるようになった。 山頂に近づくと森林限界を超えて樹木がなくなり、急に視界が開ける。岩がゴロゴロとむき出しになった山頂の岩峰(通称「乳首」)に登山者が上り詰める姿が見える。右には牛の…

安達太良山、仙女平分岐

大きな小葉を広げた中に白い小花をたくさん咲かせているのは、ナナカマド(Sorbus commixta)である。北海道〜九州の山地帯〜亜高山帯に生える落葉高木で、高さは6〜10mになる。葉は互生し、奇数羽状複葉で、小葉は4〜7対ある。枝先に複散房花序を出し、…

安達太良山、五葉松平

翌朝は快晴だった。6月上旬の福島県はまだ梅雨入り前だったが、三度目にしてようやく安達太良山のハイキング日和に巡り会えた。 奥岳登山口から薬師岳山頂まで、高低差390mをあだたらエクスプレスというゴンドラで上がることができるので、高齢者でも安達…

相馬中村神社

相馬市の市街地中村は、江戸時代に相馬氏6万石の城下町として栄え、陸前浜街道の中村宿として賑わった。市街地の西側丘陵に、中村城(馬陵城)跡があり、その西一角の妙見郭には、相馬三妙見の一つで「お妙見さま」と呼ばれ親しまれている相馬中村神社があ…

阿弥陀寺

南相馬市鹿島区の北部の相双丘陵地の南斜面に、相馬を代表する古刹、浄土宗の阿弥陀寺がある。阿弥陀寺は、中世の北関東に勢力を持った新田岩松氏の一族岩松義政の菩提寺であり、中世の東北南部の浄土宗の普及に中心的な役割を果たした。応永13年(1406)に…

石炭・化石館、常磐自動車道

三箱山勝行院の500mほど東に「いわき市石炭・化石館ほるる」がある。ここでは炭鉱の歴史や仕組み、石炭の利用について紹介し、採掘道具、模擬坑道に加え、常磐線での石炭輸送に活躍したD51型蒸気機関車も展示している。 石炭・化石館の目玉は、なんといって…

三箱山勝行院

常磐線湯本駅の西側に湯本温泉街が広がっている。湯本は古くは三函(さはこ)と呼ばれた。10世紀に成立した『拾遺和歌集』には、「飽かずして別れし人の住む里は さはこの見ゆる山のあなたか」(詠み人知らず)の歌がある。「湯本」の名がみえるのは南北朝時…