半坪ビオトープの日記

三箱山勝行院


常磐線湯本駅の西側に湯本温泉街が広がっている。湯本は古くは三函(さはこ)と呼ばれた。10世紀に成立した『拾遺和歌集』には、「飽かずして別れし人の住む里は さはこの見ゆる山のあなたか」(詠み人知らず)の歌がある。「湯本」の名がみえるのは南北朝時代で、江戸時代になると浜街道唯一の温泉宿場町として賑わいをみせたという。幕末には石炭の採掘が始まり、明治以降は常磐炭田の発展と共に栄えた。湯本駅の北西に温泉神社がある。『延喜式神名帳にみえる磐城郡七座の一つで、古くは湯ノ岳(593m)中腹にあったが、慶安4年(1651)に現在地に移された。

温泉神社の北、約500mの湯本町三函に、真言宗智山派の三箱山勝行院がある。「中の寺」とも呼ばれ、福島八十八ヶ所霊場巡りの一番となっている。大きく豪壮な仁王門には「三箱山」の扁額が掲げられている。ちなみに霊場5番は法海寺というが、山号が三箱山と同じなので紛らわしい。

仁王門の表と裏に金剛力士像が安置されていて、表の像はかなり厳つい表情をしている。
内側の阿吽像は青と赤の極彩色でちょっとひょうきんな表情をしている。

境内に入って右側には、釈迦堂が建っている。永正17年(1520)に円鏡禅師が建立したと伝えられる。

釈迦堂内には釈迦三尊像が安置されている。中央の釈迦如来坐像は、像高85cmの寄木造で、中国宋の影響を受けており、南北朝時代を下らない時期の作とされる。

勝行院の来歴は詳らかにされてないが、大同2年(807)に徳一が創建したと伝えられている。文化年間(1804~18)には堂宇が荒廃していたので、幻如上人が復興に努力したという。昭和60年代には第38世宗親が寺域の拡大を図り、七堂伽藍を整備した。

本堂内に本尊として不動明王を安置している。

本堂左手に客殿があり、その間の細い道を進むと三重塔や鐘楼が建つ高台に上がることができる。

鐘楼の脇には、三つの小さな社が整然と並べられているが、その詳細はわからない。

本堂左後方に建つ三重塔は、3間三層瓦葺木造、総高14mあり、鎌倉時代後期の様式だが、昭和63年に建てられたものである。

三箱山勝行院は真言宗なので、当然ながら弘法大師像もある。